逃走
周囲映像が全周モニターに投影される。
殆ど真っ暗で何も見えない。
仮想ウィンドウで海底地形図を確認しながら指示方向へと沈んでいく。
ついでに船の構造を別ウィンドウで呼び出して見る。
宇宙船に潜水機能は本質的にある筈のないものだから興味があった。
調べてみるとやはり一般的な潜水艇とは全く異なる方式になっているようだ。
注水区画なんてどこにもありはしない。
重力制御で強引に沈降と浮上をコントロールしているだけなのだ。
推進力は慣性制御と次元推進で得ている。
最新鋭宇宙船の能力をこういった形で使うのは本来の用途からして見たら無駄遣いにしか思えないだろう。
次元推進ユニットは見たこともないような型番だし、機関の定常出力を見ても桁違いにパワフルだ。
船そのものは軍用の宇宙巡航艇といった大きさだが、出力はちょっとした戦艦クラスはあるだろう。
秘密兵器、か。
なんか真実味が感じられてくる。
そもそも次元推進システムは、故意に次元断層を継続的に造り出すことで推進力とエネルギーを確保する方法だ。
反物質燃料が安価に得られる現代にあっては全くと言っていい程に普及していない。
しかもこの船、反物質エンジンも補助システムとして備わっている。
考え得るこの船の正体は何だろうか?
外宇宙への航行を考慮している、と考えたら矛盾は起きない。
反物質燃料の入手が難しい領域を航行するのであれば次元推進システムは有効だろう。
ただ、外宇宙には何もない領域なのだ。
何のために。
それが問題だ。
一番近い太陽系外の恒星系は光の速度でも四年以上かかるのだ。
何らかの実験にでも使っていたんだろうか。
不意にいい匂いがしていた。
振り向くと耳元にパメラの顔があった。
「えっと、何?」
「役得を味わってる所」
そう言うと彼女はフユカとミランダと視線を交わしたようだ。
彼女達もボクを見ていたようだ。
なんか視線が痛い。
「おかしな船よね、これ」
「ですね」
他愛のない会話になるが、それも仕方がない。
視覚、嗅覚、聴覚に異性の魅力で占められてしまっている。
とてつもない刺激だった。
しかもパメラは触覚にも訴えてくる。
ボクの頭に柔らかいモノが当たってるのだ。
わざと当ててるのは明白だ。
フユカとミランダの視線がボクとパメラに注がれている。
人が殺せそうな視線だ。
ヤバい。
今夜はどうなることやら。
《最下部レアアース鉱床区画に入ります。副操縦士は接岸準備を》
リトル・マムから助けが入った。
グッジョブ。
パメラの表情は見物だった。
併せてフユカとミランダの表情もだけどね。
ボクの息子も暴発しないで済んだようだ。
海底地形を表示した仮想ウィンドウを拡大表示させる。
センサー類で海底地形を確認しながら船の沈降速度を調整していく。
船というものは質量が大きい故にすぐには止まらない。
だが、重力制御に慣性制御、それに次元推進を組み合わせているこの船では非常にダイレクトな機動性が保持できているようだ。
潜水してるように思えない。
海底鉱床における作業プラントが現れたが、そこは泥で半ば埋まっているような有様だった。
作業場の最上部だけが辛うじて綺麗に整備されているようだ。
船から放たれる光の中で整備ロボットが区画清掃をしている様子が見えていた。
「接岸位置確認。接岸準備どうぞ」
「了解。三番を準備します」
パメラが準備を始める。
人間が出来る事は人間がやる。
現代にあっても電子脳任せにしないのは所長の方針だが、それだけに技能の見せ所だ。
宇宙空間でも相対速度調整をマニュアルで行える事が人間に求められる。
こういった操作は好きだ。
全身を心地よい緊張感が包んでいる。
仮想ウィンドウに作業場ハッチの位置が表示されていた。
三番搭乗口の可動範囲の位置に付けないといけない。
ただ、その程度は誰にでも出来る事だろう。
ボクの狙いはより早く、より正確に、船をコントロールする事だった。
初めて操作する船でもここまで操作し易いのであれば出来る自信がある。
接岸位置で停止。
船にかかるベクトルは海底に流れる僅かな潮流だけになっている筈だ。
《停止位置確認》
搭乗口をパメラが操作する。
作業場ハッチに有線端子を差し込む。
「接続確認」
《作業場電子脳をこちらでスレイブします》
搭乗口が作業場の上部に接触すると、搭乗口内の海水を抜いていく。
まずまずの出来だったろう。
「よし。私とスニールとで作業場に行って来る。艦橋はビッグ・ママとレオンだ」
所長の指示に若手四人が入ってない。
所長の顔を見る。
「ああ、ニコライはもう休んどけ。ミランダ、パメラ、フユカもだ」
《船員室に誘導します。場所は携帯端末を参照して下さい》
どうやら今日はこのまま何事もなく過ごせそうだ。
昨日、一昨日と酷い目に遭遇してるからな。
携帯端末に指定された船室に向かおうとすると所長に肩を叩かれた。
しまった。
油断していたか?
ん?
いや、感覚が鋭くなりすぎたり鈍くなりすぎたりするような事はなかった。
気のせいか。
「まあ今のうちにゆっくりしておけ」
そう言うと所長は三番搭乗口に向かっていく。
すみません所長、疑ってすみません。
ボクを引っ掛けると思い込んでました。
心の中で謝ると指定された船室に改めて向かうことにした。
船室は広かった。
一人部屋のようだが、結構な広さが確保されている。
ダブルベッドが一つに机と椅子にユニットバスと一通り揃っているが、シンプルで素っ気無いデザインのものばかりだ。
これも長距離航行を前提にした仕様と見るべきなのか。
携帯端末で確認すると、この部屋が一番狭い部屋で同じ広さの部屋は三十ほどもある。
室内清掃整備用のロボットは起動させずにそのままにして、着ているものを脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。
少し頭を冷やしてみる。
体に異常はない。
所長に肩を叩かれたのはやはり気のせいのようだ。
体をエアシャワーで乾かして着替え終えるとベッドに横になって見る。
その瞬間だった。
強烈な睡魔に襲われる。
何だ?
これは何だ?
あっという間に睡魔に意識の底にまで落とされてしまったようだ。
為す術もなく意識を手放したのは所長のせいだろうか?
意識が常に浮いているような気がした。
体は熱で炙られているかのように熱い。
そのくせ体の芯が冷え切っているような気もする。
浮遊する意識が下を見下ろすと、女に圧し掛かって責めている男の姿が見えた。
その両脇に全裸の女達を侍らせている。
まるで獣だ。
男と女が体を震わせて獣の声を高らかに響かせていた。
絶頂に達したのだろう。
だが男はそれで終わらない。
左に侍っていた女に挑むように襲い掛かる。
女も男に絡みつくようにして応えていた。
生々しい声を聞きながら得心している事がある。
あれは、ボクだ。
抑圧されているケダモノのボクだ。
意識が遊離しているのは理性の部分のボクなのだろうか。
拡大していく意識はどこまでも行けそうな位だった。
気持ちがいい。
どこまでも行けそうだ、という誘惑に勝てそうもなかった。
上へ、上へと意識を飛ばしていく。
船内を飛び出すとすぐに海上に出る。
あっという間に成層圏を越えて知覚領域が拡がっていった。
そして止まらない。
地球がまるで月のような大きさで見えていた。
月軌道上まで意識って跳べるものなんだろうか?
知覚領域内のコロニー群の位置も分かる。
肉眼では見えない筈のものが在ると分かるってのも不思議な感覚だ。
もっと遠くに行けそうだ。
意識を拡大しようとした所で何かの声が響いた。
『ちょっと、遠くに来すぎ!』
フユカんおだと分かる。
テレパシーなのだろうけど、耳元で怒鳴られるように響く。
『いあや、ここまで来るともう呆れるしかないね』
ミランダの意識が乱入してくる。
フユカの意識と混じって更に大きく響いてくる。
声じゃないんだけど、正直言って煩い。
そういえばパメラの意識はいない。
『パメラならニコライに組み伏せられてあなたと仲良しになってる最中だからねえ』
赤面できたらどれほど良かった事か。
意識を集中させると確かに触覚でパメラと触れ合っているのが分かる。
背中に爪を立てられている痛みが急に意識に飛び込んでくるものだから少し悲鳴を上げてしまった。
『勝手にそこで仲良くしないでよね?』
いけない、パメラの意識まで乱入してきていた。
三人ともボクの意識と同調している、というのは分かる。
ボクそっちのけで彼女達の間で揉め始めた。
ボクの意識が入り込めない。
呆然とするしかなかった。
艦橋で情報解析を進めていても新人の様子は気になる。
ふと顔を上げただけでビッグ・ママの視線に射抜かれた。
精神同調しているから誤魔化しようがない。
「スニール、あっちはあの娘達に任せておきな」
「はいよ」
《遠隔ですがバイタル・リアクションのみモニター中。問題ありません》
リトル・マムにまで釘を刺される始末だ。
どうにも立場が弱い。
「衛星軌道上に移動してきている連中だがどうだ?」
所長の声に仮想ウィンドウに意識を向ける。
今、所長とレオン、ビッグ・ママと精神同調を行っている。
但しテレパシーは使っていない。
知覚領域の共有と同調効果による範囲と精度拡大で負担は軽減されている。
私はと言えば、知覚した異物の動きを仮想ウィンドウに投影して記録化しているのだった。
所長曰く、電子使いと呼ぶ能力は異能の中でも比較的知られていない能力だ。
並列有機コンピューターの成立には、古いタイプの電子脳をある電子使いが再現して出来たものなのだと聞いている。
私がやっているのは簡単なもので単なるプロトコルといった所であって、大した事はやっていない。
この船の電子脳であるリトル・マムに情報を統合して分析を行っているのだが、センサー類の不足を補っている所長への負担が最も大きいだろう。
その負担は全員で分散しているので、かなり楽になっている筈だが、彼は単独でもこの程度はやってのけるだろう。
所長だけは格が違う。
能力の強さが、ではなく意思そのものの強さが違うのだ。
「どうやら三箇所同時に襲うんでしょうね、これ」
「ギアナ高地上空、マダガスカル上空、小笠原上空に各々これだけの戦力とはな」
仮想ウィンドウに写る影は細長いコロニーのようにも見えるが実態はとんでもない代物だ。
電磁投射砲だ。
「準光速砲。かつて第三次世界大戦で世界を焼いた奴か。とんでもないのが残っていたものだ」
所長の言葉に苦味が滲んでいた。
彼はその時代を実際に体験している。
だからこそだろう、怒りの色は隠しきれるものではない。
「舐められたものです。距離をとれば察知されないとでも思っているんですかね?」
レオンも暢気なようでいて緊張は隠せていない。
口の端に常に浮かんでいるシニカルな笑みは消えている。
「気になるのは理由だ。明らかに狙いはオレ達異能者グループの拠点だが、明確な理由は思い至らないな」
「今回の情報封鎖に関係がありますかね?」
「どこでどう繋がっているのか、思い当たらないが」
疑問は尽きない。
いっそ地球圏連合の本拠地に問い合わせをしに跳びたい所だが、それは協定では禁止事項だ。
どうしたものか。
「ふむ」
「始まっちゃいましたねえ」
所長とレオンの諦め顔は悲しそうに見えた。
父島と直結していたモニター画像のいくつかがいきなり途切れた。
何が起きたのか?
衛星軌道からの直接攻撃だ。
知覚領域で捉えた様子は惨憺たるものだった。
地形が完全に変わってしまっている。
「単純な質量弾頭だな。破壊力は見ての通りだ」
所長は見たことがあるのだろう。
確かに凄まじい威力だ。
例えテレポーターであっても知覚出来ていなければ防ぎようのない、完璧な奇襲だろう。
例え知覚できる異能者であっても移動手段がなければ防ぎようのない、完璧な奇襲になる。
事前に未来を予見できる者でなければ防ぎようがない攻撃だ。
所長もレオンもこの光景まで予見できていたんだろうか?
彼らの予見も条件によって精度が全く異なることは承知している。
実際、こうなることがハッキリと把握できていないからこそ、保険として行動しているのだ。
他のチームから思念が飛んでくる。
『マダガスカル・チームは全員無事を確認』
『ギアナ・チーム同じく』
「小笠原・チームも無事だ。事前通告の指示通りに行動求む」
『ダー』
『シ』
マダガスカルの所長はロシア人、ギアナの所長はアルゼンチン人で返答の思念には彼らの母国語が混じってくる。
地球圏連合は母国語に加えて日本語と英語が必須になるが、簡単な返答は母国語で行うのが通例になってたりするからだ。
疑念は感じるが、それぞれの意識は驚愕はしていてもパニックにはなっていない。
「降りてくる艦艇がいるな。強襲揚陸艇だな」
「二隻いますね」
「舐められたものだな」
確かに降りてくる艦艇の存在が知覚出来ていた。
あれだけの攻撃をしておきながら地上戦も仕掛けようと言うのか。
確認したいだけなのかも知れない。
「南鳥島まで辿って来るかな?」
「気が付くまでには時間がかかるでしょうね」
「気が付いて欲しいんだがね」
え?
そういう意図があったのか。
南鳥島の周囲には太陽光パネルを設置したままだ。
いずれ遠からず見付かる事だろう。
「権力に弾圧される立場はもう何回目ですかねえ」
「まあ今回は結構長く保った方だろう」
「警告はするんですか?」
「地球圏連合にか?あれに警告するのは大した意味を見出せないね」
私も所長とレオンの会話の意味は全て把握できている訳ではない。
思わずビッグ・ママと顔を見合わせてしまった。
「何を意図しての攻撃なのか。探るなら先ずそこからだな」
所長の顔にあの表情が浮かんでいる。
悪戯小僧のそれだ。
悪い顔をしている。
「リトル・マム、接続を切れ。発進するぞ」
《了解》
「レオン、操縦を頼む。行き先は伊豆・小笠原海溝からマリアナ海溝へと進もう」
「ニコライ君達はどうします?」
「朝まで放っておけ。いい感じに能力開発も進んでいる事を祈るだけさ」
所長の顔は更に悪い顔になっていく。
何を企んでいるのか。
この人の心の奥底を覗いた事はない。
精神同調していながらも絶対に明かさない心の奥底がこの人にはある。
当然、私にもそういった領域はあるのだが、この人はその領域が半端なく広い。
何かが始まる。
それだけは確実なことだとしか今は言えそうになかった。




