第六章 黒死蝶 5
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彼は頭が痛かった。
ここ数日、ずっとだったが、きょうはとくにひどい。
なにか知らないが、ここ二、三日、無性に人間に噛みつきたくてしょうがなく、噛みついては振り払われ、棒きれなどで追われる毎日が続いていた。
その度に人間は、「きゃあああ、ネズミよ」とか叫び声を上げる。もちろん彼には意味などわからないが、その甲高い叫びは彼を不快にさせた。
いつもならそんなリスクなど負わないのに、なぜか噛まずにはいられなかった。噛みたくて噛みたくてしょうがなかったからだ。
そしてその衝動はきょう最大限に強くなった。
噛むだけでは飽きたらない。全身を噛みつくし、血まみれになった人間が踊るところを見たい。
やってやる。
なぜならきょうは一匹じゃない。仲間がまわりにいる。それも大量に。
そう、彼が感じているとおり、大量の仲間が集まっていた。
下水道の中ならともかく、日中、人目の付くところにこれだけの数が集まることがかつてあっただろうか?
その数、数万匹。あるいは百万を超えるかもしれない。
道行く人間たちは、その異様な軍団を見て、絶望の悲鳴を上げる。
いつもなら耳障りな人間の悲鳴が、きょうは心地よかった。
今、彼は大量の仲間たちとひとつの建物を囲んでいる。
それは学校だった。彼は知るよしもないが、これこそは薫子の通う曙学園高校。
なぜか彼らはここに惹きつけられた。
何者かが呼んでいるのだ。神の囁きにも似た魅惑的な言葉で。
その神は彼らを煽る。
殺せ。殺せ。殺せ。人間を殺せ。
その鋭い牙をやつらの柔肌に突きたてろ。肉を喰らい、骨をかみ砕き、血をすすれ。
その破壊衝動が頂点に達したとき、仲間の一匹が校舎の正門の中に突入した。
それが合図だった。
数万匹の彼らは我も我もと押し寄せる。
人間の子供たちの悲痛な叫び声が聞こえる。
もっと叫べ。
恐怖に満ちた悲鳴は、彼の破壊衝動を増すばかりだった。
死ね、死ね、死ね、人間どもめ。
波のように押し寄せる黒い固まりは、憎悪の念で支配されていた。




