百十七話 今夜は疲れた
「準備は良いな」
「勿論」
敵軍野営地には篝火が焚かれ、その側には眠そうに目を擦る不寝番の姿が見える。
既に日は跨いで幾分かが経っている。
見張りの気も緩む頃合いだ。
「前進開始」
擲弾大隊は、取り敢えず100人前後の中隊を五個作って編制したが、この辺りは後で直さなければならないと思っている。
その擲弾大隊は、オーソドックスに各中隊毎の四列横隊で並び、堂々と敵陣地に向けて歩き出した。
「鬨を上げろ」
「・・・良いのかい?」
「やれ」
「分かった・・・鬨を上げろ!!」
俺の指示に、エストは一度確認する。
そして、俺が間違いなく指示をすると、エストは笑みを浮かべて声を張り上げた。
「「「おおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」
敵は随分驚いただろう。
さっきまで半分うたた寝状態だった見張りが、俺達の出した声に驚いて跳び起き、キョロキョロと周囲を見回していた。
そして、此方の存在に気が付くと、今度は顔面を蒼白にさせて尻餅を着く。
「いい気味だ」
エストが呟いた。
漸く先日の仕返しが出来たと言った所だろうか、随分と嬉しそうだ。
「て、敵襲!!敵襲!!」
ここに来て漸く敵が声を上げる。
突然の事に慌てながら、敵の兵士がテントから顔を出して這い出てくる。
そんな連中を見てエストは、笑顔を更に輝かせながら言う。
「攻撃開始!!一気に押し流せ!!」
その声と共に、大隊は敵陣地に雪崩れ込んでいく。
「・・・」
隣のエストがソワソワと落ち着か無い様子で、自身の腰のレイピアの柄を撫でている。
「行っても良いぞ」
「ああ!遠慮無く!!」
俺の許可を得た途端、エストは満面の笑みで喜んでレイピアを抜いて走った。
「・・・アイツももう少し・・・いや、俺が言えた事じゃないか」
首を振って自嘲した。
寝惚け眼の連中がどれ程居ようと俺の兵達の敵では無い。
後は敵の初動がどれ程早いか、敵が動き出すまでに、此方が何処まで進めるかに掛かっている。
暗闇の中、篝火の灯りに照らされてエストが踊る。
何とも楽しそうに戦う奴だ。
「・・・」
手持ち無沙汰な俺は、少し離れてその様子を眺めている。
何となく、ただ怒りに任せてこんな事をしてみたが、今はただ何となく気の抜けた様な感じだ。
「・・・」
「お久し振りですねカイル大佐」
背後から声が掛けられた。
その声は、俺の聞いた事のある声で、不思議と驚きはしなかった。
「・・・確か、ロイドとか言ったか」
「貴方に名乗った覚えはないのですが・・・ああ、ミハイルですか?」
「そうだ」
振り向いて、暗闇に浮かぶその顔を見ると、あの頃と寸分も違わないような、人畜無害と言った風な純朴な青年に見えた。
「驚かないんですか?」
「不思議とな」
「貴方は不思議な人だ。とても短気な様で、時折思慮深く見えもする・・・まあ、頭は余り良くは無いですが」
「良く分かってる」
段々と眼が慣れてくると、ロイドが黒いローブを被っているのが分かる。
そのローブも見覚えが在る。
「ウシャの森・・・」
「覚えていましたか」
「微かに遠眼に見えただけだ」
「僕はもっと前から知っていますがね」
そう言うと、彼は眉間に皺を寄せ、俺を睨み付けながら憎々しげに言う。
「貴方が無駄に頑張るものだから、随分遠廻りをさせられてしまった」
「・・・どう言う事だ?」
「二年前・・・あの二年前の時に、僕はアレクトを殺す筈だった」
そう言うロイドの言葉を聞いて、一つ思い当たる節がある。
それは、二年前の共和国に寄る侵攻で、あの時のアダムスの言っていた魔術師だ。
「・・・そうか、お前の所為か」
「そうだよ。貴方が邪魔をしなければ、アダムスはあのままアレクトを殺す筈だった。そうして時期国王はレオンハルトとなり、僕の悲願は成就される筈だった」
コイツの目的は何なのかは分からないが、取り合えず、アレクト殿下を目の敵にして殺そうとしているのならば、話は早い。
コイツは俺の敵だ。
「随分な物言いだ。お前の独り善がりの所為で、何人の人生が狂った事か」
「そんなの関係ないね・・・僕はやりたいようにやるだけだ」
コイツは生かしてはおけない。
「ふっ!!」
俺は一息にサーベルを抜いて横凪にロイドに斬り掛かる。
「・・・っ」
だが、俺の振るったサーベルがロイドを捉える事は無かった。
「・・・そう言えば、シモンは背が高かったと言っていたな・・・」
ふと、今のロイドを見て思い出した。
「・・・」
長い引き摺るほどのローブを被っていたロイドは、さっきまでよりも頭一個半分高い位置から俺を見下ろしている。
「魔術師ってのは、いつから浮かべる様になったんだ」
「貴方の常識が狭かっただけだよ」
正直言ってヤバイ。
何かもう、勝てる気がしない。
「俺・・・あんまファンタジーなのは苦手なんだけどな」
「何を言っているのか分からないね」
そう言って、ロイドは右手を掲げる。
何だか良くは分からないが、ロイドの右手に炎が灯り、辺りがまるで昼間のように明るくなった。
「魔術師ってのは、随分凄い事が出来るんだな」
目の前で起きている事が凄すぎて、逆に冷静になれた自分がいる。
「消し飛べ」
ロイドの手に集まった火球は、どれ程の大きさなのか、少なくとも視界には治まり切らないと言うくらいしか、形容する言葉が無い。
「如何してこうなった」
思わず口を吐いたのが、この言葉だ。
今や遅しとばかりに、ロイドはニヤけながらゆっくりと火球を振り下ろそうと腕を動かした。
「兄さん!!」
その瞬間、この世で唯一俺を兄と呼ぶ人物の声が俺の鼓膜を震わせ、赤髪の青年が俺の前に躍り出た。
「っ!?アルフレッド・メディシア!!」
ロイドが焦りと怒りを織り交ぜたような声を上げ、アルフレッドは全く冷静に右手で抜いた剣を振るって火球を打ち消した。
「カイル!!」
今度はエストが俺の名を叫んだ。
「ハアアア!!」
直後に、疾風の如き勢いでロイドに迫ったエストは、鋭いレイピアの付を見舞う。
「クソッ!!」
寸での所でエストの攻撃を躱したロイドは、悪態を吐いて後に下がると、此方を睨んだ。
「・・・チッ!」
エストとアルフレッドを交互に見て分が悪いと判断したのか、ロイドは舌打ちをして夜の闇に溶けるように消えていった。
「・・・無事ですか?兄さん」
二年ぶりに遭遇した弟の背は、随分と伸びていた。
最後に会った頃と比べて、顔立ちが精悍になり、体付きも幾分確りとしたようだ。
「大事ない」
果たして、そう返したのは本当に問題が無いからか、それとも自分の中の兄としての矜持が有ったからなのか、自分でも良く分からない。
「・・・」
「・・・」
俺とアルフレッドは、互いに無言で視線を彷徨わせる。
ハッキリ言って、俺はアルフレッドに何を言えば良いのか分からず、アルフレッドも俺に何と声を掛ければ良いのか分からないのだ。
それ程仲が良い訳では無いと言う自覚があるが、しかし、嫌いと言う訳でも無いだけに、如何接して良いのかが分からなくなっていた。
そんな俺にエストが声を掛けてくる。
「カイル」
「あ!?あ、ああ・・・何だ?」
「そろそろ撤収した方が良い・・・と言うか、早くしないと囲まれるよ」
そうだ。
あんな騒ぎを起こしておいて、敵が何も反応しないわけが無い。
「ああ・・・撤退だ」
「了解」
「・・・」
「カイル?」
「何だ?」
「いや・・・何でも無いよ」
そう言って、エストは部隊の撤収の為に離れて行く。
「・・・俺らも行くぞ」
「はい」
そこは良く心得た物で、エストの指示で動いた大隊は、敵の包囲が完成する前に撤退を完了し、俺も弟と共に現場を脱した。
今夜は色々な事が起こりすぎた。
ホークス嬢との食事から、無断の武器の持ち出しに独断の夜襲、それから黒幕っぽい奴との邂逅に二年ぶりの弟との再会。
「如何してこうなったのかね・・・」
「如何してこうなるんだ・・・」
奇しくも、俺が呟いた同じタイミングで、アルフレッドも呟いた。




