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決着

 終わりが近づく。

 手の内を晒し合ったことで、終着までの道筋がおぼろげながら映り始めていた。


「へっへ、いまのは、さすがにちょっと面白かったぁ」


 手放していたソードブレイカーをぱしんとつかみ、再び二刀の構えでじりじりと距離を詰めてくる怜胤。柊も黙って右手に短刀を抜いた。

 どうやらあの業、飛び道具には有効だが直接に手が触れている得物には通じないらしい。こちらも分析を進め、少しずつ詰みに迫っていく。


 互い、予感しているだろう。次の一合が、ラストだと。


「どうもわたしの業、ばれてきてるみたい?」

「看破というまでの自信はありませんが。おおよその理合はつかめてきました、な」


 代償は高くついたが。脇腹を隠すように右半身に構えなおして、柊は言う。引き裂かれた執事服の下に己の扱う鋼糸を編み込んだベストがなければ、いまごろ臓腑はただでは済まなかっただろう。

 怜胤はふふと笑みをこぼしながら歩み寄り、柊の間合いに自ら入ろうとしてくる。止める力を以てすれば、もはやどの得物も恐るるに足らずということだろう。

 怜胤は柊に手の甲を向けながら、己の業について語った。


「〝凍憑いてつき〟。流派はないケド、業にくらいは名がほしくってね。そうつけた」

「ほう」


 気のない風に、柊は返した。

 けれど内心ではこの発言に、安堵と悲しみを抱いていた。

 前者は、相手が自身の常識の範疇に暮らす者であったことへのもの。

 後者は――その常識がゆえに彼女が苦しむのであろうとの推測によるもの。

 ……柊はため息をつく。

 そも、この戦いも、柊にとっては確認作業だったのだ。先ほど心中に挙げた二点を確かめるための……辻堂の推理によってもたらされた、彼女の核心に至る、『本件の動機』について確信を得るための作業。

 そしてそれは、相手の心に踏み込む作業である。

 心の、掌握。幾度となく繰り返してきたこの手順は、彼が生まれてこの方磨き続けてきた技法の根幹。


 暗狩流、絶戦之闘法。


 その根幹を成すものだ。

 すなわち――戦いに臨むための相手の支柱を、ひとつずつ折る闘法。

 残虐苛烈なこの戦闘手段を、柊は躊躇わず選択した。


「名、ですか……でも呼ぶ人がいないのでは、名の意味も半減でしょう」


 彼女の命名を揶揄するように柊が言えば、怜胤は首をかしげた。


「呼ぶよ? わたしが」

「そういう意味でなく。名とは、業績とは……知られて、認められて、繋がるためのものでなければ意味がないということです」


 かつての自分を思って。

 偽名でこの宿へ来たときのことを思って、柊はぼやいた。


「きみはだれとも繋がらない。きみの行いは、認められておりません」

「……だれに? わたし、自分が強いことを証明したいだけだよ」

「証明して認められたいのでは? 自分の親に(、、、、、)


 ずきりと、傷が痛んだような顔が見えた。

 ――強さのあかしを、立てる。

 道場という、権威をある程度周知されたものばかり狙ったのがその証左だ。

 単純に自己満足として強い者を倒すのではなく、この雨宮怜胤という少女は、自分の強さを知ってほしいと思ったから道場でしか戦わなかった。流派が懸からなければ戦わなかった。

 権威を倒すことで、自分に権威をまとわせたかったのだ。

 認めさせたかった相手は――親。自分が『完全』であると、生まれながらに強い存在であり、肉体の征服者なのだと。そうアピールしたかったのだ。

 だから柊と戦っていてもうわのそら。見ているのは、親だけなのだ。目的はそこにしかない。

 であるなら。

 目的()を、挫く。


「単に強さを求めたわけではなく、強さの誇示がきみの目的です。が、残念ながらそれは果たされないでしょう」

「なぜ?」

「彼らにとっての価値観は、きみのそれとちがいすぎる」


 怜胤の顔が引きつった。

 そう。そういう、ことだ。

 怜胤は、『完全なる幸福』などという大仰なものを目指す環境に生まれたにしては――価値観が、辻堂や柊などの外部者に近かったのだ。

 そも『完全なる幸福』というのは自己満足の窮極。なぜなら幸福とは、共有することはできても共通することはできない概念だ。

 つまり肉体の完全征服・完全支配とはおそらく、生理反応などから意識・認識に至るまでを『自分の都合で自分に合わせて』変更できることである。

 それはきっと、感情ですら外部刺激に依らないものとなる。


「求められていたのは『強いこと、優れていること』そのものではないのです。それは過程にすぎない。きみの強さは自己の身体に対する認識・把握能力の高さに由来するものでしょうが、それは目的達成のための『自己把握』に用いる能力の付随物です」


 枝葉末節。こだわっていた〝強さ〟とは、黄金の夜明けという結社においてはさほど意味をなさないものであった。


「きみのしてきたことは、彼らの求める道ではなかった。きみのしてきたことは――意味をなしては、いなかった」


 怜胤は、雨宮怜胤という少女は見誤っていた。

 自分の周囲にいる人物たちがなにを求めているかを、理解していなかった。おそらくは生得的な価値観のちがいによって。よりわかりやすい、他者と己を引き比べる道のほうを選んでしまった。

 それはべつに、彼らにとって『不要なもの』だったのに。

 だから雨宮は、『怜胤を傷つけても構わない』という条件で依頼を持ち掛けてきたのだろう。自分たちの目的に対して、段階を進める指標にはなったが、それ以上にはならなかった娘だから。

 自分たちにとって、思い通りならない娘だったから。

 ……ふうと息をひとつ吐く。これはあまり考えると、柊にとっても胸が苦しくなる話だった。


「そ、そんなっ、そんなの、っ」


 かぶりを振って、怜胤はソードブレイカーを取り落としそうになる。

 あわてて、雨宮のほうを見る。

 認められたかった相手。見ていてほしかった相手。

 けれど――彼女は、見たのだろう。

 彼の目に、己が映っていないことを。


(ああ……)


 柊は思い至る。

 彼女は、かつての自分だと。

 家に捨てられたと感じ、どこにも行けないまま自棄になってすべてを捨てようとしていたときの自分だ。認められないままに周囲への攻撃性を強め、どうにもならないまま壊れるまで止まれなかった自分だ。

 だから次に口にする言葉も、明確に予想がついた。


「でも……そっ、それでも(、、、、)!」


 理屈でわかっても、どうにもならないのだろう。

 いまの柊が守る以外のために戦えないのと同じく。ひとは、合理性だけで動いてはいない。

 それが情だ。少なくとも柊や辻堂の常識の中では、ひとをひとたらしめているもの。

 ……だからといってそれは、言葉だけでいわれてもむなしく響くものだ。

 感じて、納得していくしかない。理解を身に、しみこませていくしかない。


「それでも」


 ぼそりとささやき、柊は左手から出した四本の糸付き苦無を振るう。

 直接に怜胤に向けるのではなく、自分の前へふわりと、かざすように流した。糸の鋭さに断たれた雨が、やわいカーテンのように裂かれる。

 隙間からじっと怜胤を見つめ、右手を後ろへ深く振りかぶっていった。


「それでも。生きてくしか、ないのですよ」


 次いで、短刀を投じる。全霊の力で、右手が地面につくのではないかというくらいに。

 最後の投擲。雨を貫いて飛ぶ刃を、困惑の中で怜胤は認めた。

 精神的にはすっかり戦える状態でなくなっていたはずだが、なおも体はよく動いている。〝凍憑〟の魔手がうごめき、柊の短刀を止める。

 けれど一瞬だ。止めきれるのはわずかな間だけ。


「疾ッ――」


 息を落として走り出し、柊は怜胤に挑みかかる。左腕を横に薙ぎ、浮かせていた糸と苦無をはじき出す。

 さながら鞭の先端がごとくひゅぱっと風を切った糸と苦無は果たして――三本は外したが、一本は怜胤が止めた短刀の柄頭に撃ち込まれた。


「うっ!」


 止めた直後にさらに力が加われば留めていられなくなることは、先刻確認済みだ。


「……っぶ、な、い……!」


 貫き通った攻撃は、しかし肩へ命中する寸前にソードブレイカーの腹で防がれていた。

 だが構わない。一瞬でも、完全な防戦に追い込めれば。


「あとは中距離(僕の間合い)です」


 ここからの連撃で、勝機をつかむと定めた。

 接近途中で身を低くし、先の戦闘で断たれ落ちた糸の端を回収。芝生を刈るようにくるぶしを狙う、鎌のごとき一閃――足裏の〝凍憑〟で止められる。

 即座に柊は左手で飛ばしていた糸をつかみ、わざと外して地面に撃ち込んでいた三本を頼りに己の体を引き寄せる――が、これを読んでいた怜胤が空中移動の途中で糸を切断。勢いだけが余って操作性を失い、柊は無防備に宙に浮く。

 振りかざされるソードブレイカー。

 もはや進む以外に術のない柊の頭蓋へ、渾身の一撃が見舞われんとしている。

 怒りと悲しみと恐怖とがないまぜになった目で。

 到底戦いに臨むような者ではない顔で、怜胤は剣を手にしている。

 けれど強い。生まれ以て、ただ強いのだ。


 それでも(、、、、)


 だれとも繋がれない、だれにも名を呼ばれない、己を共有してもらえない者は、生きているとは言えない。


(生きていない者に、殺されてやるわけにはいかない)


 ――柊の体が、唐突に宙へ固定された。

 来ると思っていた位置が不在で、渾身の斬撃が空ぶった怜胤は、驚愕している。

 柊の右手が握っていた()――先の、最後の短刀投擲の終わりに際して、真下の地面に撃ち込んでおいた苦無から延びる糸を、目撃していた。

 長さはちょうど、彼女の斬撃から数ミリ外でめいっぱい。際どいところであった。

 あとはこの技後硬直に、業を叩き込むのみ。

 とはいえ……近い。近すぎる。

 糸による急停止が解除されて彼女の切り返しが発動するまでに、着地してすぐ手を打たねばならない。

 糸はすぐ動かない。

 短刀は品切れ。

 苦無を構えるには一拍子遅れる。

 となれば――


 柊は、一息ですべての挙動を終わらせた。


「――――一打必倒――――」


 先ず右の拳を、怜胤の胸元に押し当てる。

 次に右足を、重く深く着地させた。

 つづけて腰を切り、足裏から這い上る反作用の道筋を定める。

 最後に左足を着地即蹴りだし、下腿から生まれた威力を前方への推進力に載せた。


 ゼロ距離、密着していた拳から――怜胤の内部に凄まじい破壊力が撃ち込まれる。


「――〝  〟」


 業の名を叫ぶと共に打った一撃が、彼女の頭から意識を消し飛ばした。



        +


「ガラス代、お前さんの給料からさっぴいておくそうだぞ」

「はあそうなのですか」


 気のない風に、柊は縁側にやってきた辻堂に返す。

 今日もしとしとと雨が降っており、濡れた庭を眺めつつちびちびやっていた。横に腰を下ろした煙草くさい男は、今日は自前の酒があるようで懐からスキットルを取り出している。ふたを開けたときに流れたにおいからして、ウォッカかなにかか。相当きつそうな酒だ。


「ぷは。どうも古いガラスだったようでな、だいぶ高くついたらしい」

「ああ、この宿ときたま時代がかった品が出土しますからな」

「わかっとるならも少しおさえて動けんかったのか」

「無理です。今回は勝ちを拾いましたが、次どうなるかさえ予想できないような難敵だったのですよ」

「次があると思っとるのか」

「ま、この業界そういうことも多いのです」


 そういうもんか、と不思議そうに首をかしげている。だがすぐに本題に戻ることにしたのか、スキットルを傾けつつ横目で柊を見て、辻堂は言う。


「二十八万だそうだ」

「はあそうなのですか……え、二十八」

「そうだ。くしくも葛葉さんの歳と同じだなぁ熱っつ!」


 またあおろうとした辻堂のスキットルからボンと音がして蒼い炎が噴き上がる。眼鏡が吹っ飛んだ辻堂は見えていないだろうが、廊下の奥でほの青さをまとった双眸がじいっと辻堂をにらんでいたのを柊は見た。


「僕の記憶が正しければまだ二十六です」

「いやわかっとる……冗談のつもりだったのだが」

「デリケートな問題なのです。軽々しく触れてはなりません」

「ううむ……」


 基本は思慮深いのだが、時折「こいつ本当に年上だろうか」と疑いたくなる。まあそういうところも含めて味なのだろう、と最近は納得しているが、こうはなりたくないなとも思う。そんな柊であった。


「とまれ、あとはガラスさえ直ればすべて元通りだな」


 わずかに生えていたあごひげが焦げたのか、すすっぽい臭いを漂わせながら辻堂は言う。


「ええ。依頼もこれにて完遂、ですな」

「うむ。事後処理も終わったことだしな、そろそろ私も通常業務に戻る」

「以前の鬼の里から買い付けの書簡きてましたよ」

「あとで見ておくから私の部屋に放り込んどいてくれ」

「はい」


 互い、酒をちびちびとあおる。

 小雨は長くつづき、中庭を梅雨から解放してはくれない。

 あの戦いの日の雨をいやでも思い起こさせる湿り気だ。

 柊は、なんとなしに懐から短刀を取り出した。彼女との斬り合いで折られなかった、スペツナズナイフの一刀である。刀身を見つめていると、つい数日前の戦いが頭をよぎった。

 もう、日常に戻ったのだ。

 言い聞かせても、あのとき目にした自分そっくりの存在は、意識の底にこびりついて離れなかった。ため息で刀身を曇らせるわけにもいかず、黙ったままそっと刃を仕舞う。


「斬り合いでもしたくなったか」


 ちょっと冗談には見えない顔で、辻堂が言う。


「まさか。前回のように得物不足で困らぬよう、装備を増やしましたので。少し位置を調整しただけです」

「ふん。しばらくは、襲われんと思うがな」

「しばらくと言いますと」


 問いで返せば、辻堂は下の犬歯をのぞかせるような顔をして、それからスキットルに口をつけた。


「持て余し気味になったとはいえ、あの娘は研究段階の代物だ。もうしばらくは、あの結社で身を預かるとのことだ。統合協会にも話は通っている」

「……」

「別段ひどい目に遭うわけではない。研究といってもやつらの目的は内的な達成だ、外的刺激で反応を引き出すとかそういう方向にはいかん。ただ」


 言葉を切って、酒を口にしかけて、やめた。


 代わりに懐から煙草の箱を取り出し、柊から少し離れた軒下に立ち進んで、一服する。濃密な煙が、くせのある香りをむんと振りまく。


「……ただ、幸せにはなるまい、ですか」


 辻堂が言わなかった部分を口にすると、彼は苦々しげな顔でそうだ、と返した。

 幸せにはなるまい。完全な幸福を目指す場にいる人間に投げかけるには、なんと皮肉な言葉だろうか。

 あの場所は閉じている。だれとも繋がることはできない。

 ひとは終わりが見えていてさえ繋がることができるのに、彼らは生きながらに断絶を選んでいるのだ。それが柊には、少し。許せないというのではないが、認めるわけにはいかなかった。

 けれど柊たちにも日常がありしがらみがある。仕事が終われば、深くまで関わることは難しい。


「幸せとは、なんでしょう」

「それを決めるのが個々人の持つ常識、なのかもしれんな」

「あの子が幸せになる道は、あるのでしょうか?」

「わからん。が、可能性は見ただろう」


 口に煙草をくわえたまま、うろんな目で庭を見つめ。

 辻堂はゆっくりと、柊の方を見た。


「お前があの娘に自分の影を見たのなら、あの娘もお前に自分の姿を見たかもしれん」

「どんな?」

「こう在れるかもしれない、という可能性とかな。そんなものだ」

「……だといいのですが」

「いいのかもわからん。なんだかんだであそこの思想に浸って、それで『幸せ』になるかもしれん。そこまで私らが関わるわけにはいかんし、かかわることはできん」

「ただ」


 柊が辻堂の言葉を継ぐように言うと、きょとんとした顔で彼は口元から煙草を落としかけた。慌てて空中でつかみ、あちちと叫びながら指の間につまみなおす。その間も顔は間の抜けた表情のままで、なんだかおかしくなってしまう。

 落ち着いた頃合いを見計らって、柊はぼやいた。


「ただ――もし幸せがわからないと、そういう『助け』を求めていることがあったなら。手を差し出すくらいは、してもいいはずだと思うのです」


 自分もかつて、そうだったから。

 寄り添ってくれる人々のおかげで、こう成れたから……。

 願わくは、彼女が己に見た姿のうちに、この心中まで写し取られていてほしい。そんな風に思いながら、柊は中庭の池を眺めた。

 ほつほつと、雨は弱まり始めている。

 辻堂は数瞬おいて煙草を消すと、珍しくも快活に笑い、「そうだな」と短く返してきた。


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