第666話 魚の権利
「報告については任せる」
「わかりました。もっとも、書面だけで全てを伝えられる自信はありませんが」
などというパペリーノの発言に一抹の不安を感じる。
そこは、しっかりと報告してくれないと、またも偉い人達に呼び出される羽目になりかねない。
「ところで、代官様。漁業権についてはいかがいたしますか」
「漁業権か・・・」
豆の栽培に目処がついたところで、放置されていた漁業権についても検討しなければならない。
現在は村長一族が追放された関係で、漁業権の利用者がいない状態である。
「通常ならば、新たな漁師を置いて漁業を任せるところですが・・・」
「ノウハウのない者に漁業を任せても非効率だろうな。生計を立てられるかも怪しいだろう」
漁業権については、所有権は領主や代官にあって、漁師はその利用権を借りている状態でしかなく、当然のように利用料という税が発生する。
専業でない者が漁業に従事したところで、税を払いきれなくなるのは目に見えている。
「それに、あまりに効率的な漁業は魚がいなくなるかもしれんからな」
「魚が・・・?それは考え過ぎではありませんか」
パペリーノが漁業資源の保護という考え方に馴染めないのも無理はない。
元の世界でも、つい最近になるまで海の資源は無限である、と考えられていた。
怪物という自然の脅威が強大なこの世界においては、杞憂かもしれない。
それでも、後悔したときには遅いのだから、不要なリスクを負う必要はない。
「まず、2つの考え方があると思う。1つは漁業権を直接の税源とする考え方だ。漁師を任命し、漁獲から徴税する」
「今は、その考え方ですね。もう1つの考え方は?」
「漁業権を間接的な税源とする考え方だ。漁業権を輪番で農民に解放し、魚食を副食とすることで栄養状態の改善を図り、小麦や豆などの主食の消費を減らす」
「なるほど。魚を食べれば、確かに体格は良くなるでしょうね」
「そもそも、漁師の上澄みを掠め取ったところで、大した税収にはならない。それならば、本業に気持ちよく打ち込めるよう漁場を解放した方が良いだろうさ」
大体、漁というのは不安定なものだ。
そんなものを税収として当てにするのは領地経営の方針として誤りであろう。
「代官様としては、2つ目の考え方をとられるのですか」
「そうだな。漁業権を特定の者に独占させると、必然的に密漁も取り締まる必要が出てくる。どこの誰が川海老を5匹獲った、などという裁判をやって領民を咎めたくない。それぐらいなら輪番で解放して、相互に監視する状態を作る方がいいだろう」
漁期を制限すれば、密猟者が現れる。そこに例外はない。
権利というのは、ある種の制限であるからだ。
漁による利益が大して見込めない状態で監視コストが上昇する仕組みは避けたい。
「でも、どうやって順番を決めるの?きっとすごくモメると思うの」
代官からすれば大した事のない利権でも、食うや食わずの農民には明日の家族の生死を左右する一大利権である。
「完全に公平に、というわけにはいかないだろうな」
輪番制にするとしても、漁獲ベースで公平にわけるための客観的なデータがこちらにはない。
勝手に決定しても、農民の不満が出るだろう。
かといって、農民達に決めさせても混乱するばかりで決まらないことは目に見えている。
「なにか、お考えはありますか」
「まあ、なくはない」
大筋はこちらで決めて、後の調整は農民達の相互交渉に任せる。
必要なのは、権利の視覚化と、本人達の納得感をいかに作りだすか、だ。
具体的な方法については、いくつか思い当たる方法がある。
「ですが、どうなんですかね。農民達同士で交渉とか言っても、連中はそういうのに慣れてないんじゃないですかね」
商家の出身で街育ちのキリクからすると、農民というのは素朴な存在に見えているのだろう。
狡猾な農民であるところの村長一族は村から追放されているので、余計にそういった印象を抱くのかもしれない。
「そうかもしれない。だが慣れてもらう必要がある」
「慣れるって、何にです?」
「交渉や取引、それに現金だ」
「現金ですか?畑を耕してる分には・・・っ」
言いかけて、キリクも気がついたようだ。
いずれ、この村には大規模な製粉業が立ち上がる。
その過程で大規模な建築に携わる土木作業員や、製粉業の職人達、湊ができれば小麦を運んでくる船員達が村に逗留するようになる。
そうした村外の人々は現金生活者であるから、村に大量の現金が落ちることになる。
村人の生活はいずれ豊かになる。そのための事業計画はある。
ただ、その豊かさを上手く扱うだけの能力が育っていなければ、豊かさは却って呪いとなる。
村民達を今からでも、徐々に貨幣経済に慣れさせていく必要がある。
漁業権の村内の相互取引は、そのための教材として丁度よい。
明日も18:00更新を目指します・・・




