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「ねえ、お兄様。どうしてこんなに時間がかかるの? お部屋は空いているのでしょう? もう待ちくたびれてしまったわ」
旅亭の一階にある賓客用の待合室で、ちょうどドアを開けて入って来たお兄様に大きな声で大げさに問いかける。
すると、部屋の外にある食堂の方からどうしたのかと覗きこむ他のお客さんの姿が見えた。
よし。注目は浴びたみたいね。
「それが、この街では宿に泊まるのにも街を治めている行政官殿の許可がいるそうなんだよ。今、急いで手続きに向かわせているから、もう少し待ってくれ」
「ええ? お宿に泊まるのにわざわざ許可がいるの? 他の街ではそんなことなかったのに、おかしいわよ」
ドアを開けたままふうっとため息を吐いて首を振るお兄様に向けて、わたしはぷうっと頬をふくらませた。
すると、わたしの声を聞きつけてか、この旅亭のご主人が慌てて駆けつけてくる。
そして「失礼します」と頭を下げて待合室に入ると、ドアをぱたんと閉めた。
「お嬢様、お待たせ致しまして大変申し訳ございません。私共が至りませんで、ご迷惑を――」
「いいえ、あなたのせいではないと思うわ」
「はっ、い?」
「だって、行政官の方に許可を頂かないといけないのは、あなたが決めたことではないのでしょう?」
「え、ええ……」
「この街はおかしな仕組みばかりね。街へ入る時に、馬車での乗り入れだからってお金を支払わされたのよ。ねえ、お兄様?」
「ああ、その通りだ。それに護衛の人数分も金を払わされたぞ。まったく、この街はどうなってるんだ?」
憤慨するお兄様は演技ではなく本気みたい。
もちろん怒っているのはわたしも同じ。
この街の仕組みはおかし過ぎるわよ。
まさかこれほどあからさまとは思ってもいなかったわ。
何かにつけて行政官に許可を貰わないといけないようだし、さらにその手続きを早めるには賄賂が必要だなんて。
これならわざわざ我が儘なふりをしなくてもいいんじゃないかしら。
お金を持ってそうに見えるだけで、色々と請求されるみたい。
「こんなにお金を集めているんだもの。きっとこの街の人達にはたくさん還元されて、みなさんとても豊かな生活をなさっているのでしょうね?」
無邪気を装ってお金の行方を訊ねると、ご主人は困ったような顔をした。
「い、いいえ。その……お金の件については……このエサルドは交通の要所としてそれなりに栄えていますが、土地は枯れていて作物を育てるには向かず、他の地域は豊かとは言えません。それでこの辺り一帯を治めていらっしゃる行政官長のベレ様は魔法石の採掘量を増やそうと、採掘師達を多く雇い入れていらっしゃるようなので……」
「まあ、そうなの? でもそれもおかしな話ね。採掘師にお金を払って採掘してもらうなんて。そういえば、街にはたくさんの……体格の良い男性がうろうろしていたけれど、あの方達がそうなのかしら?」
「え、ええ、はい。お嬢様がご覧になったその……彼らが採掘師として雇い入れられた者達でしょう。さ、さて、私は戻りますが、お部屋のご用意はできておりますので、もうしばらくお待ち下さい。ご不自由をおかけいたしまして誠に申し訳ございません。では失礼致します」
お金の話になると、途端にあたふたとしてご主人は部屋から出て行ってしまった。
うーん。やっぱり噂話は女性に聞いた方がいいわね。
そういうわけで、ようやくお部屋に案内されると、部屋付きのメイド――ネルと名乗った女の子に声をかけてみることにした。
「ねえ、ネル。この街はとても大きいのになんだか閑散として見えたけれど、何かあったの?」
「いいえ、お嬢様。特に何かあったわけではありません。ただ、パルサットの街へ人が流れてしまったのです。クレウス川の橋が修復されてあちらの街道が利用できるようになったので……」
少し悲しそうにネルが答えてくれた内容は予想通りのもの。
だけど、それをネルや街の人達はどう考えているのかしら。
「そうなの? それにしても少ない気がするわ。みんながみんなパルサットへ向かうわけではないでしょう?」
「それが……この街を通るには余分なお金がかかるようになってしまいましたから……遠回りしてでもパルサットに向かう人が多いんだと思います。あんな変な手続きなんて早くなくさないと、この街は廃れてしまうってご主人も言ってるんです。それにどうしてあんな無法者を街に引き入れるのか……。お嬢様も気をつけて下さいね。採掘師なんて言ってるあの男達は性質が悪いんですよ」
「性質が悪い?」
「はい。昼間からお酒を飲んで街の人達に絡んだりするんです」
「そうなの……」
確かに馬車の中から見た男性達は、いつかの悪漢達のようでちょっと怖かった。
わたしの知るクラエイの採掘師の方達とは全然雰囲気が違ったもの。
「色々教えてくれてありがとう、ネル。ここには二、三日滞在しようと思っているから、ちょっと気になったの」
にっこり笑ってお礼を言ってからレティキュールの中を探る。
ちゃんと取っておいたのよね。お金。
こういう場面ではチップを〝レディ・ジューン″では渡していたもの。
「まあ、お嬢様! こんなに頂けません!」
「あら……」
渡した硬貨を目にして、ネルは悲鳴に近い声を上げた。
銀貨一枚は大げさだったみたい。
だけど今さら引っ込めるわけにもいかないし、慣れているふりをしないと。
「そんなこと言わないで、どうか貰ってちょうだい。これからしばらくお世話になるんだから。ね?」
「あ、ありがとうございます!」
悪戯っぽく片目をつぶってみせると、ネルは床に頭がつきそうなくらい深く腰を折った。
そして出て行くネルと入れ替わりに、お兄様が従者の一人を連れて部屋に入って来る。
って、あら。殿下だわ。
「まさかここまでとはね」
呟いた殿下に、同意してわたしもお兄様も頷く。
確かにここまで酷いとは思いもしなかったもの。
しかも殿下はわたし達よりも先にこの街に入っていたから、もっと色々あったのかもしれないわ。
深いため息を吐いてソファに座る殿下にお茶を淹れてから、お茶受けの用意をする。
そこでふと気付いた。
ここってわたしの部屋よね?
乙女の部屋に遠慮なく入って来て、ちょっとくつろぎすぎじゃない?
わたしも何を甲斐甲斐しくお世話してしまっているのかしら。
自分の態度に突っ込みつつ睨んでみたけれど、殿下は気付いた様子もなくお茶を飲みながら何か考え込んでいた。
その顔にはかすかに疲れが見える。
むむむ。ここで文句を言うほどわたしは意地悪じゃないわ。
仕方ないわね。疲れた時には甘いものがいいのよ。
だからとっておきのお菓子を出してあげる。
「ありがとう、エリカさん」
「いいえ。お夕食はもうすまされたのですか?」
「いや、まだなんだ」
殿下は騎士二人と王都に向かう兄弟としてこの旅亭に二日前から泊っているらしい。
兄の一人が怪我をして滞在を余儀なくされている設定なんですって。
それなら暇を持て余してぶらぶらしていても怪しまれないものね。怪我人役の騎士には気の毒だけれど。
コレットさんはこの近くのサントセ村に叔母様を訪ねていて別行動。
付き添いにわたしの侍女を一人と騎士二人を護衛にと提案すると、初めは断られてしまった。
でもやっぱり若い女性一人での旅は危険だし心配だもの。
この先の街で落ち合う約束だから、それまでわたしの心の平安のためにとお願いして了承してもらったのよね。
そしてリザベルとマティアスは二日後に離宮を発つ予定。
二人にはわたし達が離宮に滞在しているふりをまたしてもらっているから。
それにしてもあの二人、どうなっているのかしら。
リザベルが言うには、協力し合っているうちに仲良くなっただけってことだけど。
しかも、マティアスのことをどう思っているのか訊ねたら「扱いやすくて便利よね」だなんて。
思わずマティアスに同情してしまいそうになったわ。
「エリカさん、明日の予定は?」
「え? あ、ええ、明日ですか? 明日は午前中は少しゆっくりして、午後から街を散歩してみる予定です」
「そう。わかっているとは思うけど、くれぐれも一人にならないようにね。間違っても路地裏なんて行かないように」
「も、もちろんです」
「派手な行動は歓迎するけど、危険なことには首を突っ込まないでね」
「わかってます!」
まるで子供に言い聞かせるような殿下の言葉に、ちょっとむっとしつつきっぱり頷いた。
さすがにわたしだってそこまで馬鹿じゃないわよ。
失礼よね。もう!
――と、内心で腹を立てていたのは昨日のことなのに。
今、この状況を殿下に見られたら、呆れられるどころじゃないわ。
だけど、放っておけなかったんだもの。
こんな横暴が許されるなんて、絶対におかしいんだから!




