大神官様は爆走中
リサとセルゲイが、サル村を離れた少し後。
二人が王都に向かう旅の途中のお話です。
馬車は銀世界の中をゆっくりと走った。
一面が白い雪に染まる窓の外の景色を眺めながら、私は物思いに耽った。
六年前、このアリュース王国に異世界トリップを果たしてやって来てしまった私。
あの頃私は自分のことを、類い稀な不運の持ち主だと思っていた。
だがこの地で歳月を重ね、今確かに幸せだと断言できる自分がいる。
私が一度振ったはずであるセルゲイは、私が提示した条件をクリアすべく、ど田舎のサル村まで迎えに来てくれた。
サル村は辺境に位置する超ミニサイズの村だが、私にとってはこの世界での故郷だ。故郷を離れて寂しくはあるけれど、今は隣を見れば目が合うなり私に微笑みかけてくれるセルゲイがいる。
彼とこうして再び王都まで行けることが、私を幸福な気持ちにしてくれる。
セルゲイは馬車の中から私に見せたい景色があると私の手を取り、輝く笑顔で窓の外を指差した。
私は私で、大神殿を出てからサル村で経験した出来事を、一生懸命彼に伝えた。セルゲイは村の店での売れ筋商品などという、しょうもない話までとても楽しそうに聞いてくれた。
サル村を出て一月ほど経った頃、当初宿泊しようとしていた街の宿が予約でいっぱいだったため、私たちは更に先へと進み、ルルデという街で夜を過ごすことになった。
馬車から降りてルルデの街中の宿に荷を下ろし、部屋でようやく身体を伸ばしてくつろぐ。
そうしてセルゲイやアレンと茶を飲みながらひとごこちついた頃。
突然アレンがハッと顔を上げ、ソファから立ち上がった。
「アレンさん? どうかしましたか?」
訝しく思って尋ねると、彼は腰からぶら下がる剣に手を掛けた。
「侵入者です」
「えっ? 侵入者? なに、どこに……」
思わずこちらも腰を浮かせ、キョロキョロと辺りを窺う。続いて外を見ようと窓際に駆け寄る。
二階の窓から外を見て、道路にも目を走らせるが怪しい動きは特段見当たらない。
「そちら側ではありません。裏口の方です」
そう言うなりアレンは部屋を飛び出して廊下の先の階段を駆け下りて行った。
「……今のって神力で察知したんですかね?」
セルゲイに尋ねると、彼は首回りからジャラジャラと重たそうな装身具を外しながら、肩を回した。
「違うだろう。宿の裏口まで神力で結界を張っていたら、常に誰かが引っかかるぞ」
それではここから全く見えない裏の異状を、アレンはどう感知したのか。レーダーでも搭載しているんだろうか。さすが鉄壁の騎士と名高いだけある。もはや人間じゃない。
危険がないか周囲を確認しながら私も様子を見に裏口まで行ってみると、既に数人の大神殿騎士たちが集まっていた。
彼らの中心にいたのはアレンで、一人の女性を後ろ手にして取り押さえていた。まだ若いその女性が纏っているのは、とても綺麗な青いドレスで、かなり上等なものに見える。ーーまさか彼女が侵入者なのだろうか?
私の困惑を察知したのか、アレンは女性を捕らえたまま口を開いた。
「この者が生け垣をかいくぐり、裏口から不法侵入しようとしていました」
間髪を容れずに女性は叫んだ。
「違うわ、アレン! 私は貴方に会いに来たのよ!」
途端に周囲の騎士たちが騒つく。
皆アレンと女性を交互に見ている。一人の騎士が緊張のあまり震える声でアレンに向かって口を開いた。
「アレンさん……こ、この女性とお知り合いですか?」
大層な勇気を振り絞って尋ねたのであろうその騎士は、アレンの超絶不機嫌そうな視線を浴び、石のように固まった。アレンは仕方がないと言った風情で溜息と共に答えた。
「私の幼馴染だ」
「ええっ!?」
アレンの幼馴染の女性がどうしてここにいるのか。
というか、幼馴染をそんな風に捻り上げちゃうことに驚きを隠せない。しかもこんなに可愛らしい雰囲気の女性に。金色の髪に薄茶色の瞳をしていて、その少し離れて垂れ気味な大きな瞳が個性的だった。
アレンはようやく彼女の拘束を解くと、腕を組んで仁王立ちになり、威圧感たっぷりに彼女を睨んだ。
「何をしに来た? キャラメレッテ・テーベス」
大神官一行が宿泊する宿にコッソリと侵入しようとしたのは、名門貴族・テーベス家のご令嬢だった。
テーベス家といえば、辺境の住民だった私ですらその名を知っている、この国屈指の名家だ。
このルルデに別宅があるとは言え、ご令嬢は馬車や共も連れずにここまでやって来ており、すげなく追い帰す訳にもいかない。
仕方なく大神殿騎士たちは、テーベス家の迎えの者が来るまで、彼女を預かることになった。
アレンから報告を受けるとセルゲイは苦笑した。
「それならキャラメレッテに俺も挨拶をしてこよう」
セルゲイ様、と咎めるような声でアレンが苦言を呈する。だがセルゲイは肩をひょいとすくめて私を見た。
「キャラメレッテは俺の幼馴染でもある。ーー前にも言ったが、俺は子供の頃は大神殿騎士のアレンの家に預けられていたんだ」
私は無言で頷き、続きを促した。
セルゲイは子供の頃をアレンの生家で過ごし、その近所にテーベス家の本宅があったのだという。そのためテーベス家当主とも知り合いで、そこのご令嬢とも幼馴染だったらしい。さすが、セレブの友達はセレブなのだ。これぞ類友というやつだろう。
セルゲイは昔を思い出したのか、遠い目をした。
「あの頃、テーベス家の一人娘のキャラメレッテは、俺とアレンの剣の稽古を毎日のように見に来ていたんだ」
「なんだぁ。じゃあ、仲良しさんだったんですね!」
「どうかな。……それは多分ちょっと違うな」
セルゲイは急に顔を曇らせてから、溜め息をついた。そうして隣に控えるアレンを一瞥してから、言葉をやや濁した。
「なんというか、テーベス家の令嬢は、ちょっと面倒な娘なんだ」
「面倒ってどういう意味です?」
そもそもセルゲイとアレンの二人も割と面倒くさい男たちだと思うのだが。
「キャラメレッテは、ーー昔からアレンが好きで、会うたびアレンに告白していて……」
「アレンさんに!?」
さっきの「会いに来たの」とはそういうことだったのか。
興奮して当事者であるアレンを見ると、彼はこれ以上はないというほど嫌そうな顔をしていた。
それにしても、私の氷崖の騎士に熱を上げているご令嬢とこんな所で出くわそうとは思いもしなかった。
部屋を出てご令嬢の様子を見に行く前に、セルゲイは束ねていた黒髪を下ろした。代わりに額周りに金の輪状の飾りを被る。
着崩していた大神官服を手早く整え、なぜか表情を消すとこちらを向いた。
「ーーどうだ? 大神官らしく見えるか?」
セルゲイはどうやら外部の人の前ではいつも大神官のイメージを崩さぬよう、彼なりのキャラを作って徹底する努力をしているらしかった。
彼は大真面目に聞いてきた。
「アレクシスよりキマっているか?」
「そこ、気にするんですね……」
ついアレクシス・バージョンの大神官と比較してしまう。妖艶さは足りていないが、自信漲る風格では勝っている。
私は力強く頷きながら、親指をピッと部屋の天井に向けて立てた。
「大丈夫です。結構大神官っぽく見えます!」
「大神官なんだがな」
「おい、コレはなんだ!?」
大神殿騎士たちに取り囲まれたご令嬢を見るなり、セルゲイは両手を腰にやってアレンを睨んだ。
「キャラメレッテ・テーベスです」
「そんなことは聞いていない! なぜ両手を縛っている?」
「こう見えても侵入者だからです。若しくは逃亡されても後々困ります」
「なぜ猿ぐつわを噛ませている!?」
「彼女と話したくないからです」
身も蓋もない……。
ご令嬢に代わって泣きたくなった。
「アレン……。これでもキャラメレッテはテーベス家の一人娘だぞ。この扱いはないだろう」
こめかみを押さえながら疲れた様子でセルゲイは騎士たちに拘束を解くよう、騎士たちに命じた。
猿ぐつわが取り去られるなり、ご令嬢は怒涛の勢いで話し出した。
「大神官様っ! まさか大神官様にお会いできるなんて! 嬉しいわ、何年振りかしら……。ーーごめんなさいね。まさかこんな騒ぎになるとは……」
キャラメレッテは、私たちの前まで歩み寄ると胸に手を当て、肩で息をしながら膝を折った。
背後でチッという、舌打ちの音がした。
ーーもしやアレンだろうか?
セルゲイは朗らかに尋ねた。
「キャラメレッテ、久し振りだな。ルルデに来ていたのか」
「大神官様もアレンもルルデに来てくれて嬉しいわ! アレンは半年ぶりよね? 会いたかったわ!」
私の後ろにいる鉄壁の騎士にもキャラメレッテは話しかけたが、アレンは清々しいほど彼女を無視した。
「皆様、いつまでルルデに滞在なさるの? この宿は手狭ではないかしら。今夜は我が家にご滞在なさってはいかが?」
「残念だが明日の早朝に出発するんだ。有り難いが、世話になるわけにはいかない」
キャラメレッテは肩を落として落胆した。
だが気を取り直したかのように顔を上げると、アレンを見つめた。少し上目遣いで、いかにも恋する乙女といった表情をしている。視線すら合わせる気のないアレンに代わり、セルゲイが話しかける。
「お前は相変わらずだな」
キャラメレッテはしばらくの間、セルゲイを見上げた後、控え目に微笑んだ。
「大神官様と最後にお会いしたのは、私がまだほんの子どもの頃でしたわ。大神官様は、緋色の神官服をお召しになって、すっかり変わられましたわ」
そこまで言うと、キャラメレッテは少し恥ずかしげに笑い小首を傾げた。
「わたくしだけがいつまでも変われていないようで、寂しくもあります」
しみじみとした空気が漂いはじめた中、私は思い切ってご令嬢に尋ねた。
「セルゲ……大神官様は、お小さかった頃どのようなご様子でしたか?」
「毎日アレンと剣を振り回してらっしゃったわ!」
「なんだかそれ、凄く想像できます」
「でもね、わたくしいつもアレンを応援していたの。ふふ」
キャラメレッテは頰を赤らめながら視線を私からアレンに移したが、彼は徹底して無反応だった。
「ねぇ、アレン。大神殿騎士のお仕事は時に危険と隣り合わせでしょう? わたくし、……いつも貴方の無事をお祈りしているの」
「特に必要ない」
取りつく島もないアレンに、それでもご令嬢は可愛らしい笑みを浮かべていた。鉄の心臓を持っているのだろう。
ご令嬢は私に向き直ると、その薄茶色の瞳を悪戯っぽくグルリと回した。
「わたくし子どもの頃、大神官様が神力を使われるのを一度も見なかったから、神力が使えないと思い込んでいたの。ーー実はお隣のお兄さんの一人が、大神官様だったと知ったのは、大神殿に戻られた後だったの」
大神官様だなんて全く知らなかったのよ、と照れた様子で言うご令嬢に、私は幾ばくかの親近感を抱いた。関心深く見つめていると、今度はキャラメレッテが私を興味津々といった様子で見つめ返してきた。
「あの……、もしかして貴女がーー大神官様が選んだリサ様かしら? 」
「え、ええと。多分そういうことになります」
「大神官様とは、いつご結婚なさるの?」
そこでセルゲイが話に割り込んだ。
「王都に帰ったら出来るだけ早く結婚したい」
「いえっ! と、とりあえずはまだ色々未定ですから!」
「そうだな。未定かもしれないが、すぐにも色々と決まっていってしまうかもしれないな」
待って、待って。
流れが速すぎる。段々泳ぎ切る自信が揺らいできた……。
焦る私を見てセルゲイは悪戯っぽく笑うと、私の腕を掴んで抱き寄せた。
貴重な緋色の神官服に、私の顔の化粧が付いてしまいそうで、焦る。
恥ずかしがる私をよそに、キャラメレッテは純情そうな瞳でアレンを見上げていた。
「素敵ね。結婚って憧れるわね」
セルゲイは私を抱き寄せたまま、顎を私の頭上に乗せて話した。
「テーベス家の令嬢なら引く手数多だろう」
するとキャラメレッテはその名の如く甘そうなキャラメル色の瞳を再び真っ直ぐにアレンへと向けた。
「でも……両親は私に結婚を勧めるのを、もう諦めているみたい。だって私の想い人は、ここにいるんだもの」
するとピシャリとアレンが言った。
「再三言うが、一方通行だ」
「アレン。わたくし諦めないわ。石の上にも三年、と言うでしょう」
「石の上に三年も座っていた奴を見たことがあるか?」
「な、ないわ……」
私を抱き寄せていたセルゲイはようやく腕を解くと、片腕で私を引き寄せたまま、キャラメレッテを見た。
「その青色のドレス、素敵だな。キャルの髪の色に良く似合っている」
キャラメレッテは頰を桃のように染め、サッと甲斐甲斐しい瞳をアレンにも投げた。
アレンにも何か言って欲しかったに違いない。だがアレンは屈んで乗馬靴に取り付けられた拍車の歪みを直していた。なかなか素敵なタイミングだ。
悲しげな溜め息をキャラメレッテが漏らす。
テーベス家当主がこちらの宿に到着したのは、それから間もなくのことだった。
普段は人前に姿をあらわすことがないセルゲイも、子どもの頃に世話になった当主と挨拶を交わそうと、宿のホールの奥で座って待っていた。
当主は我々の姿が視界に入るなり、素っ頓狂な声を上げていそいそと駆け寄って来た。そうしてセルゲイの近くまで来ると、そのまま転がる勢いで膝を床につき、地面と一体化しそうなほど頭を深々と下げた。
「我が家のバカ娘が、誠に申し訳ありませんでした! すぐに連れ帰ります」
「既にアレンにこっぴどく怒られている。……皆元気そうで、何よりだ」
セルゲイに言われて顔を上げた当主は、感慨深そうに彼を見上げた。
「ご立派になられた……。剣も抜群であらせられたが、昨今のご活躍も目を見張るばかりにございます。ーーデフレー神殿の一時解体には、心底驚くと共に、敬服致しました」
するとセルゲイは物憂げそうに片手を払った後、私に視線を流した。
「あれは私の妻選びの余波だ。世間を色々と騒がせたことを申し訳なく思う」
セルゲイの視線につられる形で当主が私を見た。無意識に背筋を正してしまう。
「お噂の女性は、この方でしたか! 先ほどから只者ではない予感はしておりました……!」
「よ、よろしくお願いします……」
「大神官様御自ら辺境の村までお迎えに行かれた、と国中が騒ぎになるほどの女性ですから、さぞ絶世の美女なのだろう、と巷では大騒ぎになっておりました。やはり、噂通りお美しい方にあらせられますな!」
最後の一文が完全に棒読みになっている。正直なお人柄が偲ばれる。
「中央神殿にある神力審査巨石すら、真っ二つにされたほどの神力をお持ちだと耳にしております」
「い、いえ……。あれはそんなつもりじゃなかったんですけど……」
大神官の屋敷を爆破した方が噂になっているだろうに、敢えて触れない配慮に恥じ入るばかりだ。
「リサ様。大神官様とのご新婚旅行には、ぜひ我がテーベス家所有の南の島にもお越し下さい」
新婚旅行……?
話がまた、随分と飛んでいるようだ。
私の困惑をよそに、セルゲイは満面の笑みで礼を言った。
「大変有り難いご提案、感謝する」
「一島を貸し切りに出来ますので、誰にも邪魔されずにお二人の時間を過ごせますよ」
「それは素晴らしい!」
私は堪らず声を上げた。
「せ、セルゲイさん! 新婚旅行って……。ちょっと色々順番が……」
最近やっと清く正しい交際を始めたばかりのつもりなんだけど。
やはりセルゲイは段取りを無視して進めそうだから、要注意だ。ここにアレクシスが入り乱れるとどうなっちゃうんだろう。人間関係がカオスで怖い。
爽やかに猪突猛進なセルゲイは、とても自然なことのように言った。
「何事も準備は前もって周到にすべきだろう?」
「えっ……。それはそうですけど、なんか違います!」
セルゲイは宥めるように私の肩を叩いた。
マズい。なんだか外堀がどんどん埋まっていく。
飛び込んだ人生の川が想像以上に濁流な上、そのすぐ先の下流に滝が控えている気分だ。
その後、当主はアレンに熱い視線を懲りずに投げ続けるキャラメレッテを彼から引き離すように引っ張ると、半ば引きずりながら宿を出て、自家の馬車に押し込んだ。
翌日、私たちも馬車に乗り込んだ。
ここから再び一路、王都へと向かうのだ。セルゲイは車窓を眺めながら、呟いた。
「リサを迎えに行ったお陰で、思わぬ懐かしい人々と再会できた」
「キャラメレッテさん、ちょっと一途過ぎるけど純粋な人でしたね」
するとセルゲイは豪快に笑った。一旦笑いを収めると、輝く青い瞳を私にはたと向けた。じっと見つめられ、少し緊張してしまう。セルゲイは座席に置いていた私の手の上に、その手を重ねた。
「リサは人が良過ぎるな」
「えっ?」
「あいつは目的のために手段を選ばないぞ。俺たちをルルデにおびき寄せるために、隣街のすべての宿を借り切るような奴だ」
「えっ!? それって、どういうことですか……?」
「キャルの格好を思い出せ。身支度に二時間はかかったんじゃないか?」
促されるまま、先ほどまで一緒にいたキャラメレッテ嬢の出で立ちを思い出す。
確かにヘアスタイルから爪の色まで、綺麗にコーディネートしてキメキメだったけど……。しかも、私たちが宿に着いてから、早々にやって来たような……。
「しかも青はアレンが一番好きな色なんだ」
「えっ……。つまりそれって」
「そういうことだろう。ーーそういう子なんだよ、キャラメレッテ・テーベスは……」
ええと。
つまり、キャラメレッテはアレンが来ることを予め知っていた? 隣街に泊まれなければ、私たち一行がーー、いやアレンがルルデまでやって来るだろうと予想していた……?
「ルルデはこの辺りじゃ、一番規模が大きな街だからな」
「つまり、あのご令嬢はアレンさん会いたさに、宿を借りまくったんですか?」
頭を整理しようと激しく瞬きをしながら、セルゲイを見つめ、狭い車内で彼に詰め寄る。
「それって大神官の神力で分かったんですか?」
少し投げやりに笑いながら、セルゲイは被りを振った。
「あくまでも俺の想像に過ぎない」
絶句する私をよそに、セルゲイは馬車の窓を開けると、外を馬で並走しているアレンに声を掛けた。そうして馬を馬車に寄せて来たアレンに、少し楽しそうに言った。
「アレン。キャラメレッテに随分激しく愛されているな」
「ご冗談を」
「ーーそもそもお前こそ、結婚相手は引く手数多だろうに」
セルゲイはからかうように言った。アレンは少しクールな笑みを見せながら、手綱をぐいっと横に動かし、馬車際から離れていった。そうして捨て台詞を残した。
「そうですね。自分のことは、セルゲイ様がご結婚されたら考えます」
「リサ、聞いたか?」
「良く聞こえませんでした」
窓を閉めるとセルゲイは私に視線を向けた。
その妙に挑戦的な眼差しに、ドキンと心臓が跳ねる。
「……前に、リサの世界では普通は二年交際をして、その後結婚すると言っていたな」
そうだったろうか? そんなものは人によりけりだと思うけど、そういうことにしておくのが無難かも知れない。とりあえず即座に肯定をしておく。
するとセルゲイは急に顔を寄せると、私にキスをしてきた。そうしてニヤリと笑った。
至近距離の美形に、思わずくらりと意識が止まる。
「ーー白状すると、実は待つ自信がなくなってきた」
「そんなぁ。ーー大丈夫ですって! セルゲイさんなら待てますから、もう少し頑張って下さい!」
最早何の応援だか分からなくなってきた。
「リサ、凄くお前が好きだ……」
そう言うなりセルゲイが隣からのしかかってくるので、座席に腰掛けていた私の身体が馬車の反対側の窓方向に傾く。
両手を握られていたせいで、支えを失った上半身は呆気なく倒れた。
「痛っ……!!」
ガンっ、という音と共に、頭の後ろに衝撃が走る。押し倒されたせいで頭を窓にぶつけたのだ。
「すまん」
音に驚いて手を離したセルゲイを、慌てて押し返す。
「もう! 何するんですか! そういうとこ兄弟ソックリ……」
思わず漏らした私の失言を、セルゲイは聞き逃さなかった。一転して剣呑な目つきになると、こちらを青い瞳で鋭く見つめてくる。
「兄弟? ……アレクシスにも何かされたのか?」
しまった。余計なことを口走ってしまった。
高速で首を左右に振るが、後の祭りだ。
「いえ、その。ちょっと押し倒されて頭を打っただけですから……」
「なんだと!? あいつ、そんなことしていたのか!」
「でもキスされただけですから……」
「キスしたのか!?」
「多分ーー。何しろあまりの事態に記憶が飛び飛びで」
「大神殿に帰ったらアレクシスに詳しく聞こう」
その瞬間、セルゲイの背の後ろに烈火の如く燃え盛る紅い炎が見えた。車内に当然収まっていないそれは、普段は見えないはずのセルゲイの神力が具現化したものだ。
すっごく赤い。
うわー。誰が助けて……。
王都に着くのが怖い……。
完




