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哲也は母に頼まれたと言う、スーツの男…新藤の言葉を聞いて、感情はただの不快感から苛立ちへと変わった。


この教師が自分をどれだけ傷付けたのか、知っているだろうか。きっと知らないくせに、僕だけには他人を傷付けることは、我慢しろと言っているのだ。


「事情も知らないくせに。うるさいよ」


哲也は頭の中でボールを投げ付けるようなイメージを浮かべ、力を飛ばした。この力は不可視のもの。大人だろうが、何人で襲ってこようが、簡単に吹き飛ばすことが可能だ。例外はない。そう思っていた。


しかし、この新藤と言う男は違った。


哲也にしか見えていないはずの力を、認識しているかのように、身を捌いて躱したのだ。


「哲也くん、やめるんだ。お母さんも君のことを心配している」


この男は特別かも知れない、と思ってしまったが、出てきた言葉はあまりに凡庸で哲也を苛立たせるものでしかなかった。


「お兄さんには、関係ないだろう。僕は気に入らないやつは、全員この力で痛め付けてやるんだ」


「そんなことをして、何人傷付けるつもりなんだい?」


復讐の対象…それを問われ、哲也は改めて考えてみた。教師を痛め付けたら、次は誰だろう。


気に入らないやつなんて、たくさんいた。そうだ、自分は学校で会う人間だけでなく、この街ですれ違うやつら、全員を嫌悪していた。


いつも自分ばかりが人に道を譲っていた。同じ道を歩いて向かい合ってしまったのなら、半歩ずつ横に移動して、お互いが譲れば良いだけの話なのに、この街の人間の誰もが哲也に道を譲らせた。


そんなやつらばかり溢れるこの街は、全員が痛い目を見るべきなのだ。


「何人? 分からないよ。この街の人口がどれだけか、知らないからね」


「君にとって、この街の人間すべてが敵なのか?」


「そうだよ。もしかしたら、この街の外の人間も悪いやつかもしれない。そしたら、日本中が敵かもしれないし、世界中が敵なのかもしれない」


「……君はこれまでたくさん辛い思いをしたかもしれない。だけど、世の中のすべてが君の敵と言うことは、絶対にない。中には優しくしてくれた人だっていたはずだ」


そうだろうか、と哲也が頭の中を巡らすと、最初に出てきたのは、沢木の顔だった。でも、あの人の優しさは偽りでしかなかった、と彼は知ってしまったのだ。


他にも自分の才能を認めてくれた人は、二人いたけれど…もしかしたら、どちらも自分を騙しているのかもしれない。信じられるのは、自分の才能だけだ。


それなのに、新藤と言う男は優しい人がいたはずだと言う。


「これからだって、また出会うことになるよ。君を好きになってくれる人たちに」


「……そんなわけがないだろう」


哲也にとって、新藤がかける言葉は、ただの綺麗事で信じられるわけがなかった。だとしたら、今すぐ自分を救ってみろ。そう叫びたかった。


だが、哲也はその代わりに力を振るうことにした。新藤は何度か哲也の力を躱して、驚かされたが、そんなことが可能であるわけがない。きっと偶然しかないだろう。


哲也は複数の方向から力を発生させ、新藤を包囲した。今度は捉えてみせる…はずだったが、同時に迫る不可視の力に対し、新藤は野生動物のように危険を察知したかと思うと、僅かな隙間を縫うように、その場から離脱したのだった。


そして、ただ回避しただけでなく、駆け出すと哲也の方へと迫ってきた。流石の哲也もこれには焦ったが、がむしゃらに力を放つと、一つが新藤を直撃した。当たってしまえば、怖れることはなかった。新藤は放物線を描くようにして後方へと吹き飛ばされ、地面へと激突すると、動かなくなったのだ。


少しびっくりした…と心の中で呟きながら、自分の力が通用したことに安心する。見えない力を躱したことは驚いたが、その気になればこんなものだ。いや、本気になり過ぎたかもしれない。その証拠に新藤という男はいつまでも立ち上がらなかった。


「こ、殺した!」


悲鳴のように叫んだのは、少年たちの一人だ。ちょっと気を失ったくらいで騒ぐな、と哲也は思ったが、いつまでも立ち上がらない新藤の方に視線を戻すと、彼の頭部の辺りで、赤い液体が広がって行くのが見えた。


「死んでる!」と他の少年が言った。


少年たちは恐怖に耐えられなくなったのか、一斉に逃げ出した。教師に至っては既にいない。どうやら、哲也が新藤の相手をしている間に、逃げていたらしい。


殺した?

自分が人を殺してしまったのか?


哲也はどうすれば良いのか分からなかった。あれだけ簡単に人が死ぬだろうか。いや、特別な力なのだから、有り得るかもしれない。哲也の中で少しずつ恐怖が湧き上がってくる。罪の意識ではなく、ただの恐怖だ。それは何に起因しているのかは分からないが、心が恐怖で満たされてしまいそうだった。


哲也は走った。どこに行けば良いのかは分からないが、とにかくその場にはいられなかったのだ。





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