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錠本は痛みを殺しながら、歩いていた。そして、少し離れたところにある高台から一部始終を傍観していた満樹のもとに辿り着いた。
「いやー、作戦は失敗だったなぁ。お前も負けたとなると、どうしたものか」
満樹は双眼鏡をのぞき、探偵や瀬崎ありすの動向を窺いながら、当て付けのように言った。
「これだと採算が合わない。お前が能力を売らないなら、折りを見てあの小娘を拉致するしかないな」
「私の能力を譲ろう」
錠本の短い返事に、満樹は双眼鏡から目を離し、振り返った。
「なんだって?」
「……私の能力を譲る、と言ったんだ」
「あれだけ頑なに渡さなかった能力を手離すのか? その力で大切な教会を守るって話だったじゃないか」
「生きていると、大切なものがたくさんできる。そして、その中でも優先順位を付けなければならない、らしい」
理解できない、という顔をする満樹に、錠本は続けて言った。
「私の能力はただでやる。だから、あの娘には一切手を出すな。関わらないと約束しろ」
まだ、目の前の男が何を言っているのか、信じられないといった顔の満樹だったが、やがて小さく溜め息を吐いた。
「……安心しろ。お前の能力がただで手に入るのなら、そんな小金はいらない。小娘一人をつけ回すような、ケチな仕事に手を出す必要もなくなる」
満樹は肩をすくめると、錠本の目の前まで歩み寄った。そして、懐から小さなケースを取り出し、中にあった注射器を手に取った。
「仕組みは分からんが、これでお前の能力を抽出できるらしい。腕を出せ」
錠本は逆らうことなく、袖をまくって腕を出した。満樹も躊躇う様子もなく、その腕に針を刺す。
「それにしても、あの娘がそんなに大事か? 人の親になると、やっぱり変わるものか?」
からかうように笑う満樹に、錠本は静かに言った。
「彼女は、ゆりこの娘だ」
一瞬、満樹の手が止まる。からかうような笑みが消えていた。
「なるほどな」
笑みを取り戻しつつ、満樹は針を抜き、注射器をケースの中に納める。
「あの女、当時もお前のことを大切な存在だとか言って、惚れていたみたいだったしな。俺がいなくなった後、ちゃんと一緒になったってわけか」
満樹は、ケースを懐に戻すと、遠くで探偵たちと町を歩く瀬崎ありすの方を見た。
「今思い出したよ。そう言えばあの女、確か瀬崎って名前だったな。ん?娘も瀬崎ってことは、離婚でもしたのか?」
錠本は首を横に振る。
「私は彼女と結婚はしていない」
満樹は再び振り返り、錠本を睨み付けるように見た。それは明らかに説明を求めるものだ。
「彼女は、ゆりこと君の間にできた子供だ」
穏やかな表情で伝える錠本。
それに対し、満樹は睨むような目つきのまま、凍り付いたかのようだった。
暫く、対照的な表情が向き合うことになったが、満樹が目を逸らし、再び瀬崎ありすの方へ視線を向ける。
「ゆりこは……どうした?」
「死んだよ。つい最近の話だ」
「……そうか」
そう言って、満樹は歩き出した。すぐ近くに停めてあった車に乗り込んだところを見ると、早々にこの場から離れるらしい。
「どこへ行くつもりだ?」と錠本は尋ねる。
「お前の能力を売った金で、しばらく海外でゆっくりするさ」
「引退か?」
満樹は車のエンジンをかけたが、なかなかアクセルを踏み込むことはなかった。
「あの娘は、知っているのか?」
弱々しい満樹の声に、錠本は思わず笑みを浮かべた。
「いや、何も知らない。私のことを父親だと勘違いしてるみたいだ」
「だったら、そのまま勘違いさせておいてくれ。いや、お前が父親だと名乗れよ。その方が…幸せだろう」
「ゆりこの娘に、そんな嘘を付いてしまったら、私は幸せではいられないよ」
「俺には関係ないことだ」
数秒、沈黙が続いた。
それは、錠本が満樹の言葉を待っているような時間でもあった。いや、もしかしたらそれは逆なのかもしれない。
「じゃあな。もう二度と会うことはないかもしれないが」
そう言ってアクセルを踏み込もうとする満樹を、錠本は引き止める。
「さっき、あの娘に関わるな…と言ったが、お前が父親として帰ってくるのであれば、話は別だ」
満樹はくだらないと言わんばかりに、鼻を鳴らした。だが、錠本はさらにこんなことも言った。
「それから、私はあの教会をこれからも守って行くつもりだ。あの場所は、ゆりこの実家でもあるからな。君にとっても、帰る場所と言えるだろう」
錠本の提案に、満樹は溜め息を吐く。
「亮二、お前は俺と言う人間を知っているようで、何も知らないんだな。俺に、帰る場所なんて必要ない。一人で生きる方が、楽なんだよ」
「ゆりは言っていたよ。本当のお前は寂しがり屋だってな」
「少しの間、一緒に過ごしただけの女に、何が分かる」
「分かっていたのだろう。少なくとも、私よりは」
錠本が視線を移動させると同時に、満樹の車が動き出す。車はあっという間に、町の外へと消えてしまった。
「錠本さん!」
錠本の視線の先、そこには瀬崎ありすの姿があった。彼女は目に涙を溜め、錠本に駆け寄ると、まるで離れ離れである家族と再会したかのように、彼を抱きしめるのだった。
「錠本さん、お願いです。どこにも、行かないでください。私たち、きっといっぱい…話すことがあると思うんです」
「……そうだな」
錠本は優しく彼女の両肩に手を乗せ、体を離した。
「とにかく、君が無事でよかった」
微笑みを見せる錠本。
瀬崎ありすは顔を歪めると、額を彼の胸に押し当て、再び泣き出してしまった。




