第296話 頭の骨
自然物を見たままに写して描く。
現代の美術教育を受けた人間にとっては当たり前の概念であり、技能であるが、この世界では一般的ではないらしい。
食堂や武器屋などに、字が読めない庶民向けの看板らしきものが下がっているが、デザイン化された、というよりは簡略化されただけ、といった素朴な絵が描かれているだけであるし、教会の宗教画なども人の形などが抽象化されて描かれているものが主なように思える。
最も、俺はこの街の、ごく狭い範囲の絵画体験について語っているだけだから、他の街や貴族の家の中の肖像画などについていえば、見たままを描く、ということが行われているのかもしれない。
だが、少なくとも怪物について言えば、この男爵様の収集癖と、正確に見たままを描こう、という意識の高さは、この世界では飛び抜けたものではないだろうか。
「この巨大鳥の羽根の素描は、見事ですね。羽の細かい構造まで、ありのままに描かれているように思います。これは大変なご苦労をなされたのではありませんか」
俺がそう言うと、男爵様は嬉しそうに
「そうであろう、そうであろう!最初は、普通の大きさの鳥の羽根を描こうとしたのだがな、よくよく見ると目に見えにくい細かい毛が生えているように思えてきてな、何しろ触ると、フサフサとしておるからな。それで、同じ鳥なら、ということで、なるべく大きいやつの羽を取り寄せたのだよ、いやあ、金がかかったが、その甲斐はあったのではないかな!」
「なるほど、大きい鳥も小さい鳥も羽の大きさは違えど、その構造は同じようなもの、とお考えなわけですね」
「うむ。まあ、そうかもしれんし、そうでないかもしれん。この巨大鳥の羽根は、1枚だけしか入手できておらんからな。何でも、この羽根の燃えにくく軽い性質を買われて、冒険者どもの鎧や防具に加工して使われてしまうらしくてな。まったく、このように美しい物を、野蛮なことだ」
男爵様からすると、怪物の美しい羽が、たかが冒険者風情のためにバラバラにされてしまうことが我慢ならないらしい。
俺は命を預ける防具のために貴重な素材を注ぎ込む冒険者の気持ちも分かれば、貴重な研究資料として素材を惜しむ男爵様の気持ちもわかるので、曖昧に頷いてみせるだけに留めた。
そうやって、男爵様のコレクションの話を2時間ほどひたすらに頷きながら拝聴したところ、よく話がわかるということで、非常に上機嫌になった男爵様に茶席の伴をするよう、仰せつかることになった。
すると、それまでどこに隠れていたのか、メイドが数人やってきて、テラスに人数分の茶席をあっという間に準備してくれたので、男爵と一緒に俺達も茶をいただけることになった。
貴族同士が茶の席を持つときはホストが話題を提供するが、貴族と平民が相席する場合は、平民の方で貴族を楽しませるべく話題を提供するものである。
と、以前、伯爵に城内に呼ばれる際に受けた特訓で教わったのを思い出したので、俺の方から話題を振る。
当然、話題の内容は、怪物のことであり、絵のことである。
男爵様は冒険者という人種に直接話を聞く機会が少ないらしく、俺達が冒険者時代に経験した怪物の生態について話題を出すと、高い関心を示した。
「ほう、すると魔狼は火を怖れぬのか」
「そうでございますね。奴らは火を全く怖れないわけではありませんが、数頭から10数頭の群れがいる場合、焚き火から引き離そうと試みてきます。夜の闇の中では自分達の方が有利だ、と理解はしているようです」
「獣のくせに、随分と知恵の働くことだな。口は大きいが、頭は小さいのにな」
そう答えて、男爵様は、テーブルに置かれた魔狼の頭蓋骨の上顎を持ち上げて、その空洞を覗き込みながら、しきりに頷いた。
「魔狼には、図体の大きいリーダーらしきオスもいますから。そいつの頭は、一回り大きいかもしれません」
俺は男爵様の持ち上げた頭蓋骨を両手で挟みこむように持ちながら、一回り大きなサイズを示してみせる。
そうやって男達が話す、その隣では、アンヌとサラが何とも居心地が悪そうに茶を啜っていた。
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