深海
管制室は事務所の半ば以上を占有していた。
空気は極端に乾いた感じがする。
ここが海の底とは思えない。
《入室確認。ようこそ、五郎、ニコライ》
「調子はどうだ?」
《情報連結及び相互バックアップは終了。順調です》
「下の様子は?」
《整備点検は完璧です》
何の事を言っているのか分からない。
「下に降りる。重力エレベーターの起動はニコライにやらせる」
《了解。生体認証をどうぞ》
まあ何事も経験だろう。
所長に促されて管制室のオペレーター席に座らされる。
手元の生体認証窓に手を置くと、仮想ウィンドウが次々と開いていく。
全周モニターまで展開していた。
古い施設かと思ってたけど、そこそこには新しい仕様のようだ。
仮想モニターのうち、左側に展開しているものは父島ベース基地の映像のようだ。
見慣れた夕方の風景が映っている。
「ここの回線は父島とリンクしているのか?」
《はい。前世紀の光学系有線回線ですが問題なく稼動します》
「日本本島まで直通はある?」
《ここと直通で繋がっているのは父島のみです》
父島ベース基地の様子を確認していく。
ボクの部屋の前の廊下の画像まで撮れるようだ。
一体、何処から見られていたものやら、気がついていなかった。
改めて重力エレベーターの稼動手続きに入る。
稼動に使っている電力源が別系統となっているのが奇妙だ。
鉱床で採取したレアアース泥を運ぶエレベーターそのものは三系統があるらしい。
人員用エレベーターは六系統ある。
正確には施設そのものは七系統あるのだが、四系統には完全に電源が送られていないようだ。
電源元となる発電施設を仮想ウィンドウに映していくが、なんと施設内は空だった。
動力はどうしているのか。
設計図も呼び出したが、確かに発電施設がないとおかしい。
この管制室に来てる電力は何処から来ているというのか。
「電力はどうなっている?」
《深海部中継点に艦艇があります。そこから電力供給を受けていますので問題はありません》
「リトル・マム、お前の本体ってまさか」
《はい。本来の私は艦艇用電子脳です。艦艇内部に設置されています》
「潜水艇だったのか」
《潜水機能もある、と思っていただければ。本来は宇宙船ですので》
宇宙船て。
本質的に宇宙船と潜水艦とでは共通する設計思想もあるが、元々の要求特性が異なっている。
普通は両方の特性を満たすように設計するのはコスト的に見合わない筈だ。
そもそも地球圏連合に潜水艦自体への需要がない。
学術研究程度だろう。
重力エレベーターの起動はすぐに終わった。
いつの間にか搬入口に父島ベース基地から持ち込んだラック類と輸送ポッドがある。
輸送ポッドの中身はインデッスすら表示されない。
搬入口は物理的に閉鎖されてるのにどうやって持ち込んだんだろうか。
その疑問はすぐに氷解した。
輸送ポッドの影からレーヴェ先輩とビッグ・ママを始めとした女性陣全員がいる。
テレポートで運び込んできたのか。
「ニコライ。荷物を下の中継点まで輸送指示をしておけ。人員用エレベーターは二系統だけ動かしておけ」
「了解」
『リトル・マム、後は宜しく』
《了解です、レオン》
「レオン、そのまま下へ先に行ってくれ。ビッグ・ママ達も一緒にだ。夕食はそっちで摂ろう」
『了解』
テレポートできるなら直接下に運んじゃえば楽じゃないのかな?
「下は直接跳ぶには狭いからな。高度な精密さがないとぶつけるだけだからな」
とか思ってたら所長から答えが返ってきた。
もしかして、ボクの思考を読んでるのかな?
「ニコライ。お前の場合は明確に顔に出てるぞ」
顔が赤くなるのが自覚できた。
所長は笑っている。
いつもの意地悪そうな顔でもなく、からかうような顔でもないのが不思議だ。
何故だろう、慈愛に満ちた感情が心に流れ込むような感覚がある。
こんな顔もするんだ、この人。
いつもは実につまらなそうな表情が多いんだけど。
裏があるんだか、ないんだか良くわからない人だ。
管制室にスニールさんが顔を出してきた。
「所長、仕掛けは終わりました」
「よし。レオン、船に着いたらリトル・マムの認証とここの管制を引き継げ」
『了解』
なんか慌しい感じがする。
僅かだがスニールさんの緊張が伝わってくるようだ。
いや、確実に感じられる。
あれ?
もしかしてボク、テレパシー能力を使ってしまっているんだろうか?
少し意識を拡大するように調整してみる。
下方向に集中してみると、レーヴェ先輩と女性陣の五人が知覚できる。
知覚できる、としか言い様がない。
方向、距離、それに周囲の状況がどうなっているのかが感じ取れた。
もっと拡げられそうだ。
管制室の中で話し合う所長とスニールだんの様子を目で追いながら、脳内では別の作業をしていた。
知覚できる距離を拡げる。
方位は指定せず、全周を意識する。
地上の様子が見える。
南鳥島の周囲に展開する太陽光パネルが感じ取れる。
もっとだ。
もっと先を見てみたい。
急速に意識領域が拡がるような気がしていた。
そしてそれは気のせいではなかった。
父島の様子まで、知覚できていた。
『ニコライ、そこまで。レーヴェ達が下に着いたから俺達も降りるぞ』
急に脳内で言葉が弾けた。
テレパシーだ。
体中の筋肉が電気で痺れた様に反応していた。
す、凄く驚いてしまった。
いつのまにか所長の手がボクの肩に置かれている。
「遠くに意識を飛ばし過ぎると近くの事に気付かない。異能者でも普通の人間と同じ事が言える。覚えておけ」
もう驚きすぎて頷くしかない。
『ニコライ君。引継ぐから君もこっちにおいで』
レーヴェ先輩から声がかかる。
《権限委譲しますか?》
「もちろん。先輩、お願いします」
《了解。船内管制も並行して進めますか?》
『当然。支援はなしでいいよ』
管制を先輩に任せると所長の後を追う。
事務所は最低限の照明にまで落とされていった。
所長とスニールさんと一緒に人員用エレベーターに入るとリニア制御が働き出す警告起動音が響く。
音もなく床ごと斜め下へと降りていく。
意外と古臭さを感じない造りだ。
「所長、質問いいですか?」
「うん?なんだ?」
「保険、と聞きましたが、何に対する保険なんですか?」
「命だよ。俺たちのな」
「命?」
「先刻も言ったのと一緒だ。意識してない所からぶん殴られたら異能者でも案外簡単に死んじゃうんだよ」
なんかおっかない例えだ。
誰かに命でも狙われるような恨みでも買ってるんですか?
「なんか命を狙われる理由でもあるんですか?」
「さてどうかな?現在進行している情報封鎖が気に入らないだけと言えばそうなんだがね」
所長の溜息は珍しくはないが、今はその心情が分かるような気がする。
確かに何かを感じているようだ。
そう。
当たって欲しくない不吉な予感。
間違いなく彼は外れて欲しがっているのだ。
潜水艇の外観は確かに宇宙船のようだ。
艦型は見たことのないタイプである。
外装塗料は耐宇宙線用途で良く使われている物のようで、見慣れた質感がある。
側面ハッチを開けて荷物を搬入しているのが見えていた。
所長は携帯端末から仮想ウィンドウを通じて作業の進捗を見ているようだ。
タラップを登って生体認証を済ませると艦内に入る。
意外に中は広いようだ。
というか一般的な宇宙船に準拠した造りのように見える。
艦内保安設備なんかは見た覚えがある汎用のものだ。
《搬入作業完了です》
『全員艦橋に一旦来て下さい』
レーヴェ先輩に促されて所長もスニールさんも艦橋に向かうようだ。
ボクも付いていく。
途中でビッグ・ママ達女性陣と合流する。
「搬入おつかれさん」
所長はそれだけ女性陣に声をかける。
ビッグ・ママは片手を上げてそれに応える。
皆が揃って艦橋に着くとそこはまさに宇宙船の艦橋だった。
艦橋そのものがリニアフロート式で衝撃干渉機構なのが分かる。
球形に全周モニターが展開しており、係留してある周囲の様子が写っていた。
軍用の本格的な仕様だ。
民間宇宙船では操縦士にのみ同様の全周囲モニターを付与する場合が殆どなのだ。
《ようこそ皆さん》
「皆、適当に座ってくれ」
艦橋の椅子は全部で十脚ある。
簡易ホイストで支えられているように見えるが、無重力下で安定した姿勢を保持する機構なのだ。
リニア式と重力制御式を組み合わせた豪奢なものになる。
どんだけ金がかかっているんだか。
この艦橋仕様だと席により定まった役割が与えられる訳ではない。
どの席でも全ての業務を割り振れるようになっている。
このメンバーの中で登録されている優先順位に従い、電子脳が人間の指示に従うのだろう。
無論、ボクが最下位なのは確実だ。
適当に一番端の椅子に座る。
座り心地はフロート式特有の柔らかくも頼りなさそうな感触だ。
良く見たら個人用脱出ポッドのような設備が付いている。
「これ、ナノポッドですか?」
《はい。ここから直接遠隔操作を行う事が可能です》
リトル・マムは事も無げに言い放つが、これは尋常ではない。
普通は別室で集中管理するのが基本だ。
「こんな船はこの世にそうはないよ。艦籍は地球圏連合にすらない」
「え?」
レーヴェ先輩の説明に対して疑問の声を上げたのはフユカだった。
知らなかったのか。
「元々は軍技術局が開発した船だけどね。正式に進水すらしてないから艦籍がないんだよ」
「そんなのがどうしてここにあるんです?」
「脅迫した」
皆が絶句する。
レーヴェ先輩だけはニヤニヤしている、という事はからかっているのだろう。
「間違えた。秘密兵器を預かっている」
皆が嘆息する。
たまに所長は変だ。
我々は皆どこか少しおかしい、とはイタリアの慣用句だったかな?
全員、何かしらどこか変な所があるとは思う。
ボクも他人から見たら変に見える部分があるだろう。
異能者の時点でおかしいけど。
全員が座り終えると別のホイストが食事を運んできた。
椅子がトレイを受け取っていく。
最新式の配膳だが料理そのものはダッチオーブンで作ったお手製のものだ。
艦橋にいい匂いが充満する。
「とりあえず夕食を片付けよう」
所長はそう言うと早速食事を片付け始めた。
結局。さっきの質問を有耶無耶にしてしまっている。
ボクも蒸し返す気が起きない。
《所長、マダガスカル・チームから伝言があります》
「繋げ」
《テキストで一文のみです。ベース基地には当分戻らないとの事です》
「ふむ」
マダガスカルの異能者チームの編成も八名だと以前に聞いた覚えがある。
今頃現地は昼だろう。
地上にはもう一チーム、ギアナ高地にもいる。
それぞれ、チームを率いる所長がいるが、うちの所長が便宜上では上位になっている筈だ。
情報網が殆ど寸断されている現状で良く連絡が取れるものだ。
テレパシーで伝達できれば楽だと思うんだけどなあ。
「ギアナ・チームから返信は?」
《ありません。こちらから伝言も残してあるのですが開封確認ができません》
「時代が二百年以上後退したみたいだな」
二百年か。
第三次世界大戦が連想される。
既存の情報網が全てズタズタに寸断されていた時代だ。
その爪痕は未だに癒えておらず、現時点で自然環境回復事業が目標の半分にも達していない。
食事が終わると配膳したホイストが食器を回収していく。
《機関正常。オペレーターは指定なさいますか?》
「機関はフユカ、艦内設備はミランダ、主操縦はニコライ、副操縦はパメラだ」
フユカとミランダの表情に何か険しい感情が浮かんだ、そんな気がする。
僅かにだがボクのテレパシー能力は向上しつつあるみたいだ。
彼女達の感情が見てとれる。
その一方でパメラに表情は甘く蕩けるような雰囲気だった。
たかが操縦を主副で組むだけでこれだ。
何だって三人ともボクにここまで好意を寄せてくるのか、良く分からない。
まるで分からない。
「微速で潜行。行き先はレアアース採掘現場だ。緊急回線との接続は採掘現場でもできる」
「はい」
全周モニターに重なるようにリトル・マムの支援で仮想ウィンドウが幾つか展開していく。
進行方向指示がに合わせるようにトリム調整して潜行する。
「所長、そう言えばこの船の艦名はあるんですか?」
「ない。艦籍がないからな」
そんなバカな。
発進の号令が決まらないじゃないか。
「リトル・マム、微速で進むよ」
左手の操縦桿と右手のトラックボールを僅かに微調整してゆっくりと船を進めていく。
同時にボクの知覚は周囲の海水の感触も感じ取れるようになっていた。
「周囲に脅威なし」
《ナビゲート支援良好》
パメラの嬉しそうな声といつものリトル・マムの音声が艦橋に響く。
同時にフユカとミランダの視線を痛い程に感じ取っていた。
なんか怖い。
後でどうにかフォローしておかないといけないんだろうか。




