南鳥島
拡大EU大使館に宇宙からの特使が到着していた。
ようやく宇宙側から情報がもたらされたが、それだけに失望も大きかった。
度重なる宇宙港奪還失敗。
そして情報封鎖の原因解明も進んでいないのだ。
特使といっても拡大EU側に利する情報提供も皆無といった有様だった。
第三次大戦以降、地球圏連合と拡大EUは相互を最高の友好国として認識し続けてきた。
情報が分断された今でもそのスタンスは変わっていない。
にも関わらず、相互に漂う雰囲気には只ならぬものが含まれているのだった。
地球圏特使の随員には拡大EUのコロニー開発公社顧問の姿もある。
外務省による配慮であるのだが、地球圏連合内の混乱振りを暴露される事が懸念されていた。
だがそれ以上にこの宇宙と地球の分断が地球圏連合が主導しているものでない事をアピールする事が優先された結果だった。
どう転ぼうとも傷が残る事は承知なのだ。
そういった外交特使の随員は多岐に渡る情報の交換を行い、与えられた執行権に従って業務をこなしていった。
官僚とはそういったものだ。
彼もまた経済官僚として、宇宙港封鎖を前提とした経済支援効果の確認作業を行っていた。
大気圏突入と離脱を前提とした宇宙船は今や前世紀の遺物以外には軍の強襲揚陸艇しか残っていない。
事実上、使い捨ての大気圏降下シールドを利用するしかないのは分かっており、早々に仕事は終わってしまっている。
同行する外交官僚に試算データとコメントを端末に残すと彼はもう一つの仕事に取り掛かる。
大使館の給湯室に紅茶を淹れていると相手が来た。
彼女は紅茶ではなくコーヒー派のようだ。
事前の通達の通りの容姿だった。
「ZXC00120-0074、だな?」
「ええ」
「私はZHC015058-0457」
彼女とパーソナルリスト照合を済ませると正常の表示が示された。
少しだけホッとする。
「ではこれを」
データキューブを渡す。
これで私はもう用済みだ。
どうでもいいが、紅茶の香りとコーヒーの香りが交錯しているのが気になる。
任務を果たしたのだから、この場を離れようと思ったのだが、彼女が離してくれなかった。
「私の方からもこれを。最優先」
キューブが二つ、手渡しにされた。
二つ、というのは異例だ。
「最優先?」
「言葉通りだ」
監察官は色々な部署に潜り込んでいるが、監察官同士に身分の上下はない。
どこまでも内部監査の任務を通じてのみ、相互に協力体制をとる事が求められている。
表立って動く人員は限りなく少ない。
いや、いないと言っていい。
表に出てしまったら身分はすぐに造り替えられるからだ。
「連絡艇の使用許可は主電子脳緊急優先コードを使え」
「私が?」
「そうだ。どうしても必要だ」
尋常ではなかった。
つまり私の今の身分を廃棄して別の身分に造り替えられる事を意味する。
「私には拡大EUの監視が貼り付いている。現時点で私が動きすぎるのは不可能だ」
「了解」
監察官に与えられている裁量権は広い。
それだけに他の監察官に不利を強いる指令を出す可能性も事前に考慮されている。
彼女の指示は、彼女自身も、そして私も、互いの立場を危うくしてでも伝達すべき重要事項ってことだ。
私に否はない。
「口頭で引継ぎ事項は?」
それだけを聞いた。
「ここに置いてあるお茶は最低。いいハーブティーか緑茶でも置いておくべきね」
しまった。
備え付けの紅茶を淹れてしまっている。
一口飲んでみたが、いい茶葉でないのはすぐに知れた。
「実にありがたい指摘だな」
「次にここに来る機会があれば差し入れして欲しいわね」
それは切実な願いなのだろう。
心の片隅に留めて置くことにした。
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朝、起きたらベッドにいたのはボクだけだった。
昨夜の乱れ振りの痕跡は残っている。
夢じゃない。
昨夜は前半、確かに襲われていたが、後半は襲い返した。
そんな気がする。
記憶が曖昧なのは何故なんだろうか。
起床したのはいつもの時間だった。
体調はいつの間にか元に戻っているような気がする。
自動機械に室内の清掃を任せてシャワーを浴びると、朝食を摂るため食堂に向かう。
食堂で待っていたのはスニールさんだけだった。
「やあ、おはよう」
「おはようございます。他の皆さんは?」
「女性陣は別件でもう出かけたよ。所長とレオンは君を待ち構えているよ」
「待ち構えて?」
「いるねえ、あれは。君も気の毒に」
逃げたくなった。
割と真剣に逃げたい。
でもその手段はなにのであった。
「ここ数日、一体何が起きているんです?」
「君のこと?世界のこと?」
「両方ですよ」
「そうだな、世界の変貌を加速させようとしている存在がいるってのは間違いないんだがね」
そう言うとお茶を啜る。
《お早うございます、ニコライ。朝食を運びますので暫くお待ちを》
「ありがとう、リトル・マム」
食事が自動機械で運び込まれた。
その量がまた半端ない。
「なあ少年、漏尽通って聞いたことはあるかな?」
何ですかそれ。
「いえ」
「仏や菩薩が備える超能力、と言えばいいかな。運命を知る力とも言うがね」
「運命、ですか?」
「解脱する事に繋がる力だとも言うな」
「仏教用語は判らないんですが」
「この世界に未練を残すことなく別世界に行ける。そんな感じになるかな」
「宗教学は概論で止まってるんです」
少し言い訳しておこう。
ボクにも日本人の血が半分入っているのだから知っていておかしくない話だろう。
「うん。昔から超能力として漏尽通はある、とされてきた」
「されてきた?」
「確かめた事はないそうだ。輪廻の輪から解脱したら戻る事に意味はないからねえ」
スニールさんは何故か苦い顔をしている。
思考同調ができていないから何を考えているのか、知ることができない。
お茶が苦かっただけなのかもしれないけど。
「何かボクの訓練とも関係するんですか?」
「いや。ただ異能者たる者、究極の願いに通じる力だからね。知っておいて欲しいんだよ」
割と砕けた態度で接する事が多い人だけど、今日は何故か真剣だ。
「私も異能である事から解脱したいものだよ」
「はあ」
何と答えていいものか分からなかった。
「おおそうだ。食事を終えたらクルーザーに集合だ」
それ、先に言って欲しかったなあ。
スニールさんはボクが食事を終えるのを待たずに先に行ってしまった。
一人で食事というのも久しぶりだ。
そして味気ない朝食はいつもより時間が掛かってしまっていた。
駐機スポットにはクルーザーが一機だけ残っている。
もう一機の同型機の姿だけでなく、大型の高速艇が見当たらない。
残っているクルーザーの甲板には所長とスニールさんが何やら話をしているようだ。
『やあニコライ、早速乗り込んで操縦室へ』
外部スピーカーから流れる声はレーヴェ先輩のものだ。
生体個人認証を済ませるとタラップを登っていく。
《搭乗確認しました》
リトル・マムの声がするといきなり重力制御がかかって機体が浮上する。
随分と慌しい。
操縦席ではレーヴェ先輩が居座ってリトル・マムに指示を出している。
珍しいな。
ボクが研修で習って以来、主操縦席に座っているのは見たことがない。
「これから洋上太陽光パネルを設置する。ニコライは副操縦席に」
「はい」
副操縦席で受け持つ作業は操縦者の補助だ。
つまりは雑用って事になる。
細々とした船外作業の指示はボクがやる事になるんだろうな。
搭載備品チェックをしていると太陽光パネルが確かにあった。
仕様詳細を別の仮想ウィンドウで表示させる。
前世紀の遺物と言ってよい代物だ。
それもそうだ、地球上で太陽光発電をするだけの意味は殆どなくなっている。
宇宙空間で反物質燃料に置換して、宇宙から地上に持ってくる方が遥かに安上がりで確実だからだ。
宇宙港さえ封鎖されていなければ、の話だが。
これら太陽光パネルも当座のエネルギー問題を先延ばしにするものでしかないだろう。
反物質生成プラントも付いていないから貯蔵の問題もある。
気になるのは増設してある輸送ポッドの中身だ。
詳細表示が出てこない。
《位置情報支援はありません。ジャイロにも異常を検知。周囲映像を基準に航行ナビゲートを開始》
「ジャイロに異常?」
《はい。安定しません》
地磁気異常でも起きているんだろうか?
まあ日常的にこの周辺は飛び回っている事だし、迷うことはなさそうだが。
「行き先は南鳥島だよ」
へえ、久しぶりだ。
南鳥島は地球圏連合の日本所轄では最東端にある島だ。
第三次世界大戦前には、極端に進んだ温暖化により海中に没する寸前になったこともある。
今は逆に寒冷化が進んで島は安泰ではあるが、塩害の影響で自然環境は大きく変化してしまっていた。
かつて大規模なレアアース海底鉱床の掘削拠点兼運搬中継地点として発展した島でもある。
第三次世界大戦中、レアアース資源を狙われて何度も戦闘が行われた激戦地でもあるのだ。
今はもう何も残っていない。
海中探査の際、野外キャンプをする場所として利用している程度だ。
運転席側に所長も顔を出してくる。
「リトル・マム、反物質燃料はどうだ?」
《十分に余裕がありますが》
「本島側から余分に確保できないか、要請も来てる。どうもいい傾向じゃないぞ」
情報封鎖。
それに物流封鎖だ。
宇宙側から支援物資を降下させる事は可能だろうが、いかにも効率は悪そうだ。
誰もが皆、不安なのだろう。
「ニコライ、太陽光パネル展開設置はお前さんに任せる。実地チェックもやれ。海には入るなよ」
「了解」
あの辺りの海には人を襲うサメがいるのだ。
言われなくとも海中で泳ぐ気は起きない。
南鳥島には程なく到着した。
正三角形の形をした小さな島だ。
平坦で周囲は綺麗な珊瑚礁で囲まれている。
既に先客のクルーザーと高速艇が駐機していた。
何やら地上で敷設作業を行っているようだ。
人型作業機を遠隔操作で操り、簡単な建物を作り上げているようだ。
「ニコライ、このまま太陽光パネル設置作業を開始しろ」
「了解」
《マニュアルにより簡易遠隔操作にて作業を指定です》
リトル・マムの指示で簡易型バーチャル・リアリティ操作機器が降りて来る。
このタイプは好きじゃないけどしょうがない。
クルーザーに搭載してある作業機を作動させる。
結局、太陽光パネルの設置には昼食前までかかってしまった。
昼食はいつもと様子がまるで違っていた。
野外で昔ながらの調理器具を使った料理の数々だ。
ダッチ・オーブンが大活躍。
全て炭火で調理したようだった。
パンにメインの鳥蒸焼きと野菜スープにプディング。
ビッグ・ママが作るにしてはシンプルだがこれはこれで美味い。
「美味かったかね?」
「もちろんです」
「作ったのはフユカ、ミランダ、パメラの三人だよ」
えっと。
そう聞くと味が違って感じられる。
フユカの顔を見る。
なんか怒ってる様に見えるが気のせいだろうか?
ミランダの顔を見る。
明らかに何かを期待している表情だ。
パメラの顔も見る。
気にしない風を装っているが目端でボクをチラチラ見ている。
「ええ、とっても美味しいですよ?」
実際、食べきったし。
他の皆も完食してるし、問題ないと思います。
三人とも少しだけ嬉しそうな顔を見せてくれたようだった。
気のせいかもしれないけど。
ボクは何故かドキドキしてしまっていた。
食後の紅茶の味はあまり良く覚えていない。




