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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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人もをし人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑに物思ふ身は

 世の中を恨んでいる人は、世の中をそういうものだと思い込んで悪い方に想定して行動しがちになります。

 そしてその結果、世の中はますます冷たくなってしまうのです。


 崩壊した世界で遭遇した、優しい世界に戻るチャンスすらも、その荒んだ男には歪んで見えていました。

「オラ来いよ!」

 見せつけるように鉄パイプを構え、俺は啖呵を切る。

 じりじりと歩み寄ってくるのは、市民を守るはずの警察官。制止の声もなく、無言でのろのろと近づいてくる。

 そいつが間合いに入るや否や、俺は踏み込んで鉄パイプを振り下ろした。

 グシャッと鈍い音がして、帽子の下の頭が陥没した。


 動かなくなった警察官の死体を、俺は遠慮なく漁る。

 だが、あいにく警棒も拳銃も持っていなかった。

 腹立ちまぎれに、死体を踏みつける。

「チッ……しけてやがる」

 白昼堂々と、まともな者なら誰でも眉をひそめる暴行をやってのける。だが、文句を言ったり眉をひそめたりする者はいない。

 もう、まともな者がほとんど残っていないからだ。


 殴り殺した警察官も、もはやまともではなかった。

 血の気を失い、青黒く変色した肌。正気などみじんも感じさせない、白く濁った目。派手に破れた制服と、その下からこぼれている腸。

 こいつはもう、まともな人間ではない。生きてすらいなかった。

 市民を守る高潔な使命をきれいさっぱり忘れ、食欲のみに突き動かされて生きた人間を食い散らかす生ける屍。

 だから殺しても、誰も何も言わない。


 そこまで考えて、俺は自嘲した。

(ハッ……くだらねえ。俺のやってる事なんか、何一つ変わってねえよ!)

 警察官とやり合う事も、暴力を振るう事も、俺にとっては慣れた日常だ。それが人間だろうが生ける屍だろうが、変わらない。

 どんな風に世界が変わっても、俺にとって変わらない事はただ一つ。

 世の中なんてのは、どうしようもなく辛辣でくだらない、つまらないものだという事だ。


 いつだって、世は俺に冷たかった。

 恵まれない俺は他の人間から疎まれ、たまに差し伸べられる助けも長続きしなかった。俺は世を恨んで裏の社会に落ち、世知辛い世の中を守ろうとする奴らと衝突を繰り返した。

 人が人を支えるなんて嘘だ、俺を最後まで支えようとしてくれる奴なんかいなかった。

 周りの人間は全て、俺の敵だった。それが皆生ける屍に変わったからといって、今さら何を失うことがあるのか。


 だが、ふてくされて去ろうとした俺に、声をかけてくる奴がいた。

「あ、あのっ……ありがとう、おじちゃん!」

 幼く甲高い声……振り向いた先にいたのは、一人の少女だった。

「あたしね、その……それ、おまわりさんなら助けてくれるかと思って……。

 でも、違って、食べられるところだったんだけど……」

 ああそうか、こいつは俺が倒した警察官の屍に助けを求めようとして襲われたのか。それで、こいつを倒した俺にお礼を言うと。

 つまり敵の敵は味方ってだけだ、くだらない。


 適当にあしらって行こうとした俺の手を、少女が握る。

「あのね、あたしの避難所に案内してあげる。

 だってね、おじちゃんはとても強いから……みんな喜んでくれると思うの!」

 温かく柔らかい手に、思わず頬が緩んだ。

 安全な寝床に案内してくれるのは、無条件でありがたい。人の心がどうであれ、俺には安全な寝床が必要だ。それだけだ。


 少女について避難所に行くと、俺は予想以上の歓迎を受けた。

 住人たちは口々に俺に感謝し、顔いっぱいに喜びを湛えて頭を下げた。そして俺に貴重な食料を差し出し、いつまでもここにいていいと言ってくれた。

 中には見知った顔もいたが、俺と目が合うと恥ずかしそうにこう言った。

「見直したぜ」と。


 避難所での生活は、快適で温かかった。

 周りの人間が俺のことを気にかけて、優しくしてくれる。感謝、尊敬といった慣れない感情が、この身に注がれる。

 そのうえ、これまで俺を毛嫌いしていた女子供が俺を慕ってくれる。あの助けた少女なんか、俺をヒーローでも見るような目で見てすり寄ってくる始末だ。

 こんな世界は、初めてだ。こんな、つまらなくもない……捨てたもんじゃない世界は。

 心地よくて、調子が狂いそうだ。こういうのも悪くないと、思ってしまいそうだった。


 だが、心のどこかで、俺はこの優しい世界を信じ切れずにいた。

 避難所の連中が俺に優しく接するのは、俺が戦力として役に立つからおだてて機嫌を取っているに過ぎない。奴らにとって必要だから、そうしているのだ。

 この世に優しさなどない、あるのは利害に裏打ちされた表面の駆け引きだけだ。

 俺が生きてきた世界はずっと、そうだった。


 だから俺は表面すら愛想を振りまく気になれず、いつもどこか冷めていた。

 そしてこの菓子のように甘い生活もいつか終わりを迎えるに違いないと、確信にも似た予感を覚えていた。


 果たして、その日はほどなくして訪れた。

 避難所のバリケードが破られ、生ける屍の群れが押し入ってきた。たちまち避難所は大混乱となり、噛まれる者が続出した。

 この状況を前に、俺は早々と逃げ出すことを決意した。

 俺は避難所の奴らに戦力として期待されているが、そんなのは相手の都合だ。俺は自分のことも守れない弱い奴らと心中する気はない。

 避難所の奴らは守ろうと戦っているが、そううまくいくものか。だって、世の中は冷淡でつまらないものだ。そんな甘い考えが通用する訳がない。

 だから俺はあらかじめまとめておいた荷物を掴み、一目散に逃げだした。


 そんな俺の前に、あの時助けた少女が立ちはだかった。

「どこ行くの、おじちゃん?

 みんな頑張って戦ってるんだよ、おじちゃんも一緒に戦ってよ!」

 ああクソッ、こいつは未だに俺をヒーローか何かだと思ってやがるのか。俺が勝手にやった事を好意だったと勘違いして、足にしがみついてくる。

 こんな所で足止めされて、生ける屍共に囲まれたらどうするんだ。優しいように見せかけて、何て自分勝手なガキだ。

「邪魔だオラァ!」

 俺は苛立ち、少女を蹴り飛ばした。


 少女の、甲高い悲鳴が響き渡る。

 床に打ち付けられて転がった少女は、裏切られた顔をして叫んだ。

「おじちゃん、ひどい……信じてたのに!!」

 その声を聞いて駆けつけてきた他の住人も、俺を見て失望したような顔をした。恩を仇で返すのか、と。

 だが悲しいかな、俺にとってこんなのは慣れっこだ。

 俺は混乱のどさくさに紛れて、避難所を後にした。


 ほら見ろ、やっぱり世の中はくだらない。

 思った通り、甘く優しい時間など長続きしないものだ。

 そのうえ、持ち上げてから突き落とすなんて悪趣味もいいところだ。

 あの温かい生活の中で、俺は確かにあの少女や住人たちを少しいいヤツかもと思い始めていた。それだけに、あんな身勝手を言われたら憎さ倍増だ。

 結局、俺は世の中のつまらなさを再確認しただけだった。


 あれから、俺はまた一人で生きている。

 だが、俺の生きる世界は以前より厳しくなった。

 あの避難所の連中が俺を見つけるたびに、目の敵のように追い払おうとするようになったのだ。俺の予想を裏切って、避難所はあの襲撃で壊滅しなかった。

 このつまらない世の中で、珍しい事もあったもんだ。


 俺はこれからも、きっと同じように一人で生きていくだろう。この冷たい世の中で。

 だが、あれ以来心に引っかかって離れない事がある。

 この世界が冷たくてくだらないのは、俺がそういう風に思っているからなのだろうか。俺がそう決めつけて行動するから、結果としてそうなるのではないか。

 あの避難所で、住人たちは確かに俺を受け入れてくれた。だが俺は彼らの心を信じられず、どうせ本性は冷たいものと決めつけて裏切ってしまった。

 あの少女も、同じだ。


「信じてたのに」

 少女の言葉が、あの時の裏切られた目が、脳裏に焼き付いて離れない。


 ああ、確かにあいつの身になってみたら、勝手は俺の方かもしれない。

 あいつに連れられて安全な所で寝られるようになったのに、ちょっと危なくなったら守ろうともせずに逃げてしまった。

 己の都合で、人に甘えたり、突き放したり。

 俺は世の中をつまらないと決めつけてそうしてきたが、本当にそうだったのだろうか。


 もしかしたら、あの時少女を憎まずに守っていたら、俺は今でもあの温かい場所のヒーローでいられたのだろうか。

 だが、全ては後の祭りだ。時は、戻せない。

 今の俺にできる事は、俺が冷たくしてしまったこの世界でどうにか生き抜くことだ。

 いつか、温かい世界が俺を受け入れてくれることを願って……しかし、きっとそんな日が来ることはないと、冷え切った心の奥底で俺は呟いていた。

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