百十二話 慢心ダメ絶対
靄の掛かる平原の向こう側に、武器を手にした集団が姿を現した。
隊列は歪で武器は雑多、服装もバラバラの烏合の衆と言うべき彼等は、しかし、ここからでも分かる程に怒りに燃えた激しい眼をして此方を睨んでいる。
俺はヘンリーの背の上で、戦列の直ぐ後で、その敵の集団を見据えて言った。
「敵は直ぐには退きそうに無いな」
俺の言葉に答える者は無く、皆一様に口許を引き締めて戦いに臨む。
俺もそれ以上は何も言わずに前を見て、時を待った。
「・・・」
支隊の戦列は最右翼に第一大隊を置き、そこから順に第三、第二大隊と続き、リゼ大尉とレンジャー中隊は最左翼の北の丘の稜線で敵から隠した。
今回の戦いでは予備兵力は作らず、また、此方から攻勢には出ずに、敵からの攻撃を待つ事にしている。
それに対して、敵軍の方は此方が動かないと見ると、余裕を持って隊列を組み直し、丁寧に戦闘隊形を作って此方に対峙した。
隊列はオーソドックスな横隊で、槍などの長柄武器を前面に配置して、その後に剣やその他の武器を持つ者を並べている。
傭兵共はこれ以上俺達と戦うのは割に合わないと判断したのか、その数は少なく。
敵には相も変わらず銃器の類いは見られなかった。
「・・・」
戦いは想像よりも静かに始まった。
敵は整然とと言うには些か稚拙な物ではあったが、隊列を維持したままゆっくりと前進を始めた。
「着け剣」
俺は敵が動き出すと部隊に着剣の指示を出した。
俺の号令に従い第一大隊の各中隊中隊長は指揮下の中隊に着け剣の号令を出し、また、それとほぼ同じタイミングで、隣の第三、第二大隊もソロモンとハンスが着剣を命じた。
敵との距離は200m以上はあり、着剣のタイミングとしては明らかに速すぎる物だったのだが、それでも俺は支隊に着剣の号令を出し、部下達も何も疑わずに従った。
「射撃用意!」
俺は敵が100mにまで接近した所で射撃用意の号令を発して敵の接近に備えた。
小銃の射程は凡そ40m、敵の槍の長さの十倍もの射程を有する此方の攻撃は正に圧倒的で、ハッキリと言ってしまえば、此方は一切の被害を受けずに勝利する事も不可能では無く、俺は完全に勝利を確信している。
「構え!」
号令に従い、戦列から銃口が敵に向かって伸びて最後の命令を待つ。
俺は限界ギリギリの距離で射撃を命じるつもりで、敵の前進を見詰め、その瞬間を待った。
時間にすれば僅かに一分に満たない時間、敵が自ら選んで破滅へと突き進むその時間を、俺は何も思わずに待ち続けた。
そして、その瞬間はやって来た。
「撃て!!」
敵の兵の眼球の動きまで見えるほどの距離で、俺は声を上げた。
その直後、一つに連なった銃声が耳の奥まで木霊して、それと共に放たれた1000近い魔弾は、一つ一つが必殺の意志を持って敵の隊列に食い込んだ。
「中隊交互射撃!!」
各中隊の各列が交互に連続して射撃を行うランニングファイアを指示した時、俺はもう戦いは終わったと感じた。
コレまでの戦いで、この号令を出して敗北を喫した事は無く、また、この連続した射撃に耐えきる事の出来た部隊も存在はしない。
何時も通りの、実につまらないルーチンワークが始まったのだと、俺は嘆息した。
「突撃ぃいい!!」
直後だった。
俺が眉を下げて溜息を吐いた直後、俺の右側の森の中から声が響いた。
そして、その声に続いて、剣を振り上げた男達が続々と森の中から走り出て此方に突っ込んできた。
「っ!!?」
俺はミスを犯した。
戦いに絶対など無いにも関わらず、俺は敵を侮り、備えを怠り、そして敵に虚を突かれて思考に空白を作り出してしまった。
第一大隊の最右翼には第一中隊が配置されており、彼等は正面の敵に向かっていて、とても敵の奇襲に対応できる様な状況には無く。
即ち、彼等第一中隊は全くの無防備で敵の攻撃を受ける嵌めになった。
「クッソ!!」
俺は悪態を吐いた。
その悪態は短く簡潔で、それでいて今のこの瞬間には必要の無い、全くの無駄な行為だった。
「第二中隊射撃止め!!右向け右!!駈け足!!縦隊右へ進め!!」
既に敵に攻撃されて混乱状態の第一中隊は、何を言っても命令を遂行できる状態には無く、俺はその隣の第二中隊に矢継ぎ早に命令を飛ばすと、サーベルを抜いて右翼に向かった。
だが、この俺の行動は悪手だった。
支隊の総指揮を担う俺が持ち場を離れてしまうのは、即ち支隊に命令を出す人間がいなくなると言う事であり、この瞬間に、支隊は組織的な行動力を失った。
「第二中隊!俺に続け!!」
俺の頭には第一中隊を救う事しか無く、いの一番に敵の奇襲部隊に斬り掛かると、隊列を乱した第一中隊と共に敵と戦った。
「おおおおおお!!」
最初の一人を馬上から斬り付けた俺に、長剣を振りかざした傭兵が掛かってくる。
真っ直ぐに俺に目掛けて振り下ろされる長剣をサーベルで腹を叩いて払うと、ヘンリーの馬首を敵に向けて前脚で踏み付けさせる。
気性の荒いヘンリーは嬉々として俺の意図を汲んで傭兵を踏み潰し、嘶きを上げる。
「固まって戦え!!連携して押し返すんだ!!」
戦う最中で、俺は懸命に周りの兵達に檄を飛ばした。
小銃は銃剣を着ければ手槍と変わらないリーチを持ち、また、銃剣での近接戦の訓練を積んだ元兵団の歩兵は、その経験も相まって、そんじょそこらの傭兵程度には負けはしない。
最初こそ奇襲の影響で押されていた一中隊も、二中隊の援護を受けながら戦う内に体勢を整えると一挙に逆襲に出た。
基本的に重装歩兵の流れを汲む戦列歩兵は、足並みを揃えて銃剣を構えればちょっとした槍衾を作る事が出来、その状態ならば場合によっては騎兵の突撃にすら耐える事が出来る。
逆襲を開始した第一第二中隊は、支隊戦列右翼にもう一つの戦列を形成しつつ敵を押し返し、戦闘を安定させる。
「カイル大佐!!」
背後からソロモンが俺を呼んだ。
ソロモンの呼び掛けに俺は漸く、正面に意識を向けて振り返ると、正面は俺の予期せぬ程に状況が悪くなっていた。
「大佐指揮を!!」
俺の指揮が滞った結果、支隊の戦列は敵に対して最初の射撃で打撃を与えたのにも関わらず、その後に繋がる有効な攻撃を行う事が出来ずに、チャンスを逃していた。
また、俺からの指示が潰えた事で、戦列に動揺が走り、統制射撃は自動的に各個射撃に移行してしまい、持ち前の火力を発揮できなくなっている。
更に、敵は此方の銃撃に対しても対策を打ってきていた。
「っ!」
何時の間にか敵は防護用の防盾を用意しておりコレによって此方からの攻撃は威力を半減させている。
この防盾は、細長い木の棒や角材を一纏めにした物を数本並べた物で、丁度、日本の竹束を小型化した様な物だ。
敵は最初の一撃に耐える事で、僅かな時間を稼ぎ、その上で此方の戦列の直ぐ目の前で野戦築城を行って見せた。
「戦列後退!!4m下がれ!!」
言って直ぐ、俺は自分の判断に後悔した。
ここで退く事は完全に戦いの主導を敵に明け渡す事で有り、以降の戦闘は能動的な物になる事を決定づけた。
予備兵力を用意しなかったのも完全な失敗だった。
三個中隊、せめて二個中隊でも予備兵力を用意しておいたならば、敵の側面からの奇襲にも一個中隊振り分ければ対応が出来たし、今の状況での戦列の後退にも主力部隊の後退を支援して主導を完全に明け渡す様な事には成らなかった。
ここまでの俺の判断は全てが失策だった。
「・・・」
「「「おおおお!!!」」」
支隊の戦列がゆっくりと後に下がり始めると、あからさまに敵の士気が上がる。
それもそうだ。
コレまで一方的な力を見せていた此方が初めて退いたのだから、敵にしてみれば、これ程に自信を付ける物は無い。
恐らく敵は、この調子に乗って一気に攻勢を強めて来る筈だ。
「第一大隊!!突撃に!!突っ込め!!」
俺は決断を下した。
第一大隊は最も練度が高く、また古参兵が最も多く所属している大隊だ。
故に、近接戦能力が高く、度胸も一番にある。
俺は第一大隊に突撃を命じると、直ぐに移動して戦列の中央から左翼よりでソロモンとハンスに向かって叫んだ。
「一大隊が時間を稼ぐ!!第二第三は直ぐに立て直せ!!」
第一大隊は果敢にも突撃を敢行した。
俺の突然の命令にも関わらず、第一大隊は後退を止めて前へと向かって走り出し、敵の槍衾目掛けて突っ込んで行く。
近接戦に限った話ならば、銃剣を着けた小銃は手槍程度のリーチがあるが、裏を返せば普通の槍よりもリーチが短いと言う事で、長槍持った相手に対しては圧倒的に不利という事でもある。
俺は第一大隊を犠牲にしてでも敵に主導を渡し、この後の戦闘の趨勢が相手に傾くのを嫌って命令した。
「第二大隊止まれ!!再装填!!」
俺の命令と第一大隊の行動を見て号令を発したのはハンスだった。
ハンスは、指揮下の第二大隊に後退の停止を命じると直ぐに、大隊に弾薬を装填するように指示した。
っこの命令に第二大隊は戸惑いながらも従い、拙い手付きで銃口から弾を込める。
「急げ!!第一が踏ん張ってるんだ!お前らも根性見せろ!!」
ハンスが叱責する。
こう言う時、ハンスは部下を叱咤するのが非常に上手く、それはやはり兵達と同じ平民の出だからと言うのが大きく、ハンスの様なやり方は俺には到底真似できる物では無い。
「第三大隊装填!!」
ソロモンの指示が出たのはハンスの檄から僅かに遅れてからの事だった。
命令に忠実で些か柔軟さに欠ける嫌いのあるソロモンは俺の指示通りに下がりきってから次の行動を指示する。
第二大隊と第三大隊の練度の差も相まって、第一大隊の抜けた戦列は両大隊でやや斜行した戦列を形成し、俺は声を上げた。
「支隊!!第三、第二大隊前進!!」
戦列は最左翼の第二大隊第三中隊を先頭にして順次、敵との戦闘に入った。
前進した此方の至近距離での斉射によって敵の正面は玉葱の皮を剥くが如くに撃ち倒され、敵の後列は士気を崩して僅かの間を置いて下がり始める。
「第一大隊後退!!第三大隊は敵を圧倒しろ!!」
敵の右翼が下がり始めると、その動きに協調して左翼の敵も下がり始めた。
俺は、敵の動きを見て第一大隊に後退を命じ、その動きを支援するために第三大隊に檄を飛ばした。
その結果第一大隊は徐々に離れていく敵を追うこと無く自分達も下がり、その後は別命無く隊列を整え始めた。
「第二大隊更に前へ!!」
第二大隊の前進を早め、敵正面に対して斜行していた戦列は、今や敵右翼側面を攻撃するような形になりつつある。
ここで、俺は現在いる指揮位置を離れると、第一大隊の下へとヘンリーを走らせた。
「第一大隊前進!!敵の左翼を叩け!!」
第一大隊は先程までの戦闘で被害を被っている物の、未だ士気は衰えてはおらず、俺の命令を聞くと直ぐに従って前進した。
この時、大隊から一時的に離れていた第一第二中隊が、敵を追い返して戦列に加わり、また俺の意図を汲んで最右翼に並んだ第一中隊が速度を速めて前に出た。
コレにより、支隊戦列は敵を挟むようなVの字になり、敵を左右からたたく形になる。
「撤退!!撤退!!」
「逃げろ!!」
息を吹き返した此方の攻撃に対して、敵は流石に耐えかねて退却を始めようとしている。
だが、ここで敵を逃がす手は無い。
俺は、再び左翼側へと走ると丘の麓に隠していたリゼ大尉とレンジャーに命じる。
「リゼ大尉!行動開始しろ!敵を逃がすな!!」
「了解!!」
レンジャーは丘の麓を左から回り込むようにして敵の背後に向かう。
コレで敵を背後から叩ければ敵の退却を遅れさせる事が出来る筈だ。
完全に阻止できなくとも、僅かな時間でも敵に下がるのを踏み止まらせる事が出来れば、後は両翼から一気に攻勢を強めて叩き潰せば良い。
俺は馬上で体を持ち上げると、叫ぶように命じた。
「コレで最後だ!一気に押し潰せ!!」
「「「応っ!!!」」」
支隊は全面で一気に攻撃の手を強めた。
一定のリズムで銃声が連なって木霊すると、その度に溶ける様に敵の隊列が崩れ、士気は完全に潰れて背を向けて逃げ出した。
だが、後に逃げようとした敵の兵士は、後から前へ出ようとする兵士に押されて潰される。
彼等は知らないのだ。
彼等の後方ではレンジャーの射撃が襲い掛かって無作為に命を刈り取っている。
一番悲惨なのは集団の中央付近だっただろう。
前からも後からも押され、転ぼうものならば味方に踏み潰されてその生涯を終え、例え転ばなくとも圧死する。
最早、勝敗は決した。
途中のミスを差し引いても間違いなく圧勝と言える結果を残せるだろう。
俺がただ一言、最後の言葉を叫べば、その瞬間に全てが終わる。
「全隊突撃!!」
そう叫んで、俺はヘンリーの腹を蹴って敵に突っ込んだ。
敵も冷静になって穂先を揃えれば耐えられただろうが、そんな事を考えられる者は誰も居なかった。
戦闘の最後の決は何とも呆気なく俺に勝利を齎してくれた。




