第二十一話 全要
昼食のピーク時間を過ぎた大学のカフェテリア。
到着すると、佐藤先輩が軽く手を振った。
「佐藤先輩、お待たせしてすいません。あと……父のことも」
佐藤先輩が610号室に入居して1ヶ月。
なんとその間に、父は二度も苦情を言いに行っているのだ。
「大丈夫大丈夫。飲んでて騒がしくしたのはこっちだからさ」
佐藤先輩は何も気にしていない様子でカラカラと笑った。
メニュー表を指さして「何飲みたい?」と尋ねてくれるが、父が迷惑をかけてしまった事もあり奢ってもらうのは気が引ける。
「本当いいって。気にしないで」
「じゃあ……紅茶で」
「了解」
佐藤先輩から紅茶を受け取って一口飲むと、彼は待ってましたとばかりに本題をぶつけてきた。
「俺の部屋で死んだ人のこと聞きたいんだけどさぁ」
「んっ?!」
吹き出しそうになった紅茶を無理やり飲み込んだ。
「最近美味しい店見つけてさ」みたいなノリで話される内容じゃない。
「事故物件って……知ってたんですね」
「そりゃ知ってるよ。てゆうか、事故物件に住むっていうバイトで引越したんだよね」
「え?!」
事故物件に住むアルバイトなんて聞いたことがない。
佐藤先輩は期待した通りの反応が返ってきたとでもいうように「面白いでしょ」とニヤリと笑った。
「あの物件さ、前の所有者が失踪したんでしょ? 差し押さえられて競売にかけられたんだよね」
「へぇ……そうなんですか」
確か「瀬戸さん」という4人家族が最後の住人だった。
一昨年の秋頃に家族揃って忽然と姿を消したんだっけ。夜逃げじゃないかと噂されていたのを聞いたことがある。
その後、部屋がどうなったかなんて意識したことがなかった私は、ただ頷くことしかできなかった。
「そういう訳あり物件を安く落札して、リフォームして安く再販したり貸し出したりする業者ってのがあるんだ。今回の物件は3年の告知義務の期間も過ぎたし賃貸にするみたいなんだけど……」
3年の告知義務という言葉に息を呑んだ。
告知義務の期間さえ過ぎてしまえば、そこでどんな凄惨な事件があったとしても、何もなかったように貸し出せるということ。
そういう話を聞いた事はあったけれど、あの事件を間近で見てしまった私からすると背筋が冷たくなる。
動揺する私の様子など気にも留めず、佐藤先輩は平然と言葉を続けた。
「あ、公式のバイトじゃないよ? 知り合いの不動産やってる社長からの裏依頼。もう告知義務はないんだけど、物件が物件で借り手がつかないから『大学生が普通に住んでる姿』を近所に見せびらかしてほしいって言われてるんだ。貸す時にも『前住んでいた人は何もなかった』って言えるしね」
「物件が物件……?」
「あれ、真緒ちゃん知らないの? まぁそっか。階が違うもんね」
佐藤先輩は610号室について、私の知らなかった真実を語った。
マンションが建設された年。
今から丁度5年ほど前のこと。
最初の入居者は『霧島』という一家だった。
私も覚えてる。ピカピカの家にはしゃいでいた時期の話だ。
霧島さんは家族三人で我が家に挨拶にきた。
たった半年足らずで彼らは引っ越したっけ。
「その霧島って一家、どうして引っ越したか知ってる?」
「いえ……ただ、深夜にお父さんが怒鳴り込みに行ったことがあって……。その、騒音問題で」
深夜に響き渡った足音と怒鳴り声。
お母さんはDVだったんじゃないかと言っていた。
父が如何にクレーマーかを語っているようで言い淀んでいると、佐藤先輩はニヤリと笑う。
「霧島一家の父親さ。自殺してるんだよ」
「え……?」
「それで、その翌年。次に住んだ沖田一家の父親が自殺した」
どきりと心臓が跳ねた。
その話が本当だとすると、610号室の住人はたった2年ほどの間に二人死んでいることになる。
「まだあるんだぜ」
佐藤先輩はテーブルの上に腕をついて少し前のめりになる。自由研究をする少年のようにその瞳は少し輝いて見えた。
「次に住んだ瀬戸一家。ほら、失踪した家な? その隣の611号室で殺人未遂事件があったの知ってた?」
「し……りません」
「瀬戸一家が失踪した少し後に、妻が旦那の首を絞めたんだってさ。その家も、今競売にかけられてるよ」
喉が乾きで締め付けられる。
でも、目の前の紅茶に手が伸びない。
瀬戸さん一家がいなくなったのは、一昨年の秋の半ば。
確かにその頃、パトカーが沢山マンションに止まっていてとても騒がしかった。
瀬戸さん一家の失踪について調べているとばかり思っていたけれど違ったらしい。
「こんな短期間でここまで事件が重なってると、心理的瑕疵になっちゃうからさ。借り手がつきやすいように『何もなかった』住人の実績を作るんだよ。タダで一年住めて謝礼金も貰えるんだ。美味しい話でしょ??」
「美味しい……話?」
「うん、ついでに定点カメラも設置して動画でも作ってみようかなって。何か撮れたら、それはそれで使えるだろうし」
笑顔を浮かべながら、人の不幸を『美味しい』と言い切る佐藤先輩。
胸に湧き上がったのは嫌悪感だった。
理解できない価値観。言動。態度。
彼の全てが気持ち悪い。
「それでさ、真緒ちゃんに聞きたい話っていうのはここからなんだ。610号室に住んでいた住民がどんな人だったか、覚えてることがあれば教えてくれないかな?」
彼はわざとらしく「お礼はするよ」と親指を立てる。
私は席を立った。
佐藤先輩は突然立ち上がった私を目を丸くして見上げる。
「申し訳ないですけど、協力はできません。失礼します」
すぐに背を向けて、出口に向かう。
扉を開けて外に出る瞬間まで、背後では佐藤先輩の呼び止める声が響いていた。




