第658話 魔法の杖
「管理技術に優れた農民を探す、という当初の目的はどうされますか」
パペリーノが確認してくる。
豆からはじめる、というのもいいが税収の基本となる小麦そのものの収穫をどのように底上げするか。
徴税額と農地面積を元にした散布図で分析すれば、管理技術に優れた農家を発見できるのではないか。
それが仮説であり、現地視察のきっかけだった。
「あれか。実際のところ、この領地に特別に優れた農家は存在しない、と思い出しているのだが」
「やはり、そういうことになりますか・・・」
パペリーノの表情は暗い。
散布図で情報を分析するという手法に教会の未来を見ていたためか、その効能が否定された、ともとれる事態にすっかり気落ちしているようだ。
散布図を用いて、2軒の外れ値を示した農家を発見することはできた。
しかし、1軒目の農家は面積の割に畑を耕す労働力が多かったためであり、2軒目の農家は、庭で豆を育て、川で魚を密漁していたので食事に余裕があったため、ということが明らかになった。
要するに、農業技術の巧拙はそこに発見できなかった、ということだ。
ひょっとすると、2軒目の農家は魚の生ゴミが天然の魚肥となって豆の収穫を向上させていたかもしれない。ニシンの油かすを撒いたら収穫が向上したとか習った気もする。
とはいえ、どれほどの量が畑に撒かれたのかを知るすべもない。
パペリーノが、散布図による分析は無駄だった、と考えてもおかしくはない。
「だが、そもそも散布図の手法が否定されたわけじゃない。むしろ、その効用が証明されたとも言える」
そう補足すると、途端に、パペリーノが顔をあげる。
「そうなんでしょうか」
その顔には疑惑と、微かな希望が伺える。
「否定されたのは仮説であって、手法じゃない。実際、2軒の農家には通常の理由では説明できない何かがあったわけだ。もし教会の農地管理で同じことをすれば、何かを発見できるだろう」
手法自体は単純であることを実地で示して見せたのだから、教会の人員をつぎ込めば様々な分析が可能になるはずだ。
「何か、ですか。例えばどんなものになるでしょうか」
パペリーノに問われるままに、幾つかの仮説をあげてみる。
「そうだな。例えば農地と徴税額で分析すれば、生産性の高い種類の小麦を植えている土地を発見できるかもしれない。あるいは人口と徴税額で分析すれば、この領地と同じように出稼ぎ農民を雇って人頭税の支払いを免れている領地を発見できるかもしれない。人口の割に農村からの徴税額が多いということは、人口が隠れて計算されている可能性もあるからな」
「なるほど。不正の存在を発見できるわけですか」
パペリーノの視線が、にわかに圧力を増したように感じる。
「ま、まあそうだな。何かがある、とは言えるな」
このやり取りについても、ニコロ司祭に報告をあげるつもりだろう。
良いことに使ってもらえるといいのだが、なんとなく違う目的で使われる気もする。
とはいえ、どうせ放っておいてもお偉いさん達は権力闘争をするのだ。
その武器が神学論争でなく、具体的な数字と分析になるのであれば、それはそれで良いことだと思う。
そう思うことにする。
結局のところ、この領地に魔法の杖はないのだ。
どこかに優れた手法なり人材がいて、その人に任せれば全て解決という都合の良い奇跡はない。
前任の代官が課していた酷税を廃止する。
豆を配って庭に植えさせる。
労働者に現金を支払って景気を向上させる。
時期や道具を限定して魚を獲らせる。
そうして地道に農村を振興した上で、製粉業に乗り出す。
「ケンジが魔法の杖だからいいじゃない!」などとサラは言うが、俺には魔法の杖はないわけで。
要するに自分で何とかしなければならないということだ。
すみません。昨日の投稿を失敗していました。
本日の夜、もう1件投稿します
明日は18:00投稿予定です。




