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翌日はたっぷり睡眠を取って、お昼からお兄様とのんびり街中を歩いた。
この街の大通りにはたくさんのお店が軒を連ねていて色々な商品が並べられている。
その珍しさから足を止めて見ていると、あちらこちらから声がかかって、ついつい買い込んでしまったのよね。
だって、長時間握っていても肩が凝らないペンとか、擦れば消えるインクとか、歩きながら床掃除ができる室内履きとか、便利なものばかりなんだもの。
しかも「今だけこのお値段!」とか、「お嬢さんは可愛いから特別!」って安くしてくれたのよ。
そしてなんと! 恋愛成就の魔法の壺なる物まで売られていてびっくり!
この薄紅色の壺を朝日の当たる場所に置いて、毎日丁寧に磨けば長年の片想いにさよならできるんですって。
しかもこの一品限りだなんて、もう買うしかないわよね。
お兄様にお願いして支払ってもらっている間にうきうきと待つ。
その時、背後から女性の悲鳴が聞こえた。
何事かと振り返ると、路地を少し入った場所にあるお店から年配の男性が転がり出てきた。
その男性は地に倒れたまま呻いていて、起き上がれそうにない。
「大丈夫ですか!?」
急いで駆け寄り声をかけると、男性はどうにか体を起こした。
その片頬は赤く腫れあがっている。
「どいてくれ、お嬢さん。おい、娘を放してくれ!」
「お父さん!」
差し伸べたわたしの手を払いのけて、男性はよろよろと立ち上がるとお店へ戻っていく。
男性に気を取られていたけれど、店内に視線を向ければ、絵に描いたような悪者が嫌がる女の子に抱きついていた。
その周りには野次を飛ばす人達。
なんて最低なの!
これって、お店の女の子に嫌がらせをして、それを止めに入ったお店のご主人……女の子のお父さんに乱暴を働いたってことよね?
ご主人はもう一度止めに入ろうとして、他の意地悪な男性に足を引っかけられて転んでしまった。
「ちょっと! 何をしてるの!?」
「ああ? んだ、お嬢ちゃんは?」
怒りのままに声を張り上げると、一斉に店内にいた人達の視線が向いた。
その風体の悪さに思わず怯む。
まさか店内のお客さん全員がこんなに怖そうな人達ばかりだったなんて。
「俺達はなあ、ここの客なんだよ。店員が客の要望に応えるのは当然だろ」
「そうそう。それに俺達は採掘師だぜ? ここの行政長官のベレ様に呼ばれてわざわざこのしけた街に出向いて来たんだ。俺達に逆らうのはベレ様に逆らうのも一緒だよ。わかってんのか、お嬢ちゃんよぉ?」
採掘師と名乗る男性達の言い分にむかむかと腹が立ったけれど、やっぱり怖い。
この状況を殿下が見たら、呆れられるどころじゃないわ。
危険なことには首を突っ込まないように言われたばかりなのに。
でもここで引いてなるものですか!
だって、あの女の子はきっとわたしより年下だもの。すごく怖い思いをしているに決まっているわ!
「い、嫌がる女性を抱きすくめるなんて最低の行為です!」
「最低の行為? これがか?」
「――やっ!」
わたしの言葉に悪乗りした採掘師がさらに腕に力を込め、女の子の口から悲痛な声が洩れた。
その卑劣な行為を目にして、かっと頭に血が上る。
「今すぐその手を放しなさい!」
怒りのままに採掘師へびしっと向けたわたしの指先から飛び出したのは〝ルーベント″。
サムエル先生には、「エリカさんはまだ加減ができないから使ってはいけませんよ」って言われていたのに。
でも勝手に飛び出したんだもの。
ちょっと焦ったけれど、幸いそれほどの威力にはならず、小さな光の矢となった〝ルーベント″は採掘師の腕に突き刺さった。
「いてぇっ!」
「なんだ、今の光!?」
「わかんねぇ。だが、あの女が何か仕掛けたんだ!」
痛みに呻いた採掘師から女の子はようやく解放されて、ほっと安堵したのもつかの間。
怖そうな人達全員の怒りがわたしへと向けられてしまった。
「おい、おい、お嬢さん。何やってくれたんだ? ああ?」
「いてえ。俺の腕、火傷してるじゃねえか!」
一人が立ち上がってわたしへと詰め寄る。
女の子に嫌がらせをしていた採掘師は右腕を押さえてわたしを怒鳴りつけた。
ど、どうしよう。
今すぐ逃げ出したいけれど、怯えてはダメ。弱みを見せたら絶対に負けだもの。
〝レディ・ジューン″なら、〝イザベラ″ならどうする?
そう自分に問いかけると、ちょっと勇気が湧いてきて、つんと顎を上げて二人を睨み返した。
「自業自得でしょう?」
「ああ? 何だと!?」
「それに、あなた達は本当に採掘師なのかしら? 今のが何かわからないなんて、〝レンブル″さえ扱えるのか怪しいものね」
挑発しつつ出口との間合いを測る。
女の子とご主人には申し訳ないけれど、ここで力いっぱいの〝レンブル″を放って、その隙にお兄様を呼びに行くわ。
情けない方法だけれど、お兄様ならこういう場合の対処の仕方だって心得ているはずだもの。
勝手に離れて一人になったお叱りはあとでちゃんと受けるから。
すうっと息を吸って、今度は意識を集中させて〝レンブル″を唱えようとしたその時、騒ぎを聞きつけてか、警備士達が現れた。
ああ、良かった。
「店を荒らしている者がいると聞いたが、……お嬢さん、君かね?」
「……は?」
店内に入って来た警備士達の中で、隊長らしき人がいきなりわたしに問いかけた。
こんなにか弱き乙女に何を言うの?
この状況を見ればわかるでしょうに。
「いいえ、この方達です。この方が嫌がる彼女に抱きついて、お店のご主人に乱暴を働いたんです」
「お嬢さん、馬鹿を言ってはいけないよ。この方達は採掘師だ。この街のためにいらっしゃるのに失礼だろう? 謝りなさい」
頭ごなしに決め付ける隊長さんの言葉に、採掘師達も「そうだ! そうだ!」と同意する。
信じられない。
わたしは馬鹿だけれど、馬鹿なことは言ってないわ。
「なぜわたしが謝らなければならないのでしょう。この方達こそ、お店のご主人と娘さんに謝罪するべきです」
採掘師達を手で示して、きっぱりと抗議する。
するとかすかな驚きを見せた隊長は、わたしから目を逸らしてお店のご主人達へと向き直った。
「採掘師の方達は丁重にもてなすようにと、ベレ様から通達があっただろう? それをお前達は何をしているんだ。こんな騒ぎを起こすなんて。このまま店を続けられるとは思わないことだな」
「そんな……」
隊長からの非道な通告にご主人は真っ青になって俯いた。
店内には採掘師達の嫌な笑いに混じって女の子のすすり泣きがかすかに聞こえる。
何でそうなるの? もう無理。我慢できない。
こんな横暴が許されていいわけがないわ。
「あなたはご自分がどれだけ理不尽なことをおっしゃっているのかわかっていらっしゃるのですか?」
「何だって?」
「あなた達が守るべきは街の人達でしょう? それをこんな無法者まがいの採掘師達を庇い、このお店のご主人を脅すなんて間違っています。彼らの暴挙をこのまま見過ごすのでしたら、あなた達だけでなく行政長官の方も含めて、わたしは王宮にこの街の現状を訴えさせて頂きます!」
苛立ちを抑えているような隊長の低い声にくじけそうになったけれど、両足に力を入れてわたしの考えをはっきりと告げた。
それなのに一瞬の間を置いて、採掘師達だけでなく、警備士達も大声で笑い出した。
「お嬢さん大それたことを言うものではないよ。王宮に訴えるだなんて、どうやるつもりかな? 見たところお金持ちのお嬢さんらしいけれど、パパにおねだりでもするのかい?」
ふざけた隊長の言葉にみんながまた笑う。
悔しい。
確かにわたしには何の力もなくて、自分では何もできない。
隊長の言葉通り、お父様にお願いするしかできないもの。
だけど、そうよ。
わたしは無力だけれど、わたしの立場に力はあるわ。
その力を今使わなくていつ使うの?
わたしはアンドール侯爵家の娘なんだから。
「おっしゃる通り、このことはお父様に報告させて頂くわ。それに学院が始まれば、友人にもここで体験したことを伝えるつもりよ」
「が、学院?」
「ええ。わたし、王立学院の高等科に通っているの」
真っ直ぐに背筋を伸ばして高飛車な態度を見せる。
すると、今まで余裕を見せていた隊長の顔から笑みが消えた。
代わりにわたしがにっこり笑ってみせる。
「今年、王立学院の正等科から、高等科に進学したのよ」
「王立の……正等科……?」
ちょっと誇らしげに言うと、隊長は唖然として呟いた。
はっきり名乗ることはできなくても、ある程度匂わすことはできたみたい。
わたしの身分はいつもわたしを助けてくれる。だから、わたしもこの身分で立場の弱い人を助けるわ。
頬を涙で濡らしたままきょとんとしている女の子にゆっくりと近づいてその手を握る。
「この子は、あの方から嫌がらせを受けたのよ。それを止めに入ったご主人は暴力をふるわれてしまったのに、なぜあなたは彼らを罰することもなく、この二人を責めるの?」
「それは……」
真っ直ぐに見据えて問いかけると、隊長は答えを詰まらせて助けを求めるように周囲を見回した。
だけど騒ぎを聞きつけて店の外に集まった人達の厳しい顔つきを見て、慌てて店内に視線を戻す。
やっぱり街の人達も今の状況に納得していないのよ。
「いい加減にしろ! 正等科だか高等科だか知らねえが、この女は俺に変な技を仕掛けたんだぞ!」
隊長の態度に焦れたのか、わたしが〝ルーベント″を放ってしまった採掘師が苛立ったように声を上げた。
どうやら王立学院に通うことの意味をわかっていないみたい。
「見ろ、この火傷を! どうしてくれんだ!?」
「それはお前がマヌケだからであって、どうにもできないな」
わたしへと迫って来ようとした採掘師の前に、お兄様がさっと現れてわたしを庇うように立った。
いつの間にいらしたの? もしかして今までずっと見ていらしたのかしら。
その疑問を口にするより早く、採掘師が腕を振り上げる。
「ふぜけんな、この野郎!」
突然のことに立ち竦んだわたしの前で、お兄様は採掘師を片手であっさりとかわした。
採掘師は何かが割れたような音とともに床に倒れる。
何がどうなって、そうなったのかよくわからない。
ただ、採掘師達が怖い顔で一斉に立ち上がった。
「お兄様……」
「心配するな、エリカ。相手の力量がわからないような奴にやられはしないさ」
圧倒的多数を前にしても悠々と構えるお兄様を見ていると、わたしの不安も消えていく。
そうよ。お兄様は強いんだから。
そう思うと余裕が出て来て人垣の中に護衛に扮した騎士達がいることに気付いた。
彼らはお兄様に加勢しようとはせずに、のんびりと成り行きを見ている。
だけど採掘師達とお兄様が睨み合っていたのはわずかな間で、すぐに警備隊長が割って入った。
「あの……あなたのお名前を伺っても?」
「私はレオンス・アン……アジャーニ。この子の兄だ」
「レオンス・アジャーニ?」
「ああ。身元確認をしたいのなら、近衛隊に問い合わせてくれればいい。わたしは二番隊に所属している」
「こ、近衛……」
「それと、私は妹の意見に全面的に賛成だ。あなた方は一度、守るべき相手は誰なのかをよく考えた方が良い。そうすればこの二人にどうすべきか、自ずとわかるだろう?」
遠まわしではあったけれど、お兄様の言葉は隊長にしっかり伝わったみたい。
隊長ははっとしてお店のご主人と娘さんに目をやると、姿勢を正して深く頭を下げた。
慌てて警備士達も倣う。
「先ほどは申し訳なかった。わたし達は本分を忘れていたようだ。どうか許してほしい」
「い、いえ、そんな……」
警備士達の突然の謝罪にご主人と娘さんは酷く困惑している。
当たり前よね。
こんなに簡単に手のひら返しをされたら誰だって驚くわ。
採掘師達も近衛隊と聞いた途端におとなしくなって、隊長に促されてしぶしぶ謝罪した。
本当は謝罪だけでは許されないけれど、二人がそれでいいならわたしはもう何も言えないものね。
「――あの、ありがとうございました」
「いいえ。わたしは……かえって騒ぎを大きくしてしまったような……」
採掘師達が引き上げ、警備士達がお店の片付けを始めると、ご主人と娘さんがわたしに向けて改まったお礼を口にした。
深く頭を下げる二人を前にして、あたふたしてしまう。
だって、結局わたしは何もできなかったもの。
それなのに二人とも何度も何度も感謝の言葉をくれて、逆に申し訳なくなった。
いつもは奥様がお店に出て娘さんは裏方なのに、今日は奥様の体調が悪くて仕方なくだったんですって。
採掘師達がたむろするようになってからは、この街の女の子はお家のお手伝いも気軽にできなくなったとか。
本当に困った問題よね。
それから、わたしとお兄様はお店でたっぷりとお料理をふるまわれた。
初めて口にするようなお料理もあったけれど、とても美味しかったわ。
さて、そろそろ旅亭へと戻らないと。
ちょっと憂鬱なのは、事が片付いて解散する見物人達の中に殿下の姿が見えたから。
ああ、きっと帰ったらお説教をされるわ。
でも仕方ないもの。
今度ばかりはしっかりとお受けするわ。




