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乱条の訪問から数日後、如月探偵事務所には待ちに待った依頼人がやってきた。
年齢は四十代前半から中盤と見られる女性で、高そうなスーツを着込んでいることから、稼ぎもありそうな雰囲気であった。立ち振る舞いは上品だが、時折見せる視線は鋭く、きっと職場では恐れられているだろう、と新藤は想像した。
この手の人間であれば、もっとまともな探偵事務所に依頼するだろうが、そうでないところを見ると、如月探偵事務所の噂を聞き付けてやってきた相談者なのだろう。
「息子の様子がおかしいのです」
相談者は名前を志水佳苗と言うらしいが、来客用のソファに座るなり、すぐに用件について切り出した。
「おかしい、というのは具体的にどんな感じなんですか?」
まさか、思春期の息子に関する悩みではないか、と新藤は少しだけ疑った。しかし、志水の息子の話は確かに異常だった。
「少し前から部屋に篭りがちになって…いえ、元から部屋に篭りがちではあったのですけれど、その時間が長くなり始めたんです。最初は勉強に力を入れているのかな、と思ったのですが、違ったみたいで…こんなものを隠し持っていたのです」
志水がバッグから取り出したのは、ハンカチだった。どうやら何かが包まれているらしい。
「これです」
そう言って差し出されたのは、銀色のスプーンだった。
「ただのスプーンですよね?」
「はい。でも、うちで使っているものではありません。どこからか、持ってきたのです」
新藤はこれだけでは、志水の息子が異常であるとは、思えなかったので、頭の中で首を捻った。万引きにしたって、子供がスプーンをチョイスするだろうか。大人だって微妙なところだ。志水は続ける。
「これをあの子が隠していたのを見つけたときは、ちょっと気持ち悪いな、と思っただけだったのですが…この後から少しずつ反抗的になったんです」
「今までは、あまり反抗しない子だったんですか?」
「はい。ちょっと不器用で失敗は多い子ではありましたが、基本的には私の言うことを聞いてました。勉強をしろと言えばやっていましたし、片付けも定期的にやっていました。ほんと、不器用で人見知りがなければ、良い子なんです」
新藤は不器用という言葉が妙に強調されているように思えた。ただ、それは指摘することはせず、志水が話を続けるまで待った。
「それで、この前…ちょっと注意したんです。そしたら、私を睨み付けてきて…。私もカッとなっていたので、ちょっと強い言葉を使ってしまった…というのはあるかもしれませんが、まさかあんな目をするとは思っていなかったので、びっくりしてしまって…」
たぶん、手を出したのだろう、と新藤は思った。
「もう少し強めに注意したら、私の後ろにあった窓ガラスが、突然割れたんです」
その瞬間のことを思い出したのか、志水の顔は青くなっていた。どうやら、野球ボールが飛んできて、窓が割れたわけではないらしい。
「もしかして、外からの衝撃で割れたわけではない、ということですか?」
新藤の質問に志水は頷いた。
「割れたガラスはすべて外側に飛び散っていました。部屋の内側から衝撃が加わったことは間違いありません。そのときはただびっくりして、とにかく業者に連絡したり原因を調べたり、そんなことをしている間に息子への注意もうやむやになってしまいました。私はただ気圧の異常とか、ガラスの劣化とか…無理矢理にそういう原因に結び付けて自分を納得させましたが、これで終わらなかったのです」
「またガラスが割れたんですか?」
「いえ、家にあるスプーンが全部曲がっていたり、私が使っていたアクセサリーが変な方向に曲がっていたり…とにかく、色々なものが知らぬ間におかしな状態になっていました。そして、私が気付いたときには、必ず後ろにあの子がいて…笑っているんです。私が困ったり不気味がったりするのを見て、笑っていたんです。この子がやったんだ、と思っても…どれも大人が力を込めても曲がらないものが曲がっていたり粉々になっていたりするのです。それで私は怖くなってしまった」
「それは…大変でしたね」
志水は頷く。少しだけ涙ぐんでいるようだった。
「それで、色々と調べているうちに、この探偵事務所について知ったのですが…その矢先に、あの子がいなくなってしまったんです」
「いつからですか?」
「昨日、学校へ行ったきり…」
「なるほど…」
「早く見つけないと、あの子は大変なことをしてしまう気がするんです。そんなことはないと思うけど、あの子があの力で人を殺してしまうことだってあり得るのではないかしら」
新藤は異能力者が本気になれば、それが簡単なことだということは知っている。そのせいで、気休めの言葉は出てこなかった。志水はその気配を察したのか、膝の上で握った拳が震えていた。
「止めないと…でも、どこにいるか少しも分からなくて!」
感情が爆発したのか、志水は声を上げ、手の平で顔を覆いながら俯いてしまった。
「志水さん、落ち着いてください。お調べいただいているように、僕たちはこの手の事件に何度も関わってきました。きっと、他よりは早く息子さんの所在を調べて、比較的に最適な対処もできると思います」
「どうか、あの子を止めてください…取り返しのつかないことになる前に」
そう言って、志水は泣き崩れた。




