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「どう思いますか…?」
新藤は、如月と二人きりの車内で、彼女の心の内を聞いてみた。
「どう、って何が?」
しかし、如月はまともに答えるつもりはないらしい。流れる景色を眺め、その表情すら新藤には明かしてくれなかった。
新藤がはっきりと聞けば良いのかもしれない。野上麗とは、何者なのか。その名前が出たら、如月の感情が揺らぐことは、新藤も気付いている。冷静さを失うとか、何かに恐れるとか、そういうものではない。妙に落ち着いた態度になるため、新藤からすれば妙で恐ろしい。
それでも新藤は、野上麗について如月に追及することはなかった。如月に遠慮しているからではない。野上麗について如月と語るときは、自分自身の複雑な感情に向き合う必要性があると感じているからだ。
「伝説の暗殺者に狙われるなんて、流石の如月さんもちょっと怖いんじゃないですか?」
新藤は内にある蟠りを退け、何とか笑顔を浮かべて、茶化すように言ってみた。それに対し、如月の表情は変わらない。あくまで、静かな調子を保って答えるのだった。
「そりゃ、もちろん怖いよ」
「で、ですよね」
意外な答えだった。乱条というトラウマ以外に、弱味を見せない如月が、その恐怖を認めなんて、珍しかったからだ。すると、如月が新藤の方を見て、鋭い目を向けてきた。そして、彼女は当てつけのように言う。
「私のボディガードが頼りないからね」
「まだ、怒っていたんですね…」
如月にとって、伝説の暗殺者に狙われることよりも、ハンバーガーの一件の方が根深いものであるらしかった。
「というわけで、ホン・ウーヤーを捕らえるまで異能対策課が、葵さんをお守りします」
三十分ほど時間は遡る。如月探偵事務所に訪れた成瀬が、ホン・ウーヤーについて説明を終えると、そう宣言したのだった。
「珍しいですね。異能対策課がただの探偵でしかない如月さんの護衛に、労力を割いても良いのですか?」
至極当然の疑問を投げかける新藤を、成瀬は睨み付ける。
「この僕が、葵さんの窮地に駆け付けないわけがないだろう。どんな危険だろうと、僕が彼女を守るる。例え、上の人間を欺いてもね」
「そんな私情で公的機関を動かしていいんですか…?」
「当然だ。どんな弊害があろうと、僕はそれを排除し、葵さんを守る」
妙に強い視線を如月に向ける成瀬。それに対し、如月は「まぁ、頼りがいがありますこと」と笑顔を見せた。どう見ても新藤への当てつけだ。顔を引きつらせながら、新藤は話を変える。
「ちなみに乱条さんは何と言っているんですか?」
「あいつは俺の部下だ。俺の命令に従う。それだけだ」
「うーん…異能対策課の職場環境、悪そうですね。風通しが悪いと言うか、ストレス溜まりそう…」
「ところで」
成瀬は新藤の相手はしないと言わんばかりに背を向け、如月に聞いた。
「葵さん、この後のご予定は? 宜しければ、我々が用意した隠れ家で貴方をお守りします。もちろん、この僕も護衛に付きますので、そこは世界一安全な場所だと言えます」
「そうですね、この後は外出の予定があります」
そう言えば、用事があるから出掛けると新藤も聞いていた。だが、当然キャンセルだろう。
「申し訳ないのですが、キャンセルでお願いします。これから、我々と隠れ家まで移動していただくので」と成瀬もキャンセルを申し出る。
しかし、如月は首を横に振った。
「いいえ。どうしても、外せない予定なので、キャンセルするわけにはいきません」
それには新藤も驚いて、如月の顔を窺う。命を狙われているとは思えないほど、落ち着いた表情だ。
「葵さん、分かっていますか? ホン・ウーヤーですよ。貴方は新藤くんと違って、この名がどれだけ恐ろしいのものなのか理解しているはずです」
「それでも、私にとっては大切な要件があるのです」
如月と成瀬の口論に近いやり取りが、それからも続いた。しかし、最終的には成瀬が折れた。
「分かりました。しかし、僕たちも同行させてください。それを呑んでくれないのであれば、僕は無理矢理にでも貴方を保護します」
成瀬の言う、僕たち、とは恐らく彼の部下である、乱条も含まれているだろう。あの乱条が相手となれば、新藤が如月の意志を優先させることは、かなり難しいことになる。
「……分かりました。ただ、私はこれからある人物と面会する予定です。しかし、その人物のプライバシーを守る義務が私にはあります。面会の際は、適切な距離を保っていただけるようにお願いします」
「それは危険です」と成瀬は顔をしかめる。
「大丈夫。先方の護衛もいますし、うちの新藤も傍に置くつもりですから」
成瀬は忌まわしげに新藤を睨み付ける。
「分かりました。面会の場がどういった場所か分かりませんが、せめて隣室とか数秒で駆け付けられるところで待機させてください。これ以上は折れませんよ」
「分かりました」
それから、如月は何本か電話をかけ、新藤と共に車に乗り込んで出発した。後ろには、成瀬と乱条が乗り込んだ車が付いていた。




