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それから、宗谷は今までと変わらない日常を送るが、頻繁に会田のことを思い出した。もし、会田の人生が後悔にまみれたものだとしたら、原因は自分にある、と。
過去の自分の経験と重ね合わせると、胸が痛い。長い人生の中、会田と関わった時間はほんの僅かではあったが、命を助けられたこともあってか、妙に共感してしまい、彼の喪失を自分のことのように感じていた。
宗谷は罪悪感を拭えないまま、何事もない日常の瞬間、暗い水の中に放り込まれるような感覚を時折抱くようになってしまったが、良い変化もあった。
それは、娘が骨董店を手伝ってくれるようになったことだ。父親の体を気遣い、仕事を辞めてまで支えようとしてくれる娘の姿を見ると、申し訳ない気持ちはあったが、単純に嬉しかった。
ただ、娘が今まで以上に明るく振る舞っていることに気付く。何かいいことがあったのか、と聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「実は、お父さんを助けてくれた会田さんと交際を始めたの」
宗谷は最初驚いたが、すぐに「よかった」と単純に思った。結婚するように見えなかった娘に、良い人が見つかったことはもちろんだが、会田が救われるきっかけになるかもしれない、という期待も抱いたのだ。
親の欲目というやつかもしれないが、娘は器量良く心優しい人間だ。そんな娘によって、会田の喪失が埋まるのだとしたら、自分の抱えていた罪悪感は消えるかもしれない。
宗谷の期待に応えるように、二人は順調に交際を続け、結婚に至る。宗谷は、背負ってしまった罪悪感を降ろせるかもしれない、と考えたが、確証のない不安は彼の脳裏にこびりついたまま、離れることはなかった。そして、その不安は確かな形で宗谷の目の前に現れるのだった。
「あの石は、真司くんの記憶だよ。彼が結婚前に想いを寄せていた、女性を想う記憶だ」
宗谷が語った過去を聞き、新藤は理解する。
「記憶を石にして抜き取った…ということですか?」
会田は文香のことを知らない様子だった、と瀬崎は語っていた。しかし、宗谷の話を聞けば、辻褄が合うというものだ。石となって抜き取られた記憶を会田は覚えていないのだ。
宗谷は頷いてから、失われた記憶について説明を続ける。
「私は、何度か娘が泣いている姿を見ていた。詳しくは聞かなかったが、真司くんと上手くいかないことがあって泣いていることは明らかだった。真司くんは優しい男だが、たぶん娘だけを想うことは、できなかったんだと思う。忘れられない相手が、常に頭の片隅にあったんだろうね」
「そうとは限らないのでは…ないでしょうか。夫婦なら何かしらでぶつかることくらい、あると思います」
宗谷は首を横に振る。
「実際に、真司くんから取り出された記憶の姿形を見たら、そう思うしかない。貴方だって、あの石を見て美しいと思ったでしょう?」
宗谷の問いかけを否定することは、できなかった。確かに、あの石は美しかったから。それは、会田真司の記憶が反映されている、と言うのだろうか。
「それに、記憶を失った真司くんは、娘と上手くやっているんだ。彼があの記憶を失ってから、一度も娘が泣いている姿を見たことはない」
宗谷の視線が僅かに逸れた。
それは、店先で何やら作業している娘の背中に向けられているのだろう。
「高月さんのところの奥さんが、昔の彼の相手だったと知ったのは、偶然だった。商品を高月さんの家に届けたとき、彼の奥さんの姿を初めて見た。一目で分かったよ。石が映し出した記憶の中で、彼女の姿は鮮明だったから」
目を細める宗谷が抱く感情がどういうものなのか、新藤には理解できなかった。だが、宗谷自身が想い続けた人に再会できたような、感激とも恍惚とも言えるような激しい何かを思い起こしているように見える。そんな表情が消えたかと思うと、宗谷は震えた声で語りを再開した。
「私は真司くんに対する罪悪感と、娘を憐れに思う気持ちから、石を高月さんのところに忍ばせることを思い付いた。報われることのない真司くんの情熱を、せめて彼女の傍に置いてやりたかったし、娘を傷付けるような彼の感情はどこか遠くへ放ってしまいたいと考えたんだ。でも…」
宗谷は目に微かな涙を浮かべる。
「でも、それは間違ったことだったんだ。人の過去を、人生を捻じ曲げるなんて、きっとどこかに歪みが生まれる。それを怖れた私は、石を取り戻そうと思った。だが、高月さんは一度手に入れたものは手放さない。私が返してほしいと言うと、価値が高いものだと勘違いしてしまい、逆効果だった。だから、クレアに頼んでまであの石を取り戻すつもりだったが…まさか、既に私が恐れていたことが、起こっていたなんて」
宗谷は語る気力を失ったのか、黙り込んでしまう。すると、室内は沈黙だけが支配し、僅かに宗谷のすすり泣くような音だけが聞こえた。そんな空気を真っ先に変えようとしたのは、クレアだった。
「新藤晴人…店長は誰かに危害を加えるつもりなんてなかったんだ。でも、この状況を放っておけば、今度こそ誰かが酷い目に合う。だから、あの石は店長のもとに……」
彼女の懇願を耳にして、新藤と如月は顔を見合わせた。一度手に入れた美術品を手離さない、という高月文也。彼の元から、石を取り戻すには、たった一つの方法しか思い当たらなかったのだ。




