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屋敷の照明はすべて落とされていた。


それでも、正面の玄関は明るい。そこが唯一の入り口であると、月明かりが示しているからだ。その導きに従うかのように、一人の老人が立っていた。老人はドアノブを握ると、屋敷の中の気配を探るように、じっと動かない。しかし、老人は屋敷に潜む気配を把握したかのか、ゆっくりとドアを押した。


広々としたホールも、照明は落とされ、人の影はないように思われたが、老人は決して逸ることなく、暗闇の向こうを観察した。僅かな気配の後、照明が灯る。殆ど全貌が見えなかったホールの様子が明らかになると、老人は正面の階段、それを何段か上ったあたりにある人影を見た。


それは椅子に座る、金髪碧眼の少女だ。手首を拘束され、強制的に座らせられた少女。そのためなのか、怯えるような目をする少女に対し、老人は眉一つ動かさない。少女は、老人に何か伝えようとしたのか、僅かに唇を動かしたが、それは音になることはなかった。言葉のない、二人のやり取りに割って入る影がある。階段の裏から現れた、新藤だった。


「正面から乗り込んでくるなんて、暗殺者らしからぬ大胆さですね」


新藤の言葉に、老人は何を思っているのか、手を後ろに組んだまま、沈黙を守っている。新藤は老人の正面に立った。距離は五メートル以上、あるだろうか。


「僕らが罠を張って待っていると、思わなかったのですか?」


言葉が返ってこないことに、新藤は僅かに苦笑いを浮かべる。少女の寡黙さは、この老人から受け継いだのだろうか、と。


「それとも、彼女が大切だったから、あえて正面から乗り込んだとか…」


「奇をてらう必要はない、と判断しただけのこと」


返答があったことは、少なからず新藤を驚かせた。なぜなら、少女が老人について質問されると、それまで頑なだったにも関わらず、嘘のように口を開いたときと同じだったからだ。そんな二人の関係性を垣間見たせいか、新藤は少しだけ落ち着きを得た。この老人も、不器用なだけで、一人の人間なのだ、と。


新藤は深く呼吸して、腰を落とすと、ゆっくりと拳を構えた。


「そうですか。だとしたら、お互い語ることもありませんね」


老人も腰を落とす。


お互いの意思を確認し合ったのであれば、あとは始まるだけ…と思われたが、二人は向き合ったまま動かなかった。ただ黙って、相手の動きを注視している。静かだった屋敷が、さらに一段と静まり返るようだった。


静寂を破ったのは、老人の方だった。動いた、と新藤が認識したとき、老人は既に目の前に。踏み込みに乗せた拳の一撃が来る、と反射的に対処しようとする新藤だったが、天啓といえるような直感で、そうではないと考えを改める。老人は、拳ではなく、蹴りを放っていた。それは死神の大鎌が、新藤の足を狙ったかのようだ。新藤は直感から後退を選び、回避に成功するが、あれを受けたとしたら、一時的に足が使い物にならなくなるのは、間違いなかった。


ただ、一度の蹴りだけで、すべての危機を回避したわけではない。老人は蹴りの動作を終えると、瞬時に床を蹴って、踏み込むと同時に拳を放ってきた。新藤は必死に身を屈めつつ、頭の位置を移動させて、拳を躱した。


新藤の頭の中には、老人が踏み込むと同時に放ってくる拳の一撃に、カウンターを合わせると言う考えが、ないわけではない。だが、いかんせん老人の踏み込みは、あまりに速く、タイミングを合わせることは、殆ど不可能と言えた。だから、この一撃に対し、新藤は回避する選択肢しかなかった。いや、躱せただけ幸いだった。


さらなる追撃も速い。こめかみを狙い定めたような拳が振り回されていた。新藤は咄嗟に腕で頭部をかばうが、岩石で殴り付けられたような痛みと同時に、脳が揺れる。


新藤は、さらなる追撃を予測して距離を取りたかったが、それをしてしまったら、あの踏み込みがくる。もちろん、防戦一方になる展開は、乱条の一戦を見て予想できていた。しかし、実際に体感してみると、その脅威はイメージを遥かに超えている。動揺が溢れそうになるが、それは精神力で抑えつけた。


新藤は近距離の攻防を選択する。反撃に顎を狙って左の拳を突き上げたが、老人は僅かに身を反らして躱しつつ、槍のように足を突き出してきた。新藤は、その蹴りを腹筋で受け止めるが、衝撃までは消すことはできず、何歩か後退してしまった。


そのため、二人の間に距離ができたが、老人はそれをすぐに埋めてきた。再び踏み込みに乗せた拳の強烈な一撃。新藤は身を低くして、拳の一撃を免れると同時に、老人の腰に組み付こうとした。拳とすれ違うように、新藤は老人の腰に掴みかかる。このまま、押し倒せるならば、老人の拳を怖れる必要はなくなるが…。


新藤の腹部に、老人の拳が添えられた。あれがくる。新藤は瞬時に察して、老人を突き放した。一歩下がった老人に向かって、新藤の蹴りが跳ね上がる。側頭部を狙った上段回し蹴り。当たれば、意識を失わせる威力が十分にあるが…当たらなければ、もちろん意味はない。老人は身を反らしてそれをやり過ごすと、新藤の軸足を爪先で払おうとした。だが、新藤は蹴りの動作を止めず、軸足で跳躍してそれを避け、空中で回転しながら着地した。


その瞬間、老人が間合いを潰す。超近距離から、あの一撃が来る。新藤は老人を押し返しながら、自らも後ろに飛び退いて、着地と同時に次の攻撃にカウンターを合わせる動作に入っていた。それにも関わらず、老人は動いていない。新藤が拍子抜けし、次の動作に迷いを抱いた瞬間、老人は踏み込みつつ、強烈な蹴りを放ってきた。


意表を突かれた新藤は、その蹴りが横腹に食い込んでも、反撃できず、ただ耐えるしかない。ここが決め所と老人が判断して、攻め込んでくれれば、今度こそカウンターを狙えるが、それもなかった。老人はあっさりと身を退き、距離を取ったのである。


これでは、乱条のときと同じだ。老人の攻撃を凌ぐばかりで、少しずつ削られて行く。これ以上、消耗を続けたら、どこかのタイミングで大技の餌食となるだろう。先読みや騙し合いでも、老人が上。どんな局面、どんな展開になったとしても、その技術の高さに押し負けすることになる。


このままでは、勝ち目がないように思えたが、新藤の口元には笑みが浮かんでいた。老人はそんな新藤の表情を見ても、眉一つ動かすことはない。きっと、彼が屠ってきた人間の中にも、追い詰められた末に、混乱して笑顔を見せた人間もいたのだろう。だが、新藤は追い詰められて、感情表現が狂ってしまったわけではない。


「貴方は、確かにとんでもなく強い。きっと、誰も敵うことはないのでしょうね」


新藤の言葉に、老人は反応しない。圧倒的な余裕だろうか。そんな老人に新藤は言い放つ。


「でも、僕には貴方に勝つ手段がある。たぶん、世界でたった一人だけ、貴方に勝つ可能性があるのは、僕だけです」


老人にとってそれは追い詰められた人間のハッタリでしかなかった。既に決着は付いている。老人はそう判断したのか、腰を落とした。そして、自らが繰り出すことができる、最大の一撃を放つため、大きく呼吸した。ついに、あの技がくる。ホテルで新藤を戦闘不能に陥れた、あの技が。


あの一撃は、超近距離から放たれることさえ理解していれば、躱すことは決して不可能ではない。しかし、例え躱せたとしても、次のコンビネーションに繋げられ、何らかのダメージを負わされてしまう。それが、どれだけの熟練者であっても、この老人を攻略できない理由だ。それでも、新藤はそれに打ち勝つ手段があった。

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