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食事の時間。食堂に大原結衣が顔を出した。なかなか姿を現さなかったので、冷や冷やしたが、多くの人が食事を終えた頃に彼女はやってきた。新藤はゆっくりと食事を続け、彼女が食堂を出るまで待つ。彼女が部屋に戻る道中で、接触しようと決めた。


大原結衣の食事時間は短かった。食事を楽しむつもりもなく、最低限の摂取…といった具合なのかもしれない。新藤は、大原結衣に少し遅れて食堂を出る。できるだけ、人目に付かないタイミングで彼女に接触したいところだが…きっと簡単なことではない。もしかしたら、彼女が自室に入る瞬間を狙うことになるだろうか。


新藤の心配をよそに、彼女は自室に向かうのではなく、なぜか人気の少ない方へ歩いて行く。新藤は後を付けながら、少しずつ違和感を抱き、それが不安へ変化していった。今まで、彼女をここから連れ出そうとした何人もの人間が、その姿を消している。彼らの身に何が起こったのかは分からない。だが、彼らの身に起こった何かが、今自分に降りかかるのではないか。


何度か関係のない人とすれ違い、新藤はなかなかタイミングを掴めずにいたが、大原結衣が横にあった部屋のドアを開き、中に入ってしまった。そこは、夜の瞑想で使われる広めの部屋だが…この時間に誰かが使っていることは殆どない。つまり…誘いこまれているのではないか。


新藤はドアの前でどうするべきか様子を窺うが、中に入るまでは何も分からない。しかし、このまま躊躇っているうちに、大原結衣が窓から外に出てしまうことだって考えられる。新藤は意を決してドアを開こうとしたときだった。


「付いて来ているの、分かっているんだから、入ってきたら?」


大原結衣の声で間違いない。やはり、誘い込んでいる。新藤は警戒心を高めつつ、ドアを開いた。


「やっぱり貴方か」


大原結衣は、新藤の顔を見るなり、呆れたと言いたげに溜め息を吐いた。新藤は臆した様子は見せずに告げる。


「ここから出ます。同意してくださるなら、荷物をまとめる時間は用意しますが…そうでないなら」


大原結衣の心情を見極めるために、プレッシャーを与えてみたが、彼女は嘲るように鼻で笑った。


「何度でも言うけれど、私はここを出るつもりはないから。いえ、もうここを出るの。この世界を出るのよ。だから、わざわざこの施設を出る必要なんてないの」


「……覚者ですか?」


大原結衣は肯定することはなかったが、ただ笑みを浮かべて余裕ある表情を見せた。


「覚者がどういうものか、僕は知りません。でも、この世界から離れるなんて…それはただの自殺ではないですか? 僕は、自殺を幇助するなんて、間違っていると思います」


「自殺? 覚者はそんな救いのないことではありませんよ。この世界より、さらに一つ上の世界に行くのだから。死の過程がもたらす痛みもなければ、自分の意識が失われてしまう恐怖だってない。ただ自由になって、解放されるだけ。きっと、貴方みたいな人間は、少しもそんな世界を求めたこともないのでしょうけれど」


新藤は覚者という存在がどういったものなのか、考えを巡らせてみるが、今はその必要がないことに気付く。覚者がどんな存在でも良い。それより、ここから大原結衣を連れ出すことが先決だ。新藤は彼女の方へ一歩踏み出た。それを見た大原結衣は、一歩下がりながらも余裕の笑みを絶やしはしない。


「力尽くで私を連れ去るつもりでしょう? そんなの、無駄なんだから」


「貴方が何らかの異能力を身に付けているからですか?」


大原結衣の顔から笑みが消え、僅かに眉が持ち上がった。新藤の言葉に驚きを覚えたのか。それとも今まで彼女を連れ出そうとしてきた人物とは、少し違うようだと判断したのか。


「僕はそれくらいで驚いたりはしませんよ。悪いとは思いますが、少し強引な方法で外に連れ出させてもらいます」


新藤がさらに一歩、大原結衣に近付いた。既に大原結衣の背後は壁があるのみ。彼女は逃げ場がないように見えたが…。


「できるものなら、やってみなさい。誰もそんなこと…できなかったけれど」


大原結衣が不敵な笑みを見せると同時に、空間の質が変わったことを新藤は認識した。異能力の気配とでも言うべきか。これから、何か異常なことが起こる。そんな空気が漂ってきたのだ。とてつもないプレッシャーに、新藤は息を飲んだ。


どんな異能が発動するのか、新藤は大原結衣の動きに集中する。すると、彼女は懐から何かを取り出したらしかった。新藤は彼女が手にした細長い物体を凝視する。


それは、絵筆だった。新藤も小学生や中学生のころ、美術の時間に使ったことがあるような、どこにでもある絵筆。


「私の絵を見せてあげる」


大原結衣は、まるで自らの目の前にキャンパスが置かれているかのように、その絵筆を持ち上げた。そして、彼女は絵を描き始めるのだった。

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