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「お久しぶりね、エリカさん。以前、ハルバリーの官庁でお見かけしたときには、ご挨拶できなくてごめんなさい。お取り込み中のようだったから、遠慮したの」
「……やっぱりフェリシテさんだったのね」
あのとき、中庭で見かけたと思ったのは間違いじゃなかったんだわ。
だけど「どうしてあそこにいたの?」とは聞けず、それ以上は何も言えなかった。
そんなわたしの前にリザベルが進み出る。
「フェリシテさん、お久しぶり。それで、わざわざ制服を着ていったい何をしているのかしら? ここは関係者以外立ち入り禁止よ?」
「あら、リザベルさん。相変わらずお元気そうでなによりだわ。久しぶりに学院に来ることになったから、懐かしくて制服を着てみたの。たったそれだけで、ここに来るまで誰にも注意されることなんてなかったのよ。ここの警備は甘いのね」
わたしを庇うように立つリザベルににっこり笑って答えると、フェリシテさんはレオンスお兄様に目を向けた。
強い意思が感じられる笑みは、わたしが知っているおっとりしたものとまったく違う。
護衛として後ろに控えていたお兄様までもすっと前に出てきた。
「フェリシテ……ベッソンか? ベッソン商会の娘の?」
「え、ええ。お兄様、紹介が遅くなってごめんなさい。こちらは――」
「いや、紹介は必要ない。だが、ちょうどいい。彼女には訊きたいことがあったんだ」
「お兄様?」
いつもは礼儀正しいお兄様の態度に戸惑ってしまう。
それどころか初対面のはずなのに、いったいどういうこと?
フェリシテさんも驚くどころかつんと顎を上げていて、お兄様の質問を待ち受けているみたい。
「君は、いったい何が狙いだったんだ? あの日、エリカが街で君とはぐれてしまったのはわざとだろう? そして男たちを雇ってエリカを脅すように指示していた」
「――え?」
「あら、それは言いがかりです。たまたま運が悪かっただけでしょう? その三人の男たちが何か言いましたか? たとえば、わたしの名前を騙ったとか?」
「……いいや。雇い主の名前は吐かなかった。というより、知らなかったようだ。ただ依頼されたとだけ。パティスリーから出て来る令嬢が一人になったら実行するようにと明確な指示はされていたようだがな」
「まあ、はっきりとした証拠もないのに、わたしを疑っておられるのですか? 近衛隊の隊長でいらっしゃる方が?」
「別に何とでも言えばいいさ。だが、再びエリカに害を為すつもりなら、絶対に許さない」
「お兄様……」
お兄様が始めた質問の内容についていけない。
リザベルも同じらしく、眉を寄せて顔をしかめた。
だけどフェリシテさんだけは平然と受け答えをしている。
これはあの日、パティスリーからの帰りでの出来事の話よね?
まさかフェリシテさんが全て仕組んでいたということ?
証拠はないとフェリシテさんは言っているけれど……。
それでも確かなことが一つだけあるわ。
「フェリシテさん、一つだけ訊きたいことがあるの。どうしてそこまでわたしを嫌うの?」
「鈍いあなたでもようやく理解したのね。自分が嫌われているって」
「おい――」
「お兄様、いいの」
「まあ、素敵。さすが聖女様、お優しいこと」
「聖女?」
「あら、ご存知ないの? アンドール侯爵令嬢は聖女様だと国民の間で噂され始めているのよ。官僚の不正を暴き圧政に苦しむ街の人たちを助け、黒ラド病に侵された村を奇跡の力で救っただなんて。つい最近は、横暴な貴族をヴィクトル殿下と懲らしめたとか?」
「だから? エリカが聖女と呼ばれようが何だろうが、あなたがエリカを嫌う理由にはならないわよ。それじゃ、ただの妬みじゃない」
「妬みねえ……」
フェリシテさんはリザベルの非難にくすくす笑った。
それでも目は笑ってなくて、わたしに視線を据えたまま。
「妬みだなんて、生易しいものではないわ。憎んでいるとでも言うのかしら。いえ、その言葉さえもこの感情を表せないわね」
「どうして? いったいわたしは何をしたの?」
「別に何も。ただ、わたしはエリカ・アンドールという存在が許せないだけ」
「でも――」
どうにか理解したくて言い募ろうとしたわたしを、お兄様が手を上げて止める。
その表情はいつもの優しいお兄様とは違ってとても険しい。
「そこまで言って、覚悟はできているのか? 不敬罪で投獄することもできるんだぞ。一度牢に入ってしまえば、どうなるかはわからないがな」
「お兄様!」
「あら、それはサントセ村で捕まった盗掘師たちが逃げたようにかしら?」
お兄様の脅しめいた言葉にもフェリシテさんは怯えた様子もない。
逆にうろたえてしまったのはわたしたち。
「でも今や聖女様と崇められるほどの方が、元クラスメイトを不敬罪で捕らえたなんて、国民はどう思うかしら。きっと商人たちが行商途中で色々と噂を落として行くでしょうね」
「世論を操るなど、ベッソン商会にはお手の物だろうな。では、ここからつまみ出すだけにしようか」
「残念だわ。ルイーゼはよくてわたしはダメだなんて。それは彼女が伯爵令嬢で、わたしが平民だから? 身分が違うと従姉妹でもこんなに扱いが違うのね」
「従姉妹?」
「ええ。彼女の父親はわたしの母の弟なの。甘やかされて育ったせいで、すっかり馬鹿な子になってしまって。でも馬鹿も使いようって言うでしょう?」
フェリシテさんは満足げに笑って、机に置いていた本を取り上げた。
そしてゆっくり出口に向かう。
「では、追い出される前に出て行くわね。――ああ、そうそう。肝心なことを忘れていたわ」
フェリシテさんは呟いて立ち止ると、わたしたちが見守る中でポケットを探った。
そして何かを取り出し手近な机に置く。
しゃらりと音を立てて輝いたのは、フェリシテさんがずっとしていたペンダント。
「さしあげるわ、これ。わたしには用のないものだから」
「でも、それはお母様の形見なのでしょう?」
「この石、盗魔石なの。だからわたしには役立たずなのよ。だけどあなたの力にはなるわ。それでテストの時にでも苦手な炎魔法を使ったらどう? 遅くなったけど、わたしからの婚約祝いね。おめでとう、エリカさん。さよなら」
その言葉を最後に、フェリシテさんは会議室から出て行った。
あとに残されたわたしたちは混乱のあまり、しばらく口がきけなかった。
「……どういうことだ?」
「待って、お兄様。その石に触らないで」
机に近づき石を掴もうとしていたお兄様を止めると、ハンカチを取り出してペンダントを包む。
それからそっと開いてじっくり見ても、やっぱりあの時のペンダントと同じもの。
そして石の輝きは、以前ジェラールお兄様の力を吸った盗魔石と同じに見えた。
「エリカ……?」
「お兄様、これはわたしが預かります。リザベル、せっかくの休憩なのにこんなことになってごめんね」
「ううん。そんなことは気にしないで。ただフェリシテさんがあれだけのために、わざわざ学院に来たとも思えないわ。気をつけて、エリカ」
「ええ、ありがとう」
「そうだな。リザベル君の言う通りだ。殿下や騎士たちにもこのことは伝えないとな。悪いが今から教室に戻るぞ」
「わかりました」
「もちろんです。こうなったら絶対にエリカから離れないわ」
そう言ってリザベルはわたしの腕にぎゅっと抱きついた。
その大げさな仕草に思わず笑いが洩れる。
まるでさっきのルイーゼさんみたい。
それから、ルイーゼさんを無理やり引き離した殿下と騎士たちに、フェリシテさんとの出来事は伝えられ、みんなが警戒態勢に入った。
その間、わたしも殿下も何事もなかったように振舞う。
殿下担当のテーブルでは今にも失神してしまいそうな女性が続出。
わたしと殿下が話しをすればなぜか黄色い悲鳴が上がる。できればもっと寄り添ってほしいとのリクエストまで。
さすがにそれはちょっと……と思いきや、殿下が悪乗りをして、また悲鳴が上がる。
ようやく二回目の当番が終わる頃にはわたしも疲れきってしまっていた。
だけど、ギデオン様とジェラールお兄様が顔を覗かせてくれた途端に元気に。
張り切ってお茶を淹れると、ギデオン様はいつもの温かい笑みを浮かべて褒めてくれた。
「美味しいよ、エリカちゃん。それに、この盛況ぶりを見てもわかるように、お店も素敵だよ。本当によく頑張ったね」
「うん、大成功だね。これはもう、間違いなく一番だよ、エリカ」
「ありがとうございます、ギデオン様。お兄様」
ああ、ここまで頑張って良かった。
こうしてギデオン様に認めてもらえるなんて、すごく幸せ。
ギデオン様に褒められたわたしは、フェリシテさんのことも忘れてしまえるくらいに浮かれていた。
そのまま文化祭も無事終了し、片付け途中で発表された集客数では過去最高の来客数を記録しての一等賞を獲得。
これ以上ないほどの充実感に満たされていたわたしはこのとき、研究科棟で起こっていたことには気づかなかった。




