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「ああ!? なんだ、てめぇ?」
「彼女を迎えに来ただけですから、どうか気になさらないで下さい」
怖そうな三人を前にしても、いつもの……爽やかな笑顔で応える姿はとても頼もしく思える。
顔を見るのもうんざりしていたのに、こんなに安心できるなんて。そしてまさかのときめき。
いいえ、こんな展開あり得ないわ。
そもそも、どうして殿下がここにいるの?
「ここで何をなさっていらっしゃるんですか?」
「それはこちらのセリフだよ。見かけた時には信じられなかったけど、追いかけて正解だったね。まさか、こんな路地裏にひょいひょい入って行くなんて、本当に君って……」
そこはもうはっきり言ってくれていいのに。自分でもつくづく実感したもの。わたしは馬鹿だって。
「では、帰ろうか」
そう言って殿下は落ち込むわたしを促したけれど、当然のことながら三人の男性がそうはさせてくれなかった。
一人がわたし達の前にさっと回り込んで立ちはだかる。
「おい、待てや、兄ちゃん。そのべっぴんの嬢ちゃんは置いて行けや」
「ついでに有り金も全部置いて行きな」
ここまでくるとやっぱりお決まりの展開で、それなのにどうしていいのかわからない。
とにかく少しでも足手まといにならないためにも、すぐに走って逃げだせるように両手でスカートを掴み、震える足にぐっと力を入れる。
だけど、にやにや笑いの男性達が一歩わたし達に近づいた途端、どこからともなく剣を握った人達がさっと現れて三人を取り囲んだ。
「な、なんだよ!?」
「どっから現れたんだ!?」
驚き焦る三人にわたしも同感。
それなのに殿下は全てを無視して、ゆうゆうと大通りに向かった。
訳がわからないまま、わたしは殿下に連れられて歩く。
怖くて後ろは振り向けないけれど、でも気になるわ。
いったいあの人達は誰なの? 剣を握って、まるで騎士みたいに……ん?
「近衛だよ、僕の。さすがに一人で出歩くなんて軽はずみなことは出来ないからね」
混乱するわたしに殿下は苦笑しながら教えてくれた。
そうか、そうよね。殿下が一人でいるわけがないのよ。
って、今のは嫌味かしら。
いえいえ。たとえそうだとしてもこの状況では甘んじて受け入れます。
お母様にもお父様にも、お兄様にまで反対されたのに、大丈夫だって言い張ったのはわたしだもの。馬鹿の極みだわ。
でも反省は後回し。この状況を……殿下がどこへ向かっているのかくらいは確かめないと。
「君を屋敷まで送るよ。この先の別の通りに馬車が止めてあるから、そこまでもう少し頑張って歩いてくれる?」
「……はい。ありがとうございます」
もう今さら考えを読まれていても驚かないわ。
それにしても、先ほどより人が減ったわけでもないのに、苦労なく前へと進めるのが不思議。
どうやら殿下がわたしを庇ってくれながら、上手く人波をすり抜けているからみたい。
本当に何でも器用にできる人なのね。
だけど、ヒーローとしては減点。物語のヒーローなら悪漢に対峙して護衛に任せたりしないもの。剣だってしっかり持っているのに。
ちらりと腰に佩いた剣を見たわたしに応えてか、殿下はため息を吐いた。
「あそこで僕が剣を抜いていたら、次からは絶対に街へ出ることを許してもらえないだろうな。今でも反対されているのに」
「……そうですか」
それもそうよね。お忍びらしいお出掛けで、騒ぎは起こせないでしょうし。
貴族の若者がちょっと街まで出掛けて来ましたって服装の殿下は、帽子を深めにかぶっていて、間近でないとわからなかったと思うわ。
それこそ今のわたし達は普通の恋人同士がデートしているように見えるんじゃないかしら。
あら、それはまずいわ。わたしにはギデオン様という心の恋人がいるのに。
「こっちだよ。あの店の裏手に止めてあるから」
「あ、はい」
露店の並んだ賑やかな通りを抜けて、何度かお母様達と来たことのあるお店が並ぶ少し落ち着いた通りに出た所で、殿下にぐっと腰を引き寄せられた。
つい行き慣れた方向へ進もうとしていたみたい。
でもちょっと近過ぎるわ。ここではもうはぐれてしまうこともないから、離れていても平気よね。
殿下との距離を少しあけて歩き始めてすぐに、通り過ぎようとしていた馬車が急に止まった。
突然の合図に驚いて足踏みをする二頭の馬を、御者が必死になだめにかかる。
何事かと気を取られて足を止めると、派手な彫細工の施された車窓から、ここで一番会いたくなかった顔が覗く。
「あらあ、エリカさんじゃないの! お母様はどちらなの? まさかお一人……いえ、お二人なの?」
「まあ、本当にエリカさんだわ」
「……サジュマン伯爵夫人、ロレーヌさん。ごきげんよう。母とはこの先で待ち合わせをしているんです。ですから、あの、急ぎますので、さようなら」
相手が眉をひそめるのもかまわず、その場から急ぎ足で逃げ出した。
だって、あの伯爵夫人は苦手なんですもの。
月に一度はうちに押し掛けてきて、笑顔を取り繕ったお母様を相手におしゃべりして気が済むと帰っていくのよ。
わたしも挨拶をしないわけにはいかなくて、顔を出すとなかなか下がらせてくれない。
最近は見かけないと思って安心していたけれど、確か領地に帰っていたんだわ。それが戻って来たとなるとどうなることか。しかもロレーヌさんと一緒にいるなんて!
「僕は挨拶しなくて良かったのかな?」
「そんなことをなさったら、大変なことになります!」
「そう? エリカさんがそれでいいなら、いいけど。……大丈夫?」
「大丈夫です」
馬車からだと帽子が邪魔をして、殿下のお顔は見えていないはずだもの。
二人のうちどちらかでも気付いていたら、すぐに馬車から降りて挨拶をしたでしょうし。
明日ロレーヌさんに訊かれでもしたら、従兄弟だとでも答えておけばいいわ。田舎から遊びに来たんだって。
それから少し歩いて殿下が教えてくれたお店の裏手に回ると、家紋の付いていない四輪馬車が止まっていた。
それはどこかの貴婦人が買い物の間、そこで待機しているように。
「おかえりなさいませ」
御者も従僕もわたしの姿に気付いても何も言わず、深々と頭を下げて見て見ぬふりをくれる。
促されて、ぎこちない笑顔で感謝を伝えながら先に乗り込むと、殿下はそのまま外で従僕と話し始めた。
その間に正面とは反対側に座って、一人でゆっくり車内を観察。
外観は質素と言ってもいいほどに簡素な造りなのに、内装はずいぶん豪華だわ。
(きっと王家の方達のお忍び用なのね。殿下はずいぶん慣れた様子だし……)
あの三人から離れたあとも、殿下の近くには何人かの騎士達が控えていたみたい。
剣を扱える殿下でも何人もの騎士が護衛につくのに、身を守ることもできないわたしが一人で出掛けるなんて無謀にもほどがあるわ。
あれだけお母様やお父様が反対したのも当たり前よね。でも街に慣れたフェリシテさんが馬車で送り迎えしてくれるって約束してくれたから――。
「って、大変!」
「どうしたの?」
「わたしがいなくなって、きっとフェリシテさんは心配しているわ!」
「……大丈夫だよ。エリカさんは無事だと、今ベッソン商会に向けて急ぎ伝言を頼んだから」
「それは……何から何まで、ありがとうございます。でも、あの……」
「うん、何?」
ちょうど乗り込んで来た殿下がわたしの慌てぶりに応えてくれる。
それはとても有り難いけれど、いい加減にはっきりさせないと。
「どうしてフェリシテさんのことがわかったのですか? そんなにわたしの顔には考えていることが出ていますか?」
「ああ、うん。そうだね。面白いほどに」
ショックを受けたわたしを見て、殿下は吹き出した。
マティアスといい、殿下といい、本当に失礼だわ。
その上、殿下はわたしの隣に腰を下ろしてすっと近づいてくるから、慌てて立ち上がり向かいの席に移る。
やっぱり馬車を降りた方が良かったかしら。
そう考えた瞬間、殿下が合図を送り、馬車は走り出してしまった。
(これは、ひょっとしなくても……わたしをこちら側に座らせるため?)
満足そうな殿下の顔を見てそう思う。
確かにわたしは馬車酔いをしやすくて、こちらの方がとても助かるけれど。
何もかもを見透かされているようで、なんだか腹が立つわ。
だけどそれはわたしの我が儘よ。今日は散々お世話になって、面倒をかけてしまったんだもの。
「殿下、今日は本当にありがとうございました。殿下がいらっしゃって下さらなければ、どうなっていたか……。いくら感謝しても足りないくらいです」
「本当にそうだよね。僕が君のフェリシテさんを呼ぶ大声に気付かなければ、今ごろどうなっていたか。いくら感謝されても足りないくらいだよ」
なるほど。あの声で殿下はわたしに気付いてくれたのね。フェリシテさんに届かなかったのは残念だけど、でも良かった。
いつもの笑みを浮かべた殿下をちらりと見てほっと息を吐く。
すると逆に殿下は盛大なため息を吐いた。
なに? 何なの?
たった今までの笑顔が消えて怖いくらい真剣な表情になった殿下に、なんだか不安が募る。
だって、こんな顔は初めて見たから。悪漢に対峙した時だって、どこか余裕のある顔をしていたのに。
「エリカさん、君の最大の欠点は、人を信用し過ぎることだよ。たとえば今、僕が素直に君を屋敷まで送ると本当に思っているの?」
「え? で、ですが……」
「社交界には面倒な掟がたくさんあるけれど、あれはどれも意味あるものなんだよ。淑女は男性と二人きりになってはいけないなんて、ずいぶん古臭いよね。それでも、名誉なんて綺麗な言葉で隠して女性を守っているんだ。いつの時代も、男なんてものは身勝手で残酷な生き物だからね」
殿下の低い声が、ぼんやりしたわたしの頭にしみ込むのに時間がかかって、気がついた時には身動きの取れない状況に陥っていた。
あんなに混雑していた通りとは違って、馬車には二人だけなのに。二人だけだからこそ、今にも圧し掛かってきそうな殿下を押しのけるのが怖い。
目の前に迫った琥珀色の瞳には覚えがある。彼はとても優しい言葉をくれるけど、その裏には酷い意地悪が待ち構えているのよ。
そう、そうだわ。
これはきっと、からかわれているだけなのよ。そうに決まっているわよね!?




