第555話 農民の意見
印刷業を軌道に乗せられなかった場合の、仕事量の増大に気を取られていると、目の前で大きく手が振られた。
「それで、あたしの番でしょ!」
待ちかねたように、サラが伸び上がって手をあげる。
「そうだったな。」
苦笑して先を言うように促すと、サラは大きな声で続けた。
「子供でも字が憶えられる本が欲しいの!あと数字の数え方!」
意外な意見、というわけでもなかった。
ここにいる6人の中では、サラの目線が最も農民に近い。
職人のシオンは、何だかんだ言っても街に暮らす平民であり、この世界全体で言えば恵まれた階層に属する。
読み書きについても、街で職人として暮らしていれば、どこかで学ぶ機会があったのだろう。
工房に来た時は、特に不自由なく使えるようになっていた。
それがシオンの飲み込みの早さを支えていた、とも言える。
「サラさんは、まだ子供いませんよね?」
そのシオンが、空気の読めないことを言う。
「もう!そんなんじゃないってば!!工房に来るお手伝いの子たちがいるでしょ?あの子たちに、字を教えたいの。あと、村の弟たちにも」
「開拓村には教会がありますし、司祭がいますよね?そこで字を教えてもらうことができるはずですが」
クラウディオが村の教会の役割について指摘する。
実際、クラウディオのような賢い子供は、そうして農村の司祭から見出されて拾い上げられるのだ。
そこから大都市に集められ、聖職者としての教育を受けて教会という大組織を支える有能な官僚となる。
「それは、すごくできのいい男の子だけでしょ?あたしみたいな女とか普通の子は、教えてもらえたりしないし」
男女の役割が尊重されてはいるが、男女平等な社会ではない。
教育資源が限られていれば、見込みのある子どもに集中的に投下されるのが道理というものだ。
そして、見込みのある子供とは、村で1番の賢い男の子だけだ。
それ以外の人間は、無学なままで置いておかれる。
「字が読めて、数字が数えられたら、街に出てきて冒険者になったとしても、少しだけ依頼が選べるようになるでしょ?それに靴の工房とか製粉所とかで働いてもらうにしても、字が読めないと困ることが多いじゃない?」
サラの言うことは間違っていない。
農村で食えなくなった若者が街に出てきて、最初に戸惑うのがギルドの依頼書が読めないことだ。
掲示板の前で依頼書に戸惑っていると、近寄ってきた親切な人間が小銭で内容を読んでやると言ってくる。
そうして、法外な代読料をふんだくられ、農村から持ってきた、なけなしの現金を巻き上げられるわけだ。
最初に持っていた現金が少なくなれば、準備にかけられる費用が減る。
自分にあった適当な依頼を選ぶだけの余裕もなくなる。
結果的に無理な依頼を不十分な準備で受け、初依頼で大怪我をして引退の可能性が高くなる。
都会の洗礼というのには、つまらない上に、危険の大きすぎる出来事だ。
ちょっと字が読めるだけで、それを回避できるのだ。
もし、農村で普通の出来の子女が教育を受けるだけの資源があれば。
サラの意見には、苦労を味わってきた人間の持つ説得力があった。
明日は18:00に更新します
⇒すみません。時間が取れなかったので22:00更新になります。




