第110話 半年が過ぎて
半年が過ぎた。
あれからは、特に妨害もなく工房は稼働している。
ロロの事件の直後に、ビビって辞めた職人が3人程いたが、後の職人の補充は速やかに運んだので生産に支障はなかった。
辞めた職人の中に、情報を漏らした奴がいたのかもしれないが、別に構わない。
秘密を洩らしたら容赦しない、という剣牙の兵団の脅しが効いているからだ。
実際、剣牙の兵団が、ロロという鼻つまみ者の貴族を返り討ちにしてやった、という噂は市民達の間で広まり、剣牙の兵団の英雄的評判を、ますます高めた。
そのせいか、この半年は本当に平穏だ。それまで起きていた、小さな嫌がらせの類もピタリとやんだ。
生産は想定していたよりも順調で、年間1000足の生産予定を、3割は上回りそうだ。
株主であるジルボアとグールジンに、そのように報告する。
ゴルゴゴには工房で話したが、あまり関心がないようだった。
だが、株主として収入が安定したので、開発のための道具や素材に困らなくなったのが嬉しいようで、工房の隅の専用スペースで、いろいろと怪しげなものを生産している。
「それで、グールジン、余所の街での守護の靴の評判はどうなんだ」
「そりゃあ、飛ぶように売れてるさ。予約の注文も山ほど取ってきたぜ」
「ジルボア、剣牙の兵団で全員が履いた場合の効果はどうなんだ」
「守護の靴を全員で履くと、明らかに行軍速度があがる。戦闘中の負傷も減った。こなせる依頼も増えた。実際、これは大した靴だよ、ケンジ」
ジルボアは、自分の専用靴を示して言う。
全ては、順調だ。ようやく、今後のことを余裕を持って考えることができる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゴルゴゴの工房に戻ってくると、中からはトントンと革を打ち付ける音や、ダンッと裁断する音が聞こえてくる。
俺は、入口にかけられた自分の名前が書かれた木切れを裏返し、出勤中の表示にする。
「「小団長、ご苦労様です!」」という職人達の挨拶に答えつつ、出勤状況を確認すると、1人、出勤してきていない職人がいる。
「おい、ジャンの奴はどうした?」と声をかけると、作業中の若い職人が手を止めずに返事をする。
「あいつなら、今日は腹が痛い、といって帰りました。ただ、奴の作業は他にも2、3人できる人間がいますから、生産に支障はありません」
工房の職人達が、ようやく俺のやり方に慣れてきてくれたのも、最近は楽になってきた要因の一つだ。
最初の頃は、本当に大変だった。
出退勤管理をしようとしただけで「なぜ、そんなことをするのか」と拒否反応が凄かったのを思い出す。
今では、俺がこの世界に持ちこんだ日本式製造業の方法論も、そこそこ根付いてきている。
以前は埃と木くず、革の端切れが散らばっていた床には、今はゴミ一つない。
職人たちの道具は、携行できるものは、革製の特注ヒップベルトに差して持ち運ぶようにしている。
工具を持ち歩ける上に、両手があくので職人達にも好評だ。
工具には各人の番号が書いてあり、壊すのはいいが、なくすと給金から引かれるので管理にも気を付けるようになった。
俺が生産の様子を横目に見ながら奥に入っていくと、サラが迎えてくれた。
「ケンジ、ジルボアさん達は何か言ってた?」
「いや、とくに問題なし。ただ、グールジンはもっと売りたがってるみたいだ」
「あー、余所の街でも評判になってるみたいだよね。こないだ、市場で話した野菜売りのおばちゃんが、余所の街から来た人に聞いたって」
サラは、今は工房の手伝いを半分、駆け出し冒険者のツアーガイドを半分で働いている。
今でこそ工房は大分安定したが、俺が暗殺されるなりして、靴製造の仕事が突然なくなるリスクがある以上、サラが自分で冒険者以外の道で稼げる方法を奪うわけにはいかないし、彼女が収集してくれる駆け出し冒険者の情報は、貴重な事業の種だ。
俺も、工房の仕事が安定してからは、週に1日だけは駆け出し冒険者のツアーガイドをするようにしている。
トップが情報収集を怠るようになると、その組織は方向を誤る可能性が高くなる。
苦労して事業を立ち上げ、ようやく駆け出し冒険者達を支援するだけの社会的な力を得つつあるのだ。
駆け出し冒険者のために立ち上げたはずの事業が、彼らにソッポを向かれるような、現場感のない間抜けな経営者になるわけにはいかなかった。
考えるべきことは多いが、今はただ、サラが淹れてくれた茶を飲みながら、この穏やかな午後を楽しみたい。
本日は22:00にも投稿します。
トップページの「今日の一冊」にて本作が紹介されております。
よろしければご覧ください。
(この文章は次の本が紹介されるまで約1週間、続けさせていただきます)




