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瀬崎ありすは、自分の無趣味を嘆いていた。
大学で顔を合わせる、友人とは言えないが頻繁に声を掛け合うような人々は、日頃から噂話や課題の煩わしさについて話しているばかりで、正直何を楽しみにして生きているのか分からず、参考にはならなかった。
瀬崎ありすは、そんな人々と接する度に「こうはなりたくない」と思うのだが、ならば自分は…と考えてみると、特別な趣味もなければ、他人に話せるような体験談もない。
自分は既に二十歳を超え、大人と認識されるべき人間だ。それにも関わらず、特徴のない人格のまま社会に放り出されてしまったら、きっと笑われるに違いないだろう。
だから、趣味を持つことに憧れているのだが、無理矢理つくるのも、どうかと思い、結局は途方に暮れるというパターンを繰り返していた。
そんな彼女にとって、憧れの存在とも言える女性が、高月文香だった。
高月文香は、瀬崎が通う大学の非常勤講師だ。月曜日の五限にある美術関係の講義を担当する高月文香は、年齢は四十代前後と思われる女性で、本職は美術家らしい。
見た目は落ち着いた大人の女性、という感じではあるが、講義で古今東西の美術品について語る彼女は、興奮してしまうのか脱線に脱線を重ね、学生たちを呆れさせるほど、入り込んでしまう。
そんな彼女の姿を見る度に、きっと講師の仕事も本職の美術家も、趣味の延長なのだろう、と瀬崎は思った。無趣味な瀬崎からしてみると、それだけ没頭できる「好き」という感情があって、それを仕事にできるエネルギーが羨ましくて仕方がなかった。
その日、高月文香の講義を聞き終え、教室を出る学生たちが作る混雑を避けるため、瀬崎は高月文香を眺めながら、自分にも没頭できるほどの「好き」がないのだろうか、と考えていた。
すると、なぜか一人の人物が頭に浮かぶ。それは、先日自分がトラブルに巻き込まれた際、色々と手を貸してくれた探偵の男だった。どうして彼の顔が浮かんでくるのか、と困惑しつつ、頬に熱を感じ、それを振り払おうとした。
妙な感情を何とか払い除け、顔を上げてみると教室に自分以外、誰もいないことに気付く。
「電気、消しますよ」
いや、一人ではなかった。
しかも、瀬崎に声をかけた人物は、高月文香だった。
「すみません。すぐに出ます」
文香は、瀬崎が荷物をまとめ教室を出るまで、電気を消さずにスイッチの前に立って待っていた。教室を出るとき、瀬崎が頭を下げると、文香は優しく微笑んでから電気を消す。そして、自然と二人で並んでエレベーターの方へ歩くことになった。
何か話しかけるべきだろうか。
話したい気持ちはあるが、自分なんかが彼女の時間を奪うのはよくない。そんな葛藤を抱きながら、エレベーターの表示ランプを見つめていた。
すると、横にいた文香が突然バランスを崩した。瀬崎は彼女という存在を意識していたため、いち早くそれに気付き、手を差し出して体を支えることに成功する。
「だ、大丈夫ですか?」
「ごめんなさい。ちょっと眩暈が」
「一度座りましょう。教室まで戻れますか?」
瀬崎は文香に手を貸し、何とか教室まで戻ってから彼女を座らせた。自動販売機で買ったお茶を飲ませると、文香は少しずつ回復していったようだ。
「ありがとう。おかげで少し良くなりました」
「本当に大丈夫ですか? 疲れが溜まっていたのでしょうか?」
きっと、遅くまで創作活動を続けていたのだろう、と瀬崎は思ったが、文香は苦々しい表情を見せた。
「最近、上手く眠れなくて」
彼女が見せる表情の中には、瀬崎が思う「好きなものと向き合う充実感」らしいものはなかった。どちらかと言うと、重たい足かせに頭を悩ませているようだ。
「何か……あったのですか?」
自分に何かできるとは思わなかったが、彼女の悩みを軽減できるきっかけになれるかもしれない、と念のため尋ねてみた。何もない、と一蹴されるかと思ったが、文香は数秒の沈黙の後、自嘲に近い笑みを浮かべながら、告白するのだった。
「驚くかもしれないけれど、最近家に幽霊が出るの。貴方の知り合いに、除霊ができる人、いない?」
普通の人間であれば、文香の言葉を冗談半分に聞くところだったのかもしれない。実際、文香の笑みを見れば、冗談ではぐらかされた、と判断するだろう。しかし、瀬崎は普段から「素直過ぎる」と言われる人間だ。彼女は馬鹿真面目に答える。
「幽霊って…大変じゃないですか! えっと…知り合いに少し特殊な探偵さんがいるのですが、その方なら、もしかしたら専門かもしれません。紹介しましょうか?」
その答えに、文香が逆に驚いた顔を見せた。
「本当に、そんな方が知り合いにいるの?」
「はい。不思議な出来事に関しては、専門だと言っていたので、たぶん幽霊も…」
文香はなぜか躊躇った様子を見せる。そんな彼女の姿を見て、瀬崎の頭の中には、あの探偵助手の顔が思い浮かぶ。あのとき、不安の底にいた自分を救ってくれたのは彼だ。きっと、先生の悩みだって解決してくれるに違いない。そんなことを考えた。
「よかったら、どんな現象に悩まされているのか、教えてもらえませんか?」




