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第五章 傀儡師と人形 1


 第五章 傀儡師と人形




   1


 薫子が朝学校に行くと、もう篠原が死んだ話で持ちきりだった。

 とくに隣のクラスは蜂の巣をつついたようになっていて、事故当時職員室にいたという佐々木のまわりには、クラスメイトたちが絶えず群がり、薫子が事情を聞きに近づける状態ではなかった。

 少し落ち着いてから聞くしかないな、こりゃ。

 そう思って自分の教室に戻ると、担任の石岡が来て朝のホームルームが始まった。とうぜん篠原の話になる。

 好奇心いっぱいに、あれこれ質問する生徒を遮り、石岡は以下のことだけをいった。

 死因はあくまでも心臓麻痺で事件性がないこと。

 今夜通夜をおこなうこと。

 葬儀はあしたであること。

 さらにこのクラスは篠原が教科担当をしていないので、とくに部活等で付き合いがなければ葬儀に出る必要はないということ。

「先生。篠原先生が倒れたとき、そのまわりに黒い蝶が飛んでいたっていうのはほんとうですか?」

 手を挙げて立ち上がり、堂々と質問をしたのは七瀬だった。

「馬鹿なことをいうな。そんな事実はない。少なくとも俺は気づかなかったぞ」

 石岡は一喝する。七瀬はつまらなそうに座った。

 七瀬の話では、死に際に一番近くにいたのは石岡ということだが、逆に篠原が倒れたことに動揺し、まわりを見る余裕がなかったのだろうか? それともことを大きくしたくないから隠している?

 薫子にはどちらとも判断がつかなかったが、なんにしても石岡から聞き出すことは難しそうだ。やはり、佐々木の証言が欲しい。

「あまり事を荒立てるな。おそらく過労か、ストレスの溜めすぎだ。このことはこれ以上聞くな。以上」

 その台詞でホームルームは終了し、石岡は職員室に戻った。教室はざわめいたが、すぐに一時間目の数学の教師がやってきて、話題はそこでとぎれた。

 薫子はその後、授業中もずっと上の空だった。篠原のことが気になってしょうがなかったのだ。

 なにかがこの学校で起きているのは間違いない。ただ、その黒い陰謀はおおっぴらに姿を見せず、水面下を静かに蠢いている。それはなに?

 午前中の間、それを考え続けた。

 昼休みになると、薫子はさっそく隣のクラスの佐々木を訪ねた。

 呼び出された佐々木は、不審な表情をしていたが、さすがにきのう会ったばかりの薫子のことを覚えていた。

「たしか、……鳥島さんだったよね。なに?」

「うん、ちょっと聞きたいんだけど。佐々木さん、きのうの放課後偶然職員室にいたんだって?」

 薫子がこう聞くと、佐々木は生真面目そうな顔に警戒色をあらわにした。

「どうしてそんなこと聞くの?」

「気になって。なにかが起こってる。それも自分と無関係じゃない。そう思うと、調べないと気が済まないの」

 そういうと、佐々木の顔が泣きそうになった。そしてぼそっという。

「あたしのせいだわ」

「え?」

「篠原先生が死んだのはきっとあたしのせいよ」

 佐々木はそういいつつ、まわりの生徒の目を気にしているようだった。

「話を聞かせて。……ちょっと外に出ましょう」

 薫子は佐々木を校舎裏の芝生に連れ出した。例のネズミが出現した場所。ここならば人気がない。

 そこまで来ると、佐々木は薫子に胸の不安を打ち明けた。

 ボーイフレンドの鈴木がおかしくなったこと。そのことで篠原に相談したこと。鈴木がネズミに囓られ、保健室に行ったこと。そのことで篠原が保健室に行った直後にあの事件があったこと。それらをまくし立てた。

「そんなことがあったの?」

「それだけじゃないの。今朝から尚子もおかしいのよ」

 尚子とは教室でネズミに噛まれた前田の名前だ。

「尚子も藤枝さんを崇拝しだしたのよ」

 佐々木の顔にはもはや恐怖の表情すら浮かんでいた。

 ネズミ。保健室。藤枝。そしてネット掲示板と黒死館総合医学研究所。

 薫子の頭の中で、パズルのピースがつながりつつある。

 三月のいっていた『楽園の種』。そいつらがネズミを使ってなにかをたくらんでいる。

 なにを?

 黒死館総合医学研究所、あるいはこの学校の保健室に行かせようとしている。

 そして保健室に行った人間はとたんに藤枝を崇拝するようになる。おそらく黒死館総合医学研究所のほうでも同じようなことが起きているんだろう。だからこそ龍王院が動いた。

 そして秘密を探った篠原は死んだ。いや、殺された。

 考えられることはひとつしかない。

 洗脳だ。

 なぜ、黒死館総合医学研究所だけでなく、この学校で同じようなことが保健室を通じて行われているのかはよくわからない。

 ひょっとしたら、この学園ではしばらく前から密かに洗脳実験がおこなわれていたのかも。藤枝の取り巻き連中がそうだ。もしそうなら、ここでの実験がうまくいったからこそ、東京都内全般でも同じことをしようとしていると考えればつじつまが合う。

 おそらく大規模な計画を実行する前に、この学校でサンプルデータを取りたかったのだ。

 なんにしろ東京全般で起きていることのミニチュア版の事件が、この学校の中では先行して起きている。そして黒幕は藤枝と保険医の香坂だ。三月と鳳凰院の里にはそう報告しておこう。

「ありがとう。最後にもうひとつ教えて。佐々木さん、あのとき職員室で蝶を見たんでしょう? 黒いアゲハチョウを」

「うん。何匹も先生のまわりを飛んでいた。他の先生たちが気づいたかどうかは知らないけど、たしかに飛んでいた。でもいつの間にかいなくなっていた気がする」

「先生が中に入ったとき、外には誰かいた? 誰かが先生を追ってきた?」

「それはわからない。でも少なくとも先生のすぐ後ろには誰もいなかった。誰かが追っていたにしても距離はあったはずよ」

 それならば他の先生たちも誰も見ていないのだろう。

「ね、ね、なに探偵の真似事してんのよ? あたしも混ぜてほしいな」

 薫子たちが話に夢中になっていると、いきなり口を挟んできた者がいた。

 七瀬だった。

 佐々木は七瀬を見ると、顔色を変えた。

「じゃあ、あたしはこれで」

 そういうと、逃げるように去っていく。

 佐々木が逃げるのはとうぜんだった。七瀬もネズミに囓られ、保健室に行ったひとりだ。藤枝や香坂に操られる人形だと思うのも無理はない。

「七瀬、きのう保健室に行ったよね」

「えへ、じつはばっくれちゃった。あ、ごめ~ん。前田さんに伝言するんだったよね。忘れてた」

 七瀬は「てへっ」と舌を出し、拝む真似をした。

 変わっていない。変貌したといわれる鈴木や前田と違い、七瀬ははじめてあったときとなんら変わってはいなかった。

「じゃあ、最初の日、保健室に行ったときってどんなことされた?」

「え? 注射打たれて、少し休んだだけだよ。特別なことはしてないけど」

 七瀬はきょとんとした顔でいう。

 そういえば、前田が変わったのは今朝からだという。つまり、最初の治療のときはなんらかの理由で洗脳がおこなわれず、きのうの放課後おこなわれたのかもしれない。

 そう考えれば七瀬は無事だ。

 そう信じたかった。だが確証が得られないうちは、七瀬にこれ以上自分の手の内を晒す気にはなれない。

「なによ、薫子なにかわかったの、今度の事件のこと?」

 七瀬が好奇心丸出しのくりっとした目で薫子の顔を覗き込んだ。

「わかるわけないじゃない。あたしは名探偵じゃないんだから」

「あはは、誰もそんなことを期待してないよ」

「ねえ、七瀬。傷が治ったんなら、もう保健室には行かない方がいいよ」

 七瀬はきょとんとした顔をする。

「まったくなにをいいだすのよ。あたしはべつに保健室が大好きないじめられっ子じゃないんだからね」

 七瀬は大笑いした。



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