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ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
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風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける

 夏本番、水辺と夏ゆえの過ちです。

 若者が夏休みに身も心も解放されて、ついおイタをしてしまうのはお約束です。

 夏らしく、ちょっとおバカでお色気を添えた話をどうぞ。

 西日のカーテンを抜けて、爽やかな風が吹き渡る。

 さらさらと鮮やかな緑の葉が鳴り、下を流れる小川から聞こえてくる水音と合わさって安らぐ調べを奏でている。

 その水音が、今日は一段とにぎやかだ。

 いつもの川の流れに加え、今日は何かが水をすくい上げて流し、それが再び水面に落ちて川と合流する派手な音が混じる。

 そこには、乙女たちのはしゃぐ声が混じり、奏でられる音楽に艶を添えていた。


 華やかで生気に満ちた調べを耳にしながら、男たちは悔しそうに呟く。

「ちっくしょう、楽しそうにしやがって。

 その楽しさの半分でも、俺らに分けてもらえないのかね?」

 もどかしそうに歯噛みして、林の向こうに視線を向ける。

 ぱしゃぱしゃと水の跳ねる音と、女の子たちの黄色い声……そこで何が行われているかは、ここからでは見えない。


 が、見えなくても知っている。

 今、林の向こうでは、女性たちが水浴びをしている。

 わずかに赤みを帯びた西日を反射する柔肌を、清く透明な水が滑り落ち、身も心も解放された女性たちの笑顔が弾ける。

 それは若い男たちにとって、天国に近い光景。


「せっかくこんな近くにいるんだから、さ……ちょっとぐらい、いいと思うんだよ」

 屋外で、しかもこんな近くで展開している天国をのぞくななどという制止は、精気あふれる若い男たちには無理な注文だ。

 何としても、天国の光景を目に焼き付けたい……若い男たちの胸中は欲求で一杯だった。


「何、簡単な事だ。仕事の一部として踏み込めばいい。

 俺たちの役目を果たし、女共を守る……そのために踏み込んだなら、不可抗力だ」

 若者のうちの一人が、ニヤリと笑った。

「もう仕掛けは連れて来てある……後は、そいつが到達するのを待つだけだ!」

 他の若者たちの顔に少しだけ罪悪感と不安がよぎったが、異論は出なかった。誰一人として、欲求に勝てる者がいなかったのだ。

 男たちは手に手に鈍器や刃物を持ち、女たちの声の方に向かった。


 林の中を、ざくざくとのろのろした足音が移動していく。

 木々の間から漏れる光に照らし出されたシルエットは、人間だ。

 それは、ほとんど裸だった。しかし、水浴びのためではない。

 そいつが身にまとっている服は、ほとんど破り取られて無残な布きれ状態だ。そしてその下にあるはずの皮膚すらも所々破り取られ、腐り落ち、変色した肉を露わにしている。

 ずっと歩き続けているのに、息遣いはなかった。もうすぐ天国に踏み込めるというのに、その胸は静かで、生きていればあるはずの鼓動すらない。


 それは、もう死んでいるのだから当然だ。

 死んでいるにも関わらず人を襲い肉を食う死体……ゾンビだ。

 そいつにとって、女たちの水浴び場はある意味で天国である。無防備なエサが、たくさんいるという意味で。


 そんな危険極まりないものを、男たちは必死で誘導していた。

 進んでほしい方向で仕掛けを使って音を出し、ゾンビを水場に向かわせる。

(俺たちの仕事は、女共をゾンビから守る事。

 ならば女共の水浴び場にゾンビが現れて、そいつを倒すために踏み込むなら、仕事の一環だから文句は言われないはずだ!)

 これが男たちが仕事と欲求を直結させて出した答えだった。

 つまり、女たちの水浴び場にゾンビを誘い出し、そいつを倒すのにかこつけて眼福にあやかろうという魂胆だ。


 男たちはゾンビを盾にするように、しかしいつでも倒しにかかれる距離を保って水場に近づいていく。

(失敗は許されん……こんなチャンスが次はいつあるか分からんぞ!)

 ゾンビがこの世に現れてから、男たちが女の肌を目にする機会は激減した。

 以前は夏になれば眩しい水着や薄着の女をいくらでも眺められたのに、ゾンビが出るようになってから女はそんな格好をしなくなった。そのうえプールも羽目を外して盛り上がれるイベントも、なくなった。

 こんな夏の日の水浴びでもなければ、女は肌を晒してくれないのだ。


 ゾンビが進む方向の、林が開けてきた。

 女たちのはしゃぐ声が、よりくっきりと聞こえてくる。

 思った通り、女たちはすっかりくつろいでいる。男たちがゾンビから守ってくれると分かっているから、安心しているのだろう。

 それを考えると少し悪い気もするが、ここでやめようとは誰も言わない。

 ゾンビはきちんと倒す気なのだから、少しぐらい裸を見たっていいじゃないか。


 計画は、完璧だ。

 ゾンビが林から出たら、自分たちも林から飛び出してゾンビを倒す。そのついでに、女たちの裸体をこの目に焼き付ける。

 ゾンビは乱戦の末取り逃がしたのを装うために、騒ぎの後は年寄共が来る前に、あらがじめ集めておいた既に頭を破壊したゾンビを自分たちの持ち場に数体転がしておく。

 これで叱られることなくおいしい思いができる……そのはずだった。


 ついに、ゾンビが林から出て水場に姿を現す。

 それを追って勇んで水場に飛び出した男たちの目の前には、予想通りの天国が広がっていた。

 照り付ける西日を反射して艶をまとった女の肌、一糸まとわぬ魅惑の曲線を描く体。濡れた長い髪からしたたる水滴、絹を裂くような甲高い悲鳴……。


 しかし、ここで計算外の事態が起こった。

 男たちは全員が女たちに目を奪われ、鼻の下を伸ばしたまま停止してしまったのである。


 男たちはもちろん、女たちを見殺しにしようと思った訳ではない。

 ただ、全員がこう思ってしまったのだ。

(俺たちは十人近くいるんだ、俺がやらなくても誰かがやるだろ?)

 つまり、数を頼みにして自分だけは手を抜いても、女の裸に集中しても大丈夫だろうと都合よく考えてしまったのだ。

 そして、全員がそうやってサボってしまったら、当然ゾンビを倒す者はいない。


 男たちが女の体を凝視しているうちに、ゾンビは一歩、また一歩と川に近づいていく。恐るべき死の病毒にまみれた体が、流れる水に近づいていく。

 女たちの顔から、血の気が失われる。

「ちょ、待って、やめてよ!嫌だ、入ってくるぅ!?」

 その切羽詰った言葉にすら色気を感じて、男たちはますます鼻息を荒くする。その間にも、ゾンビは水辺のすぐ側まで来ていた。

「いええぇ!!」

 動いたのは、女だった。

 次の瞬間、ゾンビは女の一人が投げた石で頭を砕かれて倒れた。


 翌日、男たちは全く別の場所で水浴びをさせられていた。

 どうどうと轟音と共に流れ落ちる圧倒的な量の水が、坊主のように丸められた男たちの頭や肩を力任せに殴りつける。

 水辺では、女の代表者と年配の男たちが木刀を持って監視していた。

 これは、ただの水浴びではない……罰の滝行だ。


 若い男たちは煩悩に負けて役目を放棄したあげく、女たちの身を危険に晒した。

 己のくだらない欲望のために、無防備な女たちのところへゾンビを誘導した。そのうえゾンビがいざ女を襲おうとすると誰も動かず、結局ゾンビは女の手で倒された。

 おまけに、乱戦を装って後の叱責を免れようとした形跡まで見つかった。あの後女たちに袋叩きにされた男たちは、用意しておいたあらかじめ倒したゾンビを隠す暇すらなかったのだ。

 かくして男たちの企みは明るみになり、こうして罰を受けるに至る。


「なあ、秋になってどんぐり拾いのついでに行った方が良かったんじゃね?

 そうすりゃ女を危険に晒さなくて良かったし、笑い事で済んだだろ」

 若い男の一人が、隣の男に言う。

 すると、隣の男は小さく首を振って答えた。

「だめだな、水が冷たくなったら女たちはあんなに長いこと脱いでてくれない。

 この作戦は、今が夏だからこそできたのさ。それに、もし秋や冬の冷たい滝でこれをやらされてみろ……冗談じゃないぞ」


 世界が変わっても、夏は変わらず人を解放的にする。そして若者が若さゆえの過ちを犯してこっぴどく叱られるのは、たいてい夏と相場が決まっているのだ。

 それは暑さのせいかもしれないし、日の長さのせいかもしれない。

 常にゾンビに怯え、自給自足で生きねばならなくなった人間にとって、食物と光に恵まれた夏こそが最も余裕のある季節なのだ。


 温まった水を肌に滑らせ、女たちは身を清める。それはこの季節だけの、贅沢な時間。

 それをのぞいた男たちは、滝の下で煩悩を叩き落とされる。それはこの季節だけの、若さゆえの過ち。

 夏が過ぎれば、もうそんな余裕はなくなるのだ。


 水場を囲む林で、緑色のどんぐりをたわわにつけた楢の枝が、流れていく水と夏の営みを静かに見下ろしていた。

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