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お妃様は、首を刎ねたい  作者: ククリ


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第一話 前世を思い出したお姫様

 城の大広間で、魔法の光を放つシャンデリアを見ていた。国宝級と呼ばれるそれは、ただ眩しいだけの代物だ。

 視界が白く途切れ、思考が数秒ほど空白になる。立ちくらみだろうか。いや、あれはもっと質の悪い感覚だった。白昼夢のような、不快なもの。


(私は、人を殺した)


 そして、死んだはずだった。

 だが、今こうして生きている。高価なドレスを着せられ、楽しくもない夜会で、誰のためとも知れぬ笑みを浮かべ続けている。そうしろと言われたからだ。


 夜会は最高潮だった。王国が誇る大広間、各国の要人、杯を打ち鳴らす音、浮かれた笑い声。今夜は特別だ。この国の第四王子と、私──隣国の第二公女の婚姻を祝うための場。しかし、自分のための宴だというのに、カケラも興味が沸かなかった。


(やけに生々しい先ほどのあれは、なんだったのかしら……)


 そんなことより、白昼夢のような、不思議な何かだ。

 答えは出ないが、あれはもう一人の自分だったと妙な確信があった。


(でもそうね……これが天啓ってものなのかもしれないわ)


 ならば、もう怖いものはない。

 何をしても惨めに死ぬのなら、ギリギリまで感情や思考を放棄するのは馬鹿げているということに他ならない。

 忍耐と我慢の先に大切な何かを失ってしまうのならば、次は失う前にそれ以外を全てを摘み取ってしまえば良いのだ。

 奇しくも、今の私にはそれが許される立場と力がある。


「…ありがとう」


 筆頭侍女から献杯されたワインが注がれた華奢なグラスを、爪の先まで磨き込まれた白く艶めく指先で優雅に受け取る。

滅多に臣下へ声をかけない私の意外な言葉に、一瞬彼女らは動きを止めた。いつもいるかいないのか分からない空気のような夫ですら。まるでいるはずのない子猫の鳴き声を聞いたような、そんな顔で私の顔を見つめていた。

 そんな瑣末なことは気にもせず、アルコールが殆ど入っていないというその珍しいワインに口を近づけた。しかし、それとなく私の唇を見つめる従僕や紳士たちの視線が気になり、さらに何か違和感を感じてワイングラスに口をつけるのをやめた。その端で残念そうな筆頭侍女の顔が見えた。その表情に、引っ掛かりを覚えた。


 (私は、あの暗く濁った目を知っている)


 毎日見ていたのだ、鏡の前で。

 そして、先ほどからこの皮膚の下で這いずり回っている、不愉快な感情を死ぬまで抱えていた。

 ここ連日受けていた屈辱的な扱いに、とうとう気が狂ったのかもしれない。先ほどまで、そんなこと考えもしなかったくせに。


 私は、ただ周りから与えられるものを、何も考えずに受け取ればいいだけのお姫様だった。

 そうあるように生きてきた、笑うことさえ自分一人では分からないような人間として。

 けれど……なぜか、今はいつもより気分が良い。人生でこんなにも気持ちが高揚するなど、初めてだった。


 (感じて考えてる、生まれて初めて)


 不思議な感覚だ。

 一人称も、口調も、身につけた知識やマナー、性格などの全てはお姫様の自分のままで、つい先ほどまで心も頭も空っぽだった。

 こういうのを傀儡とでもいうのだろう。今この瞬間まで、私に意思はなかった。割れたティーカップのほうが、まだ可愛げがあったかもしれない。


(考えるって楽しい)


 だから、自分を取り巻く世界を一瞬で考えた。このワイングラスへの違和感を解く為にも。


 この世界には、魔法があった。

 魔法は、血で繋ぐものだった。

 魔法の源である魔力を持った者は、次代にその力をそっくりそのまま受け継がす。たまに、突然変異が起こることもあったが稀だ。

 そして、膨大な魔力を持った者は、どの国でも貴族が多かった。故に、今の私の結婚はただの政略結婚だった。


 私の生家は、世界でも名の通った公爵家だった。

 母国の現王(伯父)は、生まれたばかりの私の稀なその膨大な魔力を、魔石類の年間の流通を三倍にすることと引き換えに婚約という名のもとに隣国へ売り渡した。

 父も母も否やを唱えず平然と私を差し出したので、家族仲は察して余りあるというものだ。一応、成人になるまでに手元に置いてはいてくれたが、隣国へ嫁ぐための勉強などが忙しくほとんど家族との関わりは無かった。


 そうして十八年後、私はこの国の第四王子に嫁いできた。

 三ヶ月前に輿入れのためにやってきた私が侍女たちからまず教えられたことは、今日まで顔も知らなかった夫に幼馴染の可憐な恋人がいることだった。夫と同じプラチナブロンドが美しい、春の陽気がとても似合う可愛らしい朗らかな淑女だった。

 今世の夫にも、秘密の恋人がいる。しかも、前世と同じようにそちらが一等大事らしい。おかげで、こちらに身一つで嫁いできたと言うのに、誰も私のために働こうなんてしやしなかった。


 元々、私に付いている者たちは全て彼女のために用意されていたものだった。そのため、この国来て今日までの待遇は控えめに言って最低だった。

 私が嫁ぐことで、彼女は日陰の身になってしまったと、私にワイングラスを手渡した侍女が裏でそう嘆いていたのを聞いた日は、悔しくて中々寝付けなかった。


 私が、表立ってなんの反応も示さなかったからエスカレートしたとも言えるが、単純に侍女如きが一国の姫にして良いことではなかった。

 そのことに不満や文句をあえて言わなかったが、彼女たちの仕事ぶりには少し辟易していた。耳元で羽虫がまとわり付くような、そんな鬱陶しさだった。


「困りましたわね…」


 こちらに嫁いできて、初めて独り言を呟いた。

 物言わぬ微笑むだけの人形が初めて溢した不満に、側に控えていた私付きのあらゆる者が一瞬動きを止めた。夫でさえ。


「あら、愉快」


 思い出した前世の最後のように、フフッと笑って見せた。なぜか、皆が皆惚けた顔で私を見つめるので、気まずくなって綺麗に結い上げられた自慢のハニーブロンドの髪に空いている方の手を添わした。

 そして、なんの前触れもなく側で控えていた件の侍女の頭の上に、持っていたワインをバシャリとひっくり返した。

 ようやく、違和感の正体に気がついたからだった。


「君は、何を……!?」


 私同様に暗愚に周りへ微笑んでいた夫が、一瞬その鉄壁の仮面を憤怒に染めた。お互い空気のような扱いをしていたのに、今この瞬間にお互いの愚鈍な傀儡の仮面が剥がれた事にも愉悦が込み上げてきた。


 献杯されたワインは、夫の恋人の生家が運営しているワイナリーからのものだった。


 もしかすると夫やその恋人は当てつけのつもりだったのかも知れない。

 だが、この侍女はそれとは別に明確な悪意と殺意があった。

 気管に入って咽せたと思われていたその侍女は、たちまち口から血を吹き出し、綺麗な魔宝石で出来た床の上に倒れ伏した。

 自浄効果の高い魔宝石できた床なので、みるみる血が吸われていく。床が、血を喰らっているようだった。


 誰かの絹を裂くような叫び声を皮切りに、さまざまな悲鳴が上がり始めた。


(あぁ……なんて、五月蝿い)


 空中で音楽を奏でていた妖精の楽団だけが、声を上げて笑っていた。

 優美な演奏は、途端に滑稽な曲調に変わる。

 本当に性根の腐った生き物だ。

 だから私は、父の言う通りに妖精の奏でる演奏は下品で嫌だと遠回しに要望した。しかし、彼はその華やかな見た目が場に花を添えるからと押し切った。


 誰の案かは知らないが、その見た目を上回る中身の品の無さをこれで思い知っただろう。


(次々頭の中で言葉が踊って目眩がしそう!)


 初めての興奮でうっかり口元が緩みそうになり、慌てて両手で口を隠す。

 その横で夫は惨状に目を白黒させて戸惑っていたが、なぜか私を守るように抱きしめてきた。

 そんな茶番は置いておいて、突然の大惨事に右往左往する使えない近衛騎士や召使い、それに様々な立場の国賓たちをつまらなく眺める。

 その中に、青ざめた顔で立ち尽くす恋人とその家族が見えた。


「殿下行けませんわ……恋人のところに行って差し上げて?」


「君の方が大切に決まっている!!」


 そう言って彼は身動きが取れないほどに強く抱きしめきて、血を吐き続ける侍女から私を庇うように守ろうとする。

 毒物が何か分からない以上、確かに彼女から離れた方が賢明だ。


 しかし、いい加減鬱陶しいそれに呆れて、小さく息を吐いた。


 その吐息にびくりと肩を揺らして、驚いたように私に視線を合わせた夫の顔に、薄く微笑んでおいた。

 空っぽなお姫様は、この野暮ったい雰囲気を作る男になんの感情も抱いてはいなかった。普通の感覚ならば、この三ヶ月の間に受けた仕打ちを考えれば、たとえ百年の恋でも冷めると言うものではないだろうか。

 だから、この十八年間一度もお互いに関心を寄せなかった男が、途端に憎たらしくなっても仕方がないだろう。


「私、弁えておりますの」


「君は……突然、どうして…?」


 夫はひどく狼狽えていた。

 それもそうだろう、たった数分前まで物言わぬ人形だった者が豹変したのだから。私が、誰かに耳打ちも目配せもされずに喋るなど、欠片も想像していなかったに違いない。 あわせて、目の前の惨劇だ。無理もなかった。


「気安く触らないでくださいまし」


 そう毒付いてその腕から逃げ出した。

 そして、苦しむ侍女の側に強引に寄った。

 死ぬほど苦しんでいるようだから、今までの溜飲は下げておいてやろう。

 そう無理矢理自分を納得させて、公爵家の膨大な魔力だからこそ扱える回復魔法を、私を殺そうとした侍女に施した。所謂、王族の晴れの舞台で死人が出るのは、今後の生活を考えても得策ではないからだ。

 助けたところで、この侍女に明るい未来などないだろうが。


(水の中を息を止めて泳いでいるような気分だわ……魔法って)


 回復魔法を無詠唱でかけると、すぐに吐血が止まり、あっという間に顔色が良くなっていった。


 (それから、皆が引き続き夜会を楽しめるように、血で汚れた物全てに洗浄魔法をかけておくとしましょう)


 先程から宮廷魔法師たちもやっていたが、私がやった方が早い。

 この一月ほどはいつも不思議な気持ちで彼らを見つめていたのを思い出した。

 なぜ、そんなことが無詠唱でできないのかと。


 指先をパチンと一つ鳴らせば、あっという間に全てが元通り美しくなった。

 一番近くで私のドレスに着いた血を落とそうとしていた魔法師に視線を流せば、顔を真っ赤にして黙り込み、俯いて項垂れていた。

 彼がどんなに屈辱的に思おうと、この三ヶ月で私に向けた侮蔑的な態度が許されるわけでもない。


「なんと……これが、かの一族の力か」


 誰かの小さな呟きが、大きく耳に響いた。

 こうして、一瞬で惨劇は全て消えてなくなった。

 だというのに、ざわめきは無くならず、むしろ増していくばかりだった。

 それらをあまり気にせず、淡々と床に撒かれたワインの中から毒素を回収し、魔法で固める。


 そうして出来た宝石のように美しい一粒の毒を、未だ呆然としている夫に手渡した。


「その一粒の毒を眺めながら、彼女と愛を語らえばいいわ」


 最後に、この政略結婚を推し進めたくせに、自分の息子の人間関係を整理せずに放っておいた国王に微笑み、言葉も無く退席した。

 私に着いてくる侍女は誰もいなくなり、一拍置いて慌てたようの近衛騎士が数名追いかけてきた。そのことを、咎めるつもりは全く無い。

 仕事をしない者たちは、切ればいいのだと今更ながら気がついたからだった。


(賑やかねぇ)


 歩みを進める王族専用の薄暗い回廊にまで、喝采が響いてきていた。

 耳をすませば、国王のご高説も聞こえてきた。

 公の場で初めて披露した私の魔法は、どうやら暗殺未遂をかき消すほどの衝撃を皆に与えたようだった。

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