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第五章 傀儡師と人形 4


   4


 慎二は耳をつんざく銃声とともに、硝煙の匂いと肌を焼く熱さを感じた。

 彩花の放った銃弾は、慎二のこめかみをかすり、車の天井を貫く。

 とっさにハンドルを切り、彩花の体を横に振ると同時に、左手で拳銃を持つ手を跳ね上げた結果だ。

 タイヤが軋む。車は隣のレーンにはみ出した。巧みなハンドルさばきで、かろうじて後続の車と衝突を避ける。

 慎二が車のコントロールを取り戻すころ、彩花は体勢を立て直し、ふたたび銃口を向けた。

 不意を付かれた先ほどと違い、今回は余裕がある。慎二は左手を銃の上から被せ、スライドを掴んだ。そのままねじ上げる。彩花は手首をひねられる格好となり、悲鳴とともに銃を離した。

 だが彩花はあきらめない。銃を奪われると知ると、慎二がグリップを握り直そうとする前にたたき落とした。逆に撃たれることだけは避けようとしたのだろう。互いに銃を手放すと、慎二に抱きついてきた。右腕を首の後ろから回し、右手で左手を掴もうとする。

 裸絞めだ。運転中でろくに抵抗できないことをいいことに絞め落とすつもりらしい。銃を拾い直して隙を作るよりも、こちらの攻撃の方が的確と判断したのだ。

「馬鹿野郎! 正気に戻れ、彩花。ふたりとも事故って死ぬぞ」

「それを狙ってるの」

 彩花は耳元でくすくす笑った。

 くそ。おまえともあろう者が、どうしてやつらの洗脳なんか……。

 慎二は左の肘を彩花のみぞおちにたたき込む。

 だが彩花の力は弱まらなかった。

 とっさにかわして急所だけは外したらしい。肋骨に当たった感触がした。

 とはいえ、慎二の肘打ちは岩をも砕く。みぞおちに入らなくてもただで済むわけがない。むしろ肋骨が折れ、かえってひどいことになっているかもしれない。

「あなたと過ごした時間は楽しかったわぁ」

 彩花はそんなことをいいつつけっして力を緩めない。死んでも離さないつもりなのだろう。両手をがっちりと掴み、渾身の力で締め上げる。とても女の力とは思えない。

 まずい。

 意識が遠のいていく。そんな状態で車は蛇行しつつ、交差点に向かって猛スピードで走っている。

 しかも信号は赤。

 彩花を振り払うよりも、車を止める方が先だ。

 思い切りブレーキを踏む。同時に体が前方に振られた。

 しかもハンドルを中途半端に切った状態での急ブレーキ。

 ふわりと車体が浮いた。

 まずすぎる。

 車は完全に横転した。もはや完全にコントロール不可能。しかもなまじ勢いがあるものだから、そのまま交差点に向かって転がっていく。

 脱出しようにも、彩花の腕ががっしりと首に食い込んでいる。

 ぷぁぷぁああ~っ、と激しいクラクションの音がすぐ近くで鳴り響く。

 ここは交差点のど真ん中。車はようやく転がるのをやめたようだが、真っ逆さまの状態で止まっている。

 そして今のクラクションの音はおそらく大型ダンプのそれだ。

 次の瞬間、慎二は激しい衝撃を感じた。

 車の内部が一瞬で縮まった。

 ふたたび浮遊感を覚える。

 しかも回っている。

 なんのことはない。ダンプにはねられ、車は潰れつつ、跳ね上がり、空中で回転しているってことだ。

 慎二はパニックになってなどいない。むしろ意識は醒めていた。

 時間は急にゆっくり流れ出した。意識だけが暴走しているのだ。

 こういうことはよくあった。死ぬか生きるかのとき、勝手にスイッチが入るらしい。

 彩花は相変わらず抱きついたまま首を絞めている。だがその力は少し緩んでいた。

 慎二は意識を全方位に向け、状況を探る。

 車は逆さの状態で、独楽のようにまわりながら、ある方向に向かって飛んでいる。

 回転しながら飛ぶという最悪の条件の中、慎二は落ちる位置を正確に予測した。

 道路に面した、アスファルトを白線で区切っただけのオープンな駐車場。車が何台も並んでいる。さいわい人の気配が感じられないから、どれも無人のようだが、このままではその中の一台の真上に落ちる。その時間、およそ三秒後。

 通常ならなにもできないまま、たたき付けられるしかない時間だが、今の慎二には考える余裕があった。

 ドアに手をかける。

 ロックは外れたが、車体がひしゃげたおかげで開かない。

 構わず蹴った。

 慎二がつま先で蹴ると、ドアを貫通するはめになるので、足の裏全体で押すように蹴った。

 二発。三発。続けてぶち込んだ。

 ドアが飛ぶ。

 そのまま彩花を背負って飛び出そうとした。

 できない。彩花がなにかに引っかかっている。

 シートベルトか?

 慎二は振り返り、確認する。シートベルトはしていなかった。かわりに潰れた車体が足を挟んでいる。

 激突までもう一秒もない。足を抜く暇はなかった。

 見捨てるしかなかった。さいわい彩花の腕は、もう慎二の首を締め付けているというよりも巻き付いているだけだった。

 彩花の腕をふりほどき、外に飛び出すのと、車体が駐車場の車に激突するのはほぼ同時だった。

 スクラップ置き場で、車を潰すときに似た音が鳴り響いた。

 背中合わせでぶつかった二台の車は、砕けたガラスを飛び散らせながら潰れた。その光景はもはやスローモーションではない。慎二の感覚が通常に戻った証拠だ。

 彩花を乗せた車はその状態でしばらくの間ルーレットのように回った。

 その回転が止まったとき、座席のある部分はぺしゃんこになっていた。

 潰れた窓から、一本の腕が出ている。その白い腕にはいくつもの真っ赤な筋がついている。その真下の地面には真っ赤な水たまりができ、車からたれ落ちる赤いしずくが雨のように波紋を作る。

 死んだ? いや、生きている。

 慎二は、潰れた車の中から、かすかに彩花が放つ気を感じた。

 今にも消えそうな弱々しい思念波。彩花の命が消えかけている。

「待ってろ。すぐに出してやる」

 ふらつきつつ、慎二が車のドアに手を掛けた瞬間、真後ろから空間を大幅にねじ曲げる意思を感じた。それが巨大なうねりの思念波となる。明確な殺気だ。

 振り返ると、バイクに乗ったフルフェイスマスクの男が慎二に向かって手をかざしていた。その男は慎二に匹敵するがっちりした巨体で、全身真っ黒なライダースーツに身を包んでいるが、手にはなぜかグローブを嵌めていない。

 なんかやばい。

 そう思った瞬間、男の指先から炎が発せられた。

 まるで火炎放射器のように、高熱の炎が恐ろしい勢いで飛んでくる。

 慎二がかわすと、炎は彩花の乗った車を包んだ。次の瞬間、車は爆発炎上する。慎二は爆風に飛ばされ前に、自ら飛んだ。熱風が強烈な追い風となり、慎二の体をさらに遠くに運ぶ。

 そのまま、なにかにたたき付けられた。たいしたショックがなかったことから考えて、下はアスファルトではなく、他の車の屋根らしい。腰がずっぽりとはまり抜け出すことができない。

 攻撃の第二波がくる。

 そう考えたが、体は動かない。敵の殺気はふたたびふくれあがる。

 死ぬのか、こんなところで。彩花の敵も討てずに。

 慎二は逃げ出せないまでにも、男を睨み付ける。男のかざした指から炎が発せられようとした瞬間、べつの強烈な思念波が発生した。

 ライダースーツの男がはじけ飛ぶ。

 男がいた場所には長い黒髪の女が立っていた。膝下までのスカートのセーラー服を着た女子高生で、両手に木刀を持っている。そいつが木刀の一撃で男をはじき飛ばしたらしい。

 男は攻撃の目標をその女に変える。指先をそいつに向けた。

「それまでだよ」

 男はいつのまにか、新たに現れた女子高生三人に囲まれていた。いずれも木刀を持ってその切っ先を男に向けている。

 男はかまわず最初の女に炎を発した。女はいとも簡単にそれをかわす。

 あとの三人の女は同時に木刀をたたき込むが、男はびくともしなかった。

 リーダー格らしい髪の長い女が男に目もくれず倒れたバイクに木刀を突きたてようとした。足を奪う気らしい。

 男は猛スピードでバイクに向かうと、そのまま女をショルダータックルではじき飛ばす。女はかろうじて打撃を木刀でブロックしたようだ。

「男を攻撃しても無駄。バイクを壊すんだ」

 リーダー格の女が他の三人に指示を飛ばす。

 男は女四人に囲まれ、舌打ちしつつバイクを起こした。警察のサイレンが近づいてくるのがわかる。

「ふふふ。命拾いしたな、龍王院」

 男はそう吐き捨てると、バイクに飛び乗る。同時に飛んできた女たちの木刀の攻撃を手ではじき返すと、円陣を突破し走り去っていった。

 逃がしてたまるか。

 そう思っても、体は動かず、追う足もない。

「く、糞野郎めが!」

 慎二はうなるように言葉をはき出した。

 どうやったか知らないが、『楽園の種』は彩花を洗脳した。そして俺とともに死ぬように命令した。

 しょせん、洗脳した敵の兵隊など使い捨てだ。

 逆にいえば、やつらにとって洗脳など簡単なことなのだろう。

 しかもしくじったときのために、殺し屋まで差し向けやがった。

 やつらの目的にどんな大義名分があろうと、けっして許すことはできない。

 慎二はめり込んだ車の屋根から抜け出し、地に足を着いた。

 あの女たちは?

 男を追ったのか、四人ともいなくなっている。

 そもそもあいつらは誰だ? なぜ俺を助けた?

 根拠はないが曙学園に潜入した女、鳳凰院の仲間のような気がした。ただ自分を助けた理由がわからない。

 いや、今はそんなことどうでもいい。やつを追わなくては。今ならやつの残留思念波で跡をたどれる。

 目になにか液体が入った。

 顔に手をやると、ぬめっとしている。

 血だ。脱出したとはいえ、ダンプにはねられ吹っ飛ばされた上、爆発に巻き込まれた。鍛え抜いたからだとはいえ、とうぜんダメージはある。

 起きあがろうとしたのがかえっていけなかったかもしれない。視界はぐにゃりと歪み、次の瞬間、顔の前にはアスファルトの地面があった。


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