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第六章 黒死蝶 4


   4


 爆音とともに、慎二は『飛龍』で黒死館総合医学研究所の正門を突破した。そしてそのまま医療センターを目指す。彩花を送り込んだとき、下調べしたから場所はわかっていた。

 おそらく黒死館には、すでに不審なバイクに乗った男が敷地に入ってきたと連絡済みのはずだ。だがかまうことはない。もともと慎二は闇に紛れて忍び込み、誰にも悟られずに暗殺をするなどというのは性に合わないし、そういうことには才能がないともいえる。得意なのは正面突破だ。そもそも今回は時間がない。今すぐにでもネズミの進行を止めないといけないのだ。

 慎二は医療センターのガラス製の扉を開けることもなく、バイクごと、文字通り正面突破した。

 ガラスの砕け散る音に混じって、耳障りな悲鳴が響く。

 慎二は受付前に『飛龍』を止めると、ホルスターの『龍の牙』を抜いた。その間、およそ0コンマ数秒。銃口を向けられた受付の若い女は凍り付く。

「黒死館はどこだ?」

 冷酷な口調でいった。答えなければ女とはいえ撃つ気だった。龍王院は警察ではない。最初から法など超越している。

「た、たった今出て行きましたけど……」

 とても悪の手先には見えない顔をした女は、真っ青になっていう。後ろの方から聞こえる順番待ちの患者たちの叫び声が鬱陶しかった。

「おめえら、今すぐここから出ろ。洗脳されるぞ」

 振り返り、そういうと、患者たちは我先にと出口に殺到した。

 念のため、バイクにまたがったまま、診察室をひとつひとつ蹴破っていく。中に患者らしきものがいれば、同様に追い払った。医師たちは攻撃してこないので、とりあえず無視した。

 たしかに黒死館はいなかった。だが、最後の無人の部屋から慎二の特殊能力は残留思念波を感じ取った。ここから逃げ出した男の思念が波動になって残っている。

 邪悪な波動だ。まがまがしい波形をしている。

 もっとも波形といっても見えるわけではない。五感しか持たない普通の人間にはどう説明しようにも感覚的にはわからない。ただ便宜上波形といっているに過ぎないのだ。

 おぞましい精神は空間自体をいびつに歪め、道しるべを残した。それは窓から外に出ている。

 こいつを追えばいい。そこがやつの居所だ。学校でネズミの逃げだ場所を特定するよりずっと楽だった。

『飛龍』のエンジンを吹かし、窓をぶち破って外に飛び出すと、やつの痕跡を追う。

 慎二にだけ感じられる、海面に残ったモーターボートの波のような残留思念波は、一番奥にある建物に向かっている。たしかあれが第一研究所のはずだ。

 いまごろ逃げた患者たちが警察に連絡しているだろうが、それは問題ない。東平安名がすでに上の方に話を通してあるはず。問題はやつらの方だ。ここまで派手にやった以上、手ぐすね引いて待っているのは間違いない。もはや事態は戦争状態に突入している。

 慎二は第一研究所の建物の前で『飛龍』を止めた。

 目の前の建物は、清潔感溢れる真っ白な近代的な二階建てのビルで、コロセウムを連想させる円形をしている。

 静かで、外見上は平和そのものだ。しかし、精神を研ぎ澄ますまでもなく、中から邪悪な気が漂ってくるのが丸わかりだ。

 慎二を殺そうと待ちかまえている殺気。それも何人もの人間を殺したことのあるやつ特有の殺伐とした思念波がそこら中から出ている。

 身を隠す知恵すらねえのか、おめら。

 慎二は嘲笑した。

 殺気をコントロールすることすらできず垂れ流すやつが相手なら、たとえ百メートル先にいても気づかないことはない。

 やつはどこだ?

 だだ漏れの殺気の中から黒死館を特定するのは難しい。邪悪な思念波がそこら中から出ているため、逃げ込んだ黒死館の残留思念波をかき消している。だが入り口付近のやつらはおそらく雑魚だろう。おそらく黒死館は奥の方で、殺気をわずかといえど放つことなく隠れているに違いない。

 とりあえず、今慎二に向けて殺気を放っている敵の位置を頭にたたき込んだ。こいつらが自分を殺すつもりで武装しているのは間違いない。ならばこっちも容赦する必要がない。ある意味楽だ。

 殺気を向けるやつらは、片っ端から皆殺しにすればいいのだから。

 おそらく黒死館は、モニターで館内を観察しているはず。仲間を手当たり次第にぶち殺されて、動揺した思念波を発するものがいれば、そいつこそが黒死館だ。

 さて、どうするか?

 エントランスの一階部分には敵はいない。そのかわりに二階に四人。おそらくエントランスは吹き抜けになっていて、慎二が入ったとたん、上から一斉射撃するつもりなのだろう。

 相手の武器はわからないが、連射の効く軍用アサルトライフルであっても不思議はない。拳銃ならばともかく、そういう銃ならば弾丸をそれこそ雨のように浴びることになる。そんな雨はいらない。

 ならば答えは簡単だ。不意をついて、一気に殲滅する。

 病院内と違って一般患者がいるわけでもないし、遠慮する必要もねえ。ぶち殺して、ぶち殺して、ぶち殺して、ぶち殺せばいい。

 自分の顔が、無意識に笑っているのに気づいた。そういうモードに入った。

 慎二は必要以上にバイクの爆音を轟かせながら、玄関のガラス戸に向かって飛ばした。だが馬鹿正直にこのままつっこむ気はない。

 ハンドルに付いているレバーを操作する。

 『飛龍』は飛んだ。車体の下部についている四つのロケットブースターによって『飛龍』は文字通り、空に向かって飛んだ。

 そのまま、一階ではなく、二階のガラス窓をぶち破って中に突入した。

 完全に敵の虚を突いたらしい。両サイドにふたりずついる敵からは驚愕の気が波動となって発せられる。

 白衣を着た研究者のような格好だが、手にはアサルトライフル。研究者のふりをした殺し屋どもだ。予想通り、吹き抜けの二階部分に左右にふたりずついたことから、上から下へ囲むように狙い撃ちするはずだったのだろうが、今慎二はやつらの間をほぼ同じ高さで通過していく。この状態でアサルトライフルを撃てば、同士討ちになるのは必然だ。

 やつらはなにもできなかった。予定外の行動をされ、パニックになり、手に持っているアサルトライフルはただの飾りと化した。

 慎二は水平に飛びながら、あわてず腰の『龍の牙』二挺を同時に抜く。そのまま両手をクロスさせた。

 目で狙う必要はない。やつらが放つ気、つまり絶望の思念波の発生源方向に向かって撃てばいい。そうすれば見なくても勝手に当たる。

 左右の引き金を同時に引いた。

 耳をつんざく爆音とともに、やつらの放つ気がふたつ消えた。

「ひやあああああああ」

 残ったふたりは完全に理性を失ったようだ。意味不明の叫び声を上げ、同士討ち覚悟でアサルトライフルを中央にいる慎二に向ける。

「遅せえ!」

 慎二は容赦しなかった。やつらが引き金を引くよりも早く『龍の牙』の第二弾を撃った。 銃声の直後、血の入った肉袋が裂ける音がした。連射されたライフル弾が見当違いの天井に向かって飛ぶ。引き金を引いたまま倒れた死体が撃っている。

 慎二が一階の床に着地したころ、弾がなくなったらしく静寂が訪れた。

 二階から血の雨がぽたぽたと落ち、一階に血の水たまりを作る。

 第一関門突破。

 そのままスロットルを回し廊下を走った。やつらの放つ獣じみた思念波がこっちの方向から発せられている。

 この通りの両サイドの部屋に数匹ずつ隠れている。慎二はバイクで走り抜けながら、左右の『龍の牙』によるマグナム弾を気配めがけてドア越しに撃ち込んでいく。

「おらおらおらおら。それで隠れてるつもりか、薄汚ねえ殺し屋どもが」

 弾は轟音とともに木製のドアを突き抜け、断末魔の叫びを呼び起こしていく。

 左右とも三部屋ずつ撃ち抜きながら通過すると、ようやくこの周辺を覆っていたまがまがしい殺気が消え失せた。ドアの下の隙間から、血がじんわりと廊下に流れ出てくる。

 ドアのひとつが開いた。同時に白衣を着た男が廊下に倒れ込んだ。

 胸元は真っ赤に染まり、大きな穴が開いている。

 手には同様にアサルトライフル。顔には恐怖でも苦痛でもなく、驚愕の表情が張り付いたまま固まっていた。

 何者かが一瞬、動揺と怯えの混じった気を発した。

 急激な感情の変化によって生じた思考波。慎二はそれを逃さない。その波形こそは診療センターからここに逃げ込んだやつの波形。

 いた。やつだ。黒死館だ。

 一度覚えてしまえばもう逃がさない。猟犬としての慎二の能力の見せ所だ。

 波動の発生源は地下。やつはそこにいる。

 慎二は階段を探した。見つけるや否やバイクに乗ったまま駆け下りる。

 階段の最下部には重そうな鉄扉があった。とうぜん鍵をかけているのだろう。しかも鉄扉のすぐ後ろから大仰な殺気がふたつ、少し離れて六つ放たれている。

 慎二は走りながら『飛龍』のターゲットスコープを鉄扉にロックした。そのまま発射ボタンを押す。『飛龍』の前面のライトの両サイドにある穴から小型ロケット弾が飛び出した。

 炸裂音とともに鉄扉は粉砕し、すぐ後ろに感じていた殺気がふたつ消える。

 慎二はドアのあったところに向かいながら、ヘルメットを操作する。左右の耳当ての部分からシャッターのように飛び出た装甲が口元を覆う。さらに戦闘服内に装備された圧縮空気の入った小型タンクからの呼吸に切り替えた。そう長いことは持たないが、それで十分だ。

 そのまま爆発による炎と黒煙の中を駆け抜けた。

 パニックになりながら叫ぶ愚か者たち。この黒煙の中では互いに相手の姿は見えない。そんな中叫び声を上げるのは、自分の位置を敵に知らせることだと気づかない愚か者だけだ。

 もっとも慎二にはそんな耳からの情報など必要ない。

 殺意から絶望に転じた感情の激変によって生じる思考波の発生源に向けて銃口を向けるだけだ。

 半ば正気を失ったやつらが放つ流れ弾の雨の中、慎二は冷静に引き金を引いていった。

 まずは人一倍強い恐怖感によって思念場をゆがめているやつ。

 ひずみの中心に向けて撃った。

 中心のゆがみは消え、ついさっきまで感じていたはずの恐怖が波動となって球状に広がり、次第に衰退して消えていく。

 同様にすぐ近くにいるやつも始末した。さらにその横。後ろのやつも。

 やつらの出す波動が変わった。恐怖から死にものぐるいの殺意へ。

 だがターゲットが見えない悲しさ。弾はとんでもない方向に飛び、慎二にはかすりさえしない。敵のひとりは流れ弾に当たって死んだ。それでも乱射はやまない。

 あわてずに引き金を引く。

 狂ったようにアサルトライフルを撃っていたやつが吹き飛んだ。これで全員片付いたはず。

 ほっと一息ついたころ、ようやく爆発による煙が収まった。

 やつらの死体が目で確認できる。アサルトライフルを持った白衣のやつらの死体が血の海の中に横たわっている。

 だが計算違いの光景がひとつだけあった。

 おそらく黒死館のいる部屋の入り口と思われる扉の前に、白衣の若い男がひとり立っていた。もちろん弾は受けていない。煙にむせこんですらいない。しかもこの男は手に一切の武器を持っていなかった。体はがっしりしていて研究所員らしくはないが、戦闘のプロという感じでもない。むしろ生真面目な体育会系学生といった感じの男だ。慎二はなぜかこの男の気を感知できなかった。

 殺気を押し殺していたか?

「黒死館の野郎はその中か?」

 銃口を向け、質問する。

「そうだ」

 男は脅えるでもなく、慎二の質問を肯定した。

「おまえを通すわけにはいかない」

 男の顔は恐怖に脅えるというより、むしろ楽しそうだ。いや、顔だけでなく、この男の思念波から判断するに慎二を微塵も恐れていない。

 そんなことはどうでもいい。

 慎二は無言で引き金を引いた。弾は爆裂音とともに心臓のあたりにぶち当たった。

 だが男は死ななかった。その体は倒れるどころか揺らぎもしない。胸元から潰れたマグナム弾はころりと床に落ちる。

 こいつは機械化テロリストか?

「誰だ、貴様?」

「『楽園の種』、黒死館部隊の副官、中里少尉」

 中里。聞き覚えがある。確か彩花が潜入したとき、助手として黒死館と一緒にいたやつだ。とうぜん彩花の洗脳にも立ち会っているはず。

 中里は邪悪な気を発散させながら、手を広げたまま両手を慎二の方に向ける。

 次の瞬間、中里の指先から天を突く勢いで紅蓮の炎が発せられた。

 しかもその瞬間、こいつから出る残虐な思念波の形には見覚えがあった。

「彩花を焼き殺したやつは貴様かぁああああああ?」

 十本の指から発せられた火炎は、それぞれ龍のごとく四方八方から囲むように慎二に襲いかかる。



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