百十八話 弟って良い物ですね
「おはようございます兄さん」
「・・・」
無断出撃した翌朝、兵舎の中の一室で寝ていた俺が眼を覚ますと、アルフレッドがいる。
昨夜も感じた事だったが、やはり弟は俺の背丈を超えて逞しい身体に成長している。
「?・・・如何しましたか?」
アルフレッドの事を見詰めていると、不思議そうにして首を傾げる。
そう言うところを見ると、未だ抜けないあどけなさが見て取れる。
歳不相応に皺が刻まれて老け込んだ自分と見比べると、顔の造形の差も相まって虚しくなってくる。
「・・・いや、デカくなったな」
「そうですか?」
「ああ・・・随分成長したよ」
「ありがとう御座います」
素直に身体の成長を褒めると、アルフレッドは嬉しそうに、何処か気恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「・・・何だか照れますね」
「で・・・何の用だ」
整った顔のコイツが照れてるのを見て、段々腹が立ってきた俺は、率直に用件を聞いた。
すると、アルフレッドは一度咳払いをしてから口を開いた。
「ロムルス殿下より、召喚命令です。昨夜の戦闘に関する説明の為、直ちに王宮へ登城せよとの命令です」
「・・・何故お前が令状を?」
通常、こう言った書状の読み上げと命令は正規に委任された文官か更に委託された騎士が行うべきなのだ。
特に王家の人間、しかも王子からの命令の執行ともなればそれなりに高位の人物が担うはずだ。
そんな俺の疑問に、アルフレッドが答える。
「実は・・・一年ほど前から、ロムルス殿下の騎士になっていまして」
「そう言う事か」
要するに俺とアレクト殿下と似たような関係になったらしい。
「・・・まあ、仕様が無いか」
自分でやってしまった事だと諦めて、俺は簡易ベッドから起き上がって軍服に袖を通す。
大分痛みが酷くなってきたワルドから借りたままのグリーンのジャケットを見て、アルフレッドが言う。
「それで行くんですか?」
「ああ・・・まあ、ちょっと痛んでるが良いだろ」
好い加減に真面なのを着たい気持ちもあるが、今は物資不足で軍服が足りていないのだ。
「一応偉い人なんですから、少しくらいは身形にも気を使って下さいよ」
「仕方が無い。これ以外は昨日ので焦がされたからな」
これ以外だと私服しか無いが、流石にそれで登城は不味い。
行った瞬間に張り倒されてしまいかねない。
「まあ、仕方が無いですね」
アルフレッドも溜息を吐いて納得し、俺は弟と連れたって王宮へと向かった。
朝早くと言う事もあって、余り人には会わなかったが、それでも擦れ違う人からは随分と奇異な目で見られた気がする。
そんなにイケメンと不細工が並んでるのが珍しいのだろうかと聞いてやりたくなる。
「兄さんは・・・」
不意に隣のアルフレッドが口を開いた。
「兄さんはリリーの事を如何思っているんですか?」
「・・・」
コイツの言うリリーとはホークス嬢の事だろうと直ぐに分かった。
俺には許されない呼び名を許されている弟に、僅かにイラだつ気持ちはあるが、俺は努めて平静を保って応える。
「まあ・・・なんだ。美しい人だとは思うな」
美人だと思う気持ちに偽りは無い。
しかし、昨日の今日で素直に褒めてやるのも何となく気分が悪い。
いずれ、近い内に婚約が破棄されるとは思うが、だからと言って、こっぴどく罵ってやるのも後になって遺恨を残す事になると思うと、気が引けた。
それに、後にコイツの妻になって、俺の義妹になる事も考えると、イニシアチブを取られかねない不用意な事は出来ない。
俺の人生は彼女と出会った事であらゆる意味で狂わされたのでは無いだろうかと思う。
「それだけですか?」
「それだけだ」
もしも、俺の顔がアルフレッド程とは言わないまでも、もう少し見栄えの良い物だったならと、そう思った事は何度も有る。
そうであったなら、父母との関係も、ホークス嬢との関係も、社交界での評判も、これ程悪くはなりはしなかったのでは無いだろうか。
「・・・彼女との結婚を考えているのなら確りと考えろよ」
「えっ!?」
「俺との婚約が破棄されれば、随分多くの男共が群がるだろう。お前なら男共を蹴散らして勝利できるかも知れんが・・・面倒は少ないに越した事は無いはずだ」
「そんな・・・僕はそんなつもりじゃ・・・兄さんはリリーの事が嫌いなんですか?」
「好きでも嫌いでも無い。ただの政略だ」
「兄さんは結婚はしたくないんですか?」
「・・・さあな」
結婚と言われると、途端に自分の考えが分からなくなる。
何となく、この先の人生で俺の隣に誰かが居るのが想像できないのだ。
「戦争が無けりゃぁ・・・そんな事に頭を悩ませる事も有ったのかもな・・・」
出征する前は、確かにホークス嬢との関係に頭を悩ませる事が多かった。
その解決の方向も、彼女との関係の改善だった事も確かだし、夜会や社交界でのご婦人方や御令嬢方との付き合い方も随分真面目に考えていた気がする。
だが、出征してからはそんな事を考えていた覚えが無い。
少なくとも、花と菓子の事は頭には無かった。
「何時になれば、楽になれるのだろうな・・・」
「兄さん・・・」
それからと言うもの、歩き続ける俺とアルフレッドの間には会話は産まれなかった。
互いに無言を貫いたまま登城して、案内されるままにロムルス王子の下へと通された。
王子は朝も早くから庭の見える広いテラスで紅茶を飲んで本を読んでいた。
「来ましたか」
ロムルス王子は手に持っていた本を置いて此方に視線を向ける。
それに会わせて、隣に立っていたアルフレッドが一歩前に出て口を開いた。
「アルフレッド・メディシア。ただ今参上し、ご用命通り、カイル・メディシア大佐を連れて参りました」
アルフレッドの口上に続き、俺も口を開いて言った。
「カイル・メディシア大佐。命令に従い参上いたしました」
帽子を左脇に挟んで、右手で挙手の敬礼をしながら声を発する。
それに対してロムルス王子は軽く答礼をして座るように促した。
「良く来てくれた。まあ、座って下さい」
言われたとおり、俺はロムルス王子の正面の席に腰を下ろす。
王子が予め命じていたのか、俺が座ると同時に茶の入ったカップが前に置かれる。
「・・・」
「まあ、畏まらないで頂きたい。今回の査問は形だけですからね」
「・・・」
「・・・一口如何ですか?」
「兄さん」
王子に茶を勧められて、背後に立ったままのアルフレッドからも促されて、俺は仕方がなしにカップを手に取って一口だけ啜った。
「・・・結構な物で」
正直言って、茶の善し悪しなど分かりはしない。
取り合えず渋味の抑えられた呑みやすい味だと思った俺は、当たり障りの無い感想を漏らしてカップを置いた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
沈黙が舞い降りてくる。
三人とも何も言わず、目の前のロムルス王子はただ俺の眼を見据えて来る。
俺はそんな王子に対しても何も言わずに眼を見返した。
そうしていると、王子が一つ溜息を吐いて口を開いた。
「流石の貫禄ですね・・・戦場を知る人の眼だ」
「・・・それは褒め言葉と受け取ってよろしいのか」
「勿論です」
イマイチ掴めない男だ。
ニヤけた顔で飄々とした様な感じだが、しかし、帝国で会った公爵やらと比べると、幾分分かりやすく感じる。
「昨夜の食事は上手く行きませんでしたか」
「・・・ロムルス王子には過分な配慮を賜りましたが、報いる事が出来ず申し訳なく思っております」
心にも無い事を言った。
内心は余計な事をして何のつもりだと思っている。
ヘタをすると思っている事が口を吐いて出て来そうだった。
「私個人としては、大佐には是非とも彼女と仲良くしてもらいたい物なんですがね」
「私個人としては、王子の要望に添えるように努力いたしますが、私だけではどうにも成りませんので」
どうにも、俺の周りの人間は奇妙なほどにリリアナ嬢と俺を仲良くさせようとする嫌いがある。
元兵団の連中は頻りにリゼ大尉との関係を邪推するし、何故に俺を誰かとくっつたがるのだろうか不思議でならない。
「・・・取り敢えず、今回の事は振られた腹癒せの事だったと言う事で良いのかな?」
「その様に受け取って頂いて結構であります。実際に自分が腹を立てた面は否定できません」
否定できない処か、正直かなり腹が立ったと思う。
少し和やかな雰囲気でコレまでに無いほどに仲良くなれた気がしたのを、冷や水を掛けられたからと言うのもあるが、それ以上に、あの程度で簡単に心が緩んでしまった自分に対して腹が立った。
「・・・如何してこうも上手く行かないのだろうな・・・」
「何か?」
王子が何かを口走ったが良く聞こえず、尋ねてみるが、首を振って何も言わない。
「はあ・・・事情は概ね・・・まあ、最初から分かり切っていましたが・・・取り敢えずは査問を行ったと言う事実は出来ましたし、これで終わりでいいでしょう」
本当に査問のための査問だった。
特にお咎め無しで、終わった事に思うところが無いわけでも無いが、藪を突いて蛇が出てくるのも嫌だった俺は特に突っ込みはしなかった。
「もう、戻って結構ですよ」
「では」
「ああ・・・アルは残って下さい」
二人は色々と話す事があるのだろう。
余計な詮索はせず、俺はとっとと二人から離れて王宮の外を目指した。
今日は何となく何もする気が起きず、戦時だというのに気が抜けきっていて、兵舎で寝込もうかと思いながら歩いた。
「・・・」
このまま行けば今日という一日を自堕落に過ごすだけと言う所、その一日の始めになる王宮の外に出る直前で、俺は王宮には似付かわしくない喧騒に脚を止めた。
「何だ?」
妙に気になって、その喧騒の方へと足を向けると、徐々に中庭の方に向かっている事に気が付き、更にその喧騒が二人の女性によって引き起こされている事だと気が付いた。
「貴女に何が分かると言うのですか!!」
「分かるはずがありません!!分かりたくもありません!!」
中庭には人が集まっていた。
その集まっていた人の全ての視線の先で、俺の知っている二人の女性が、女性らしからぬ剣幕で睨み合い、怒気を露わに声を上げていた。
「何コレ」
こんな言葉しか出なかった俺を責める人は居ないはずだ。




