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第三章 龍王院対鳳凰院 1



 第三章 龍王院対鳳凰院




   1


「なにやってんの、薫子さん?」

 三月が喫茶『ドラゴン』に入った第一声だった。

 なぜなら薫子がキッチンカウンターでカレーの鍋をお玉でかき回していたからだ。

「え、いや、だって……」

 薫子は遠慮がちに、横で椅子に座ってマンガ本を読んでいる美咲をちらっと見る。

「あははははは。気にしない気にしない。お手伝いがしたいんだって。いい子ねえ」

「ふ~ん。なるほどね」

 三月はテーブルに着くなり、ひとり納得していた。すべてお見通しらしい。

 さすがは美咲の料理の腕を誰よりも知る男。薫子が美咲の料理の味に我慢できず、自分で作った方がはるかにましだと考えたことを瞬時に見抜いたようだ。

「じゃあ、僕ももらおうかな。薫子さんの手作りカレーを」

「へ~い、カレー一丁追加ね。薫子」

 美咲がおどけた口調でいう。

 追加もなにも、鍋にはすでに数人前のカレーができつつある。そろそろ火を止めてもいいころだ。薫子は皿にライスを盛りつける。

「三月さん、盛りは?」

「普通でいいよ」

 薫子は普通の盛りつけの皿ひとつと、山盛りの皿ひとつにカレーをかけていく。

「おまちどう」

 薫子は両手に皿を持って三月のテーブルまで行くと、自分もそこに座った。

「う~ん、楽ちん楽ちん」

 美咲が楽しげに独り言をいう。こんな仕事をしているが、料理をしたりすることは好きではないらしい。薫子に仕事を取られてもなんとも思っていないらしい。もっとも料理好きであの腕ならかわいそうな気さえするが。

「よっぽどカレーが好きなんだね、薫子さん」

 三月は山盛りカレーを見て、目を丸くする。

 べつに大好物というわけでもない。たいていのものは好きで、なんでもよく喰う。きのう頼んだのはたまたまだし、きょうもカレー作ったのは、他に作れるものがないからだ。

 薫子だってお世辞にも料理がうまいとはいえないから仕方がない。それでも野菜は火が通るまで煮る、くらいの常識はある。まあ、その程度といわれればそれまでだが。

 そんな薫子が自分で作った方がましだという料理で金を取る店があることが不思議だ。

「ま、まあね、栄養たっぷりだし」

 薫子は内心それ以上つっこむなよ、と思いつつスプーンを口に運ぶ。

 うん、美味い。

 市販のルーを使ったカレーだが、ちゃんとカレーの味がする。いや、ルーを使ったからこそカレーの味がするのかもしれないが。

 それでもちゃんと食えるものにはなっている。

「いやあ、料理も上手いんだね、薫子さん」

 三月の一言に、思わず「はにゃん」となってしまいそうになるのを堪えた。

「いやあ、ここだけの話だけど、いったい美咲さんはどうやればあんなものが作れるんだい?」

 三月がささやく。まさに同感だった。ひょっとしたら自分でスパイスを調合でもしているんじゃないだろうな? だとすると自分をまったくわかっていない。そんなことはインド人にでもまかせろ。

「あしたはべつの料理も作ってよ。晩飯食わずにここにくるからさ」

 ぎくっ。

 毎晩、三月がこの店に来て、薫子がその日の捜査状況を説明することになっている。そのさい、薫子の料理を食べたいらしい。

 その気持ちは大変嬉しいが、期待に応えられるだろうか?

「ま、まあ、まかせてよ」

 そう思いつつも、胸をどんと叩く薫子であった。

「それいいわねぇ。楽ちん楽ちん」

 美咲がそれを聞いてまたはしゃぎだした。プライドないのか、あんたは?

「で、なにかわかったことがある? きょうは初日だから期待してないけど」

 カレーを食いつつも、三月は仕事の顔になった。

「そうねえ……」

 薫子も口いっぱいのカレーを咀嚼しながら考える。

「ネズミ」

「え、どこ、どこよ?」

 薫子の言葉に反応し、美咲があたりをきょろきょろ見回した。

「いや、こっちの話」

「脅かさないでよ。ここは飲食店なんだから、ネズミなんか出たら客が来なくなるわ」

 ネズミが出なきゃ、客は来るのか? とつっこみたかったがやめておいた。

「それで、ネズミがどうしたの?」

 三月が美咲を無視して、薫子を見つめる。

「いや、ネズミが生徒を襲ったの。追いつめたわけでもないのに、いきなり」

「ふ~ん」

 三月は真剣な顔でなにか考え込んだ。

「それも一件だけじゃないの。あたしが見たのは昼休みだったけど、隣のクラスでは午後の授業のとき、教室に出てきて生徒を囓ったらしいよ」

「たしかに変だね、それは」

「でしょう?」

「で、噛まれた生徒はどうなった?」

「保健室に行って終わりよ。消毒して、抗生物質の注射打ったみたい」

「やあねえ。曙学園って思ったより不潔な学校なのねぇ」

 聞き耳を立てていた美咲が茶々を入れる。

「黙っていてくれよ、美咲さん」

「へいへい」

 美咲は不機嫌そうに、ふたたびマンガに目をやる。

「噛まれた生徒の名前は?」

「二階堂七瀬。隣のクラスの方はあしたにでも調べておくわ」

 三月は七瀬の名前をメモした。

「その生徒の容態が気になる。追跡調査して。ついでに、保健室の先生に様子を聞いてほしい」

 三月が美咲を気にしてか、小声でささやく。

「いいけど、なんなの? 心当たりがあるんなら教えてよ」

 薫子も声を落とした。

「今の段階じゃなにもわからないよ。ただちょっと気になる。なにか裏があるような気がする」

 急に不安になった。たいしたことじゃないと思っていたのに、三月の反応が思っていた以上に過剰だ。

「それともうひとつやってほしいことがある」

「なに?」

「そのネズミを一匹捕まえてほしい」

「げっ、マジ?」

 急に食欲がなくなった。べつに、薫子は都会の一般的な女子高生と違い、ネズミを見たくらいで悲鳴を上げるような軟弱者ではない。とはいえ、ネズミを捕まえるとは簡単ではない。ネズミの行動パターンを読めないと、そこらに罠を掛けてもそうそう引っかかるものではない。

「できれば生け捕りがいい。ウチの企業の研究機関に調べさせたい」

 初任務は悪人を倒すことからかけ離れ、探偵どころかネズミ退治に成り下がった。

「女子高生にネズミを生け捕りにさせようなんて、どんな男よ、もう」

「わははは。僕は君の依頼人」

「わかったって、もう。やればいいんでしょう。やれば?」

「そうそう、やってくれるよね。で、念のため、素手では触らないで。もちろん噛まれないように注意してよ」

 う~む、暗に変な病原菌がネズミについているかもしれないって、いっているようなもんね。

 そう思うとうんざりする。ネズミは怖くないが、変な病気にはなりたくない。

 まあ、たとえそうだとしても、空気感染はたぶんないだろうから、噛まれなければ問題ないはず。

「ねえ、さっきからなにを内緒話してんのよ。ネズミを捕まえるとかって聞こえたけど、間違ってもこの店に持ってこないでよね」

 いつの間にか、美咲がテーブルのすぐ側に立っていた。

「や、やだなあ。あたしがそんなことするわけないでしょう?」

「ま、それもそうね。とにかく、あしたもお料理がんばるのよ」

 美咲は薫子の肩をぽんと叩く。

「じゃ、そういうことで。薫子さん、楽しみにしているよ」

 三月の一言と笑顔にどきんとする。

 いつの間に平らげたのか、三月の皿は綺麗になっていた。

 その楽しみにしてるっていうのは、もちろん料理だよね。ネズミ取りの方だったら承知しないんだから。

 薫子がそんなことを思っていると、三月は席を立った。

「御会計」

 美咲がにっこり笑った。

「薫子さんの分と合わせて月末に払うよ」

「うわあ、食い逃げだ。食い逃げぇ。大金持ちの癖しやがって」

 物騒な言い分に耳を貸さず、三月は店を出る。

 薫子はちょっと盛りすぎたなと思いつつ、残ったカレーを口に運び、いったいどうやってネズミを捕まえようか? と考える。なにせ昼間そんなことをしていれば、他の生徒や教師たちに怪しまれるのは間違いない。

 しょうがない。今夜、遅くなってから忍び込むことにするか。



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