百十五話 食事
今は戦時、コレから俺は兵を率いて戦地で戦い、そしてレオンハルト第二王子を打ち破らなければ成らない。
勝利をアレクト殿下に捧げ、軍人としての義務を果たさなければならない。
その筈なのだ。
「・・・」
その筈なのだが、今の俺は不可解な状況に陥っている。
「・・・お久しぶりですわね」
「ああ・・・数日前に会った気がするがな・・・」
俺は今、レストランに来ている。
そして、用意されていた席に通されると、そこにはブルーのドレスを着たホークス嬢が先に席に着いていた。
「・・・座ってはどうです?」
「・・・良いのか?座っても」
「・・・」
もしかしたら、真面に話すのはコレが初めてなのかも知れない。
少なくとも、俺の記憶では三言以上続けて話した事は無かった。
「・・・座るぞ」
一応、そう一言告げて、俺は椅子を引いて彼女の正面に座る。
二人用の小さなテーブルに対面で座ると、少し手を伸ばせば届くほどの距離にホークス嬢の顔がある。
恐らく、今までで一番物理的に近くに寄っているだろう。
「何故ここに?」
俺が問い掛けに、ホークス嬢は俺に顔を向けずに答える。
「ロムルス殿下から、ここに来る様に言われたのですわ」
公然と浮気していると取られかねない言葉を、婚約者に向かって言う彼女は、全く悪びれた様子は無い。
「カイル様は何故?」
「俺・・・私もロムルス王子に呼ばれた」
今後の戦いについての意見交換と互いを知るために食事をしないかと誘われて来たのだが、どうやら嵌められた様だった。
「はあ・・・こんな事を・・・」
「・・・ロムルス王子が来ないのなら、私は帰ろう」
これ以上、彼女と同じ空間に居続けても、俺に取っても彼女に取っても良くないだろう。
俺はホークス嬢の事は嫌ってはいない。
確かに、ぞんざいな扱いを受けてはいるが、彼女は俺の婚約者であり、このまま行くと結婚してしまわなければ成らないのだ。
ならば嫌うよりは好きでいた方が精神的に健全だろう。
それに彼女は美人だ。
男なら、美人に憧れない筈が無く、美人なら多少の事は許せてしまう。
少なくとも俺はそう言う人間だ。
だが、ホークス嬢は俺の事を嫌っている。
間違いなく嫌っている。
なら、これ以上一緒に居ても彼女の機嫌を損ねるだけで、そうなれば、俺自身が傷付くだけだ。
敢えて自分から針のむしろに向かう事も無い。
「取り敢えず支払いは済ませておく・・・では」
そう言って席を立とうすると、ホークス嬢が声を上げた。
「別に・・・別に帰る必要はないのでは無いですか」
「はあ?」
「殿下がわたくし達とカイル様に食事を取って欲しいとこの場を設けたのなら、その思いに報いるのも必要なことではありませんこと?」
「・・・貴女はそれで良いのか?」
「かまいませんわ」
俺は完全に気を失ってしまった。
この段階で俺が無理に席を立つ必要は無く、彼女が一緒に食事を取ると言うのならば、俺もやぶさかでは無い。
「・・・では」
上げかけた腰を再び下ろし、改めてホークス嬢に対面した。
「・・・」
「・・・」
非常に空気が重苦しい。
一体、何話せば良いのか全く分からない。
正直早く料理が来てくれると嬉しい。
「失礼致します」
給仕が一言断りを入れ、俺とホークス嬢の前にグラスを置いた。
それから、俺のグラスにワインを注ぎ、次にホークス嬢のグラスにもワインを注ごうとする。
色の濃い赤ワインをみて、俺は一つ思い出した。
「彼女には余り注がないであげてくれ」
「え?」
「かしこまりました」
俺の要望通り、ホークス嬢のグラスには少なめにワインが注がれ、給仕は一旦下がった。
「・・・何故?」
「随分前に誕生日にワインを送ろうと思った事があった・・・その時に、貴女が赤ワインが苦手だと聞いた」
結局、あの時はそもそも酒を送るのはいかがな物かと言う事になって、花束とケーキを送ったが、例の毎受け取られなかった。
「・・・ありがとう御座います」
「・・・いや、大した事では」
ホークス嬢に礼を言われるのは凄く変な感じがする。
「では・・・」
「はい」
グラスを持って軽く上に上げて一口呑む。
少し冷えたワインは、以外と渋味が抑えられていて非常に呑みやすい。
甘みも強く、まるでジュースのようだと俺は感じた。
「これは・・・呑みやすいですわ」
ホークス嬢も俺と同じように思ったようで、もう一口呑んでグラスを置いた。
それから程なくして、前菜料理が運ばれてくる。
「サーモンとズッキーニのマリネで御座います」
割と珍しい火を通されていないスモークサーモンのスライスとズッキーニスライスの酢漬けに、ブラックオリーブが添えられている。
スッキリとした酸味と燻された鮭の香りが食欲を増幅する。
「火を通していないのは珍しいですわね」
「・・・そうかも知れないな」
「カイル様は食べた事が?」
「公国に居た頃に、生の魚を食べた事がある」
「まあ」
ゆっくりと前菜を食べながら次の皿を待つのだが、前菜のお陰で割と会話が弾んだ気がする。
とは言え、矢張り俺にとっては量が少なく、早食いが習慣になっているため、割と直ぐに無くなってしまう。
「・・・早食いな性分で済まない」
「いえ・・・仕方の無いことでしょう・・・」
貴族として、早食いは優雅では無いみっともない事であるとされている。
早食いをするのは労働者であり、貴族はゆっくりと時間を掛けて食べる事がマナーの一つとなる。
が、俺の場合はそんな事を気にした事は無く、早食いは前世からの習慣だった。
それから、少しだけ食べるのを早めたホークス嬢が前菜を食べ終えると、食器が下げられて次の料理が運ばれてきた。
「茸と干し貝のリゾットで御座います」
季節物の茸に保存の利く貝の乾物のリゾット。
米は日本の物よりも若干細長く、粉チーズが軽く掛かっていて美味そうだ。
しかし、やはり量が少なく思える。
「今の状況で海産物とは、楽では無かろうに」
「そうですわね」
この国では海産物は公国で取れた物を運んでくるのだが、今は公国からの物流が止まっており、海物は中々食べられない状況だ。
貝柱の乾物を使っているのも、そう言うところなのだろう。
「ですが・・・」
「何か?」
「貝のリゾットは幾つか食べた事がありますが、此方の方が良く味が出ていますわ」
俺には良く分からないが、彼女曰く、乾物の貝の方が味が良いらしい。
恐らく、生の貝よりも出汁が出ている為だと思われる。
「・・・カイル様は」
「?」
ホークス嬢は一旦手を止めて、言い辛そうに口を開いた。
「カイル様は・・・カイル様は何故、戦い続けられるのですか?」
「・・・」
何となく、そう言うような事を聞かれるような気はしていた。
大体、会う人聞く人、どの人も同じ様な事を聞いてくる物だから、俺も何時も同じ様に返す。
けど、今回はもう少し素直に答えたくなった。
「・・・まあ、有り体ですが、部下や仲間の為って言うのが大きいですかね・・・アイツらが俺に指示を求めて来る物だから。俺も指示を出してしまうのです。出来る事なら軍を辞めてノンビリと暮らしたい物です。・・・それと」
「それと?」
「もしかしたら・・・何時か、俺が活躍し続けていれば父と母が俺の事を認めてくれるのでは無いかと思って・・・英雄になれば皆、俺の事を好きになってくれるのでは無いかと・・・そう思っていたんです」
「・・・」
「まあ・・・もう、有り得ない話しですがね」
多分、最初の方は目の前のホークス嬢も、俺の事を認めてくれるんじゃ無いかとも思っていた。
今ではそんな気持ちが俺自身に残っているのかも分からなくなったが、こうして、今までに無い程に仲良く食事を取っていると、少しだけ欲が出てしまう。
「・・・また、早く食べ過ぎましたな」
気が付けば、俺の皿の中には何も無い。
さっきよりは、ペースを合わせる事が出来たのか、ホークス嬢も程なくしてリゾットを食べ終えた。
そして、少し間を置いて、メインの皿が運ばれた。
「鴨のロースト、オレンジソースで御座います」
定番と言えば定番のメニューだ。
給仕係が下がると、俺は早速一口目をと思った瞬間、ふと思い出してホークス嬢に尋ねた。
「・・・そう言えば、昔、手紙をくれた事がありましたな」
「・・・っ!?」
「アレには驚きました。なんせ初めての事だったので」
期待していたのもあっただろう。
彼女と仲良くなれるかも知れないと言う期待と、慣れない場の雰囲気に緊張もしていただろう。
だから、そんな事を言ってしまったのだろう。
「・・・何の事ですか?」
「はっ?」
「わたくしは手紙など出していませんわ」
「いや・・しかし」
「アレは御父様に言われて書いただけの事・・・そんな物はわたくしが書いたとは言いませんわ」
「・・・」
「少し勘違いなさっておいでですが、今日の事はロムルス殿下に泥を塗らない様にしただけの事ですわ」
俺が、愚かだった。
「・・・やはり、相容れないか」
「当然」
俺は腰を上げた。
さっきまではあんなにも美味そうに見えていた料理が、途端に粘土細工の様に思えてきた。
頭が氷の様に冷えて、胸の奥が溶岩の如く煮えたぎる。
「皆死んでしまえば良い・・・俺自身も死んでしまえば良い」
「あら、詩人にでも成るおつもりですこと?」
「いや・・・死人に成った。今ここで・・・」
最早、一秒たりともこの場には居られない。
これ以上、グズグズしていても胸くそが悪いだけだ。
俺は、ホークス嬢に背を向けてレストランを後にする。
そんな俺に対して、彼女は何も言わなかった。
「・・・」
俺は王宮には向かわなかった。
俺の部屋は王宮に用意されていたが、今日はそんな所に行く気にはならず。
支隊の寝泊まりしている兵舎に向かった。
如何してこうなったかなんて分からないが、これから如何するのかは決まっていた。




