◆
百地優花梨と木戸康弘の出会いは、中学校に入学したときだった。
真面目で人当たりの良い百地は、多くの人に好かれた。そんな百地に対し、木戸は別の意味で目立っていた。 背が高く、男らしくて堀の深い顔に、堂々とした態度。先生や先輩に対しても物怖じしない様は、他の男子よりも大人っぽく見えた。
そのため、女子の中では木戸の評価は高く、百地も少しずつだが注目するようになっていったのである。
百地は木戸を意識していることを誰にも話さなかったが、ある日、友人の一人から思いもしなかったことを聞く。
「木戸くん、ゆかちゃんのこと好きらしいよ!」
周りにいた女子たちが黄色い悲鳴を上げる。それは一瞬、百地の胸を高鳴らせた。それでも、百地は木戸に興味がある素振りは見せず、学校生活を送った。時折、木戸が先輩と喧嘩して勝った、といった噂を耳にしながら。
顔はかっこいいかもしれない。
でも、怖い人は嫌だ。そんな百地の、木戸に対する評価を覆す出来事があった。
百地が一人で帰っていると、同じ学校と思われる男子を見かけた。三人組で悪い噂が絶えないようなやつらだ。その三人を見たとき、百地はすぐに道を変えようとしたが、彼らが何をやっているのか、少しだけ気になって、物陰から様子を見ることにした。すると、彼らは何かを囲って、棒切れで突っついていることが分かった。
その中央にいるのは、子犬だった。
助けなければ。
止めなくては。
だが、自分が酷い目に合されるかもしれない。そう思うと、足が震えて動けなかった。
「百地?」
背後から声をかけられ、驚きながら振り返ると、そこには木戸が立っていた。木戸は百地の表情から何かを汲み取ったらしく、彼女が見ていた三人組の方を見る。
「そこで待ってろ」
木戸はそれだけ言って、三人組の方へ向かっていく。
木戸が三人組に声をかけてから、殴り合いになるまで、それほど時間はかからなかった。三人組は木戸を返り討ちにしようと、囲んだが、どうにもできないと判断したらしく立ち去って行った。
「百地の犬か?」
と鼻血を出しながら子犬を抱える木戸。
「ううん。違うんだけど…。あ、木戸くん…これ」
ハンカチを出して、木戸に渡そうとしたが、彼は首を横に振った。
「汚れるから良いよ」
それから二人は子犬を抱えて、街中を歩いた。運の良いことに、最初に相談した動物病院の先生が子犬を引き取ってくれた。大人でも動物を無条件に引き取ってくれる人は少ない。これは本当に運が良いことだったのだ、と百地優花梨は大人になってから、何度も思い出すことになる。
それから数日後、百地は木戸に告白される。百地は木戸に惹かれる部分があったが、やはり暴力的なイメージが強くて、断ってしまったのだが、それはすぐに学校中で噂になっていた。
「木戸くんから告白されるとか凄くない?」
「二人が付き合ったら凄いよね。うちの学校の芸能人カップルみたいになるよ」
「木戸くん、後輩からも人気あるらしいのに」
来る日来る日も、そんなことを言われた。よく分からないが、木戸と一緒にいることは、他の人間から羨ましがられることらしい。
だとしたら、木戸は怖いだけの人間ではないし、付き合うということは、それほど悪くないことなのかもしれない。そんな風に思った。
中学三年になって、木戸と付き合うことになった。繰り返される木戸のアタックに折れたこともあるが、ほんの少しの優越感欲しさに後押しされたのである。
周りの女子は祝福し、羨望の眼差しで見ているように思えたが、どこか違和感があった。そして、男子からはどこか白々しい目で見られているような気もした。その正体が何なのか分からない。
でも、木戸は自分に良く懐いたし、自身も付き合い始めたら、思った以上に彼のことを好ましく感じられた。ただ、木戸の短気な部分は治らないし、暴力沙汰を起こすことも、少なくはなかった。
違和感の正体を解明できないまま、二人は高校生になった。木戸はあまり勉強熱心ではなかったが、百地優花梨と同じ学校に行くため、と急激に成績を伸ばしたのだった。百地優花梨はそれが嬉しくて、志望校のランクを一つ落とした。その結果、二人は同じ学校へ通うことができたのである。
高校に入ると、百地は新藤晴人に出会い、親しくなった。今まで、自分のちょっとした趣味だった読書のことで、誰かと共感し合えることはなかったが、そういう意味で新藤は良き友となってくれたのである。
新藤と話す機会が増え、周りも二人の関係を認識し始めると、友人からこんなことを聞かれた。
「ねぇ、優花梨って、新藤くんじゃなくて、木戸くんと付き合っているんだよね?」
肯定すると、友人は心底不思議だと言わんばかりに、こう言うのだった。
「なんで?」
なんで、って…どういう意味だろう。いつだか覚えた違和感の正体が、そこにある気がして、遠回しに、その意味を聞いてみると「言いにくいけど」と前置きをして彼女は教えてくれた。
「木戸くんって、ちょっと変じゃない? 幼いって言うか、単純すぎるって言うか…あの喧嘩っ早いところも、そういうところが関係していると思うんだよね。かっこいいから最初は良いかもしれないけどさ、後で苦労するんじゃないかな、って」
「……そうかな」
「うーん…正直、私だったら嫌だな。ごめんね、こんなこと言って。でも、優花梨のことを想って言っているってことは、分かって欲しいな」
友人はその後、新藤は新藤で百地には釣り合わないだろう、と言って笑った。
百地は曖昧に笑って見せたが、暗い気持ちは隠せなかった。そして、例の違和感についても、理解できた。
彼は幼いのだ。そして、高校生になっても、その成長はあまりに遅い。だから、周りの人間にとっても魅力的に映る存在ではないのだ。
それから、百地優花梨にとって木戸と言う存在は、どこか自分を苛立たせるものになってしまった。木戸は彼女の気持ちなど露知らず、相変わらず問題を起こす。
その度に彼女は思うようになった。
どうして、この人はいつまでも幼いのだろう、と。




