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【事故物件】の隣に住んでいます  作者: 白波さめち


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第十八話 瀬戸一家


 早足で、マンションの敷地を探し歩いた。

 こんな所にいるもんかと思いながらも、ゴミ集積場まで覗いた。

 

 それでも二人の姿は見えない。


 縋るような思いでもう一度公園へと戻ってきた俺は、死角になるような植物一つ一つを見て回る。

 

 そうしてようやく二人を見つけた。

 太陽の照りつける中、二人はマンションと公園の境界線にある茂みに隠れるようにして土を掘っていた。


「あ! お兄ちゃん!」


 声をかける前に気づいた朝陽君が立ち上がり、こちらへと寄ってくる。照りつける太陽を浴びて、額には汗が浮かび顔も赤い。

 

 いなくなったんじゃないかと不安になっていた俺は、肩の力が抜け、安堵の息を吐いた。


「これ。忘れ物」


「水筒届けてくれたんだ! ありがとう!」

 

 朝陽君は俺の手から水筒を受け取ると、すぐにごくごくと音を立てて飲み出した。

 額の汗を腕で拭った朝陽君は、水筒を肩からかけて元の茂み……愛菜ちゃんの隣へと戻っていく。


 くすくすと二人から漏れる笑い。


「何してるの?」


 二人を覗き込むようにしながら尋ねると、愛菜ちゃんの首がぐるりとこちらを向いた。

 にたりと笑う口元。弓のように細められた目。

 安堵した心が一気に凍てつく。


「あのね、()()()を探してるの」


「食べ物……?」


 愛菜ちゃんが「ほら」と身体をずらす。

 

 地面にひかれたハンカチの上には虫の死骸が乗っていた。

 その上をうねうねとミミズが這うように動く。


「なんだよこれ……」


 絞り出した声に、愛菜ちゃんは笑顔のまま首をこてりと傾げた。


 共感を求めるように笑顔を向ける愛菜ちゃんに、それ以上声が出ない。

 ただ、怖いという感情だけが身体を満たしていく。


 朝陽君はそんな異様な状態の中、ミミズを土の中から引き摺り出して高く持ち上げた。


「愛菜ちゃん! ほら、またいたよ」


「ありがとう朝陽君!」


 まるで宝物のように、愛菜ちゃんはミミズを受け取った。

 何が起こってるのか分からない。

 どうして、朝陽君がこの異常な状況に気づけないのかも。


 小学生の時、俺もこんな感じだったか?

 

 正直、朝陽君のことはほとんど知らない。

 

 父さんの裏切り。

 それが形となって息をして歩いているような感覚だった。

 

 当時、千春さんは父が既婚者だと知らなかった。

 朝陽君も自分の父親が何をやらかしたのかなんて何も知らない。


 頭の中では分かっている。

 それでも、どうしても割り切れない自分がいた。

 弟なんて思ってない。


 だからと言って、放置しておけるかと聞かれると……


 無理だ。

 

「朝陽君……ほら、汗だくじゃん。一度帰ろう?」


 朝陽君の土まみれの腕を握ると、彼は不満げな声を漏らしながら首を振る。


「やだ!! まだ愛菜ちゃんと遊びたい!!」


 幼い子供のようにぐずる朝陽君。

 

 嘘をついてでも連れ帰るべき?

 でもその後どうすれば?

 何が正解かは分からない。

 ただ、気持ちばかりが焦ってしまう。


「じゃあさ、朝陽君! 愛菜の家に来なよ!」


「いいの?」


「もちろん! お母さんがね、クッキー焼くって言ってたの!」


 ハンカチを袋状に包んだ愛菜ちゃんは、一匹も逃さないようにと上で握りしめて立ち上がる。

 朝陽君の手を握ると、パッと駆け出した。


「ちょ……!」


 突然のことに立ちすくむ俺を通り過ぎ、マンションへと二人で駆けていく。

 運動神経はそれほど良くないが、俺は高校生。

 小学生の二人とは体格も違うはずなのに、何故か追いつけない。


 曲がり角に到着すると、すでに二人は次の曲がり角にいる。必死に足を動かしているのに、まるで景色が引き伸ばされているみたいに、二人の背中が遠い。

 

 ただ、必死に追いかけた。


 二つの足音はパタパタと音を立てて階段を駆け上がっていく。

 

 気のせいであってほしい。

 二人はただ遊んでいるだけだ。


「朝陽っ……!!」

 

 そう願いながらも、見失ったら二度と朝陽が戻ってこない気がする。


 六階に到着し、共用部の廊下に出ると、ちょうど二人は610号室の前にいた。


 開かれているドア。

 そこに吸い込まれるようにして、朝陽が入っていく。


「行っちゃダメだッ……!!」


 声を上げると、愛菜ちゃんがこちらを向いた。

 笑顔を貼り付けたような、さっきと同じ顔。


「お兄ちゃんも、来る? 愛菜の家」


 ドアノブに手をかけた愛菜ちゃんは真っ直ぐに俺を見る。

 

 その声は――

 子供のものとは思えないほど酷く平坦で冷たく響いていた。




 招かれた610号室。

 昼間だというのに中は暗く澱んでいた。

 

 すでに靴を脱いでいた朝陽は、玄関先で丁寧に靴を揃えている。


「お兄ちゃんもきたの?」


 目を見開いて首を傾げる朝陽。

 この手を握ってすぐに連れ出したい。

 でも、愛菜ちゃんは逃さないとでもいう様に朝陽の手を掴んで真っ先にリビングへと駆けていく。


「お母さんー。朝陽君とね、お兄ちゃん連れてきた」


 愛菜ちゃんの声が遠く響く。

 

 嫌だ。入りたくない。

 そう叫ぶ心に抗って足を一歩中に踏み入れた。


 その瞬間、冷たい空気が肌を撫でた。

 間取りも、壁紙も同じはず。

 それなのに、のしかかるような空気の重さに息が詰まりそうになる。


「お邪魔……します」


 返事はない。ただ奥のリビングから、楽しげな幾つもの笑い声が聞こえてくる。


 そう、笑い声が聞こえてくるのだ。


 俺の部屋と面している部屋がすぐ左側にあるにも関わらず。

 

 あの切実な、助けを求める声は聞こえてこない。

 聞こえてくるのは、喉の奥を鳴らしたような不自然な笑い声だけ。

 

 ただ、その代わりに――

 嗅いだことのない、腐ったような匂いが部屋に充満していた。

 

 キッチンで嗅いだことのある匂いじゃない。

 鼻の粘膜、唇の粘膜に張り付くような脂の混じった匂い。


「なんで……? なんだよこれ」


 独り言のように呟くと、リビングのドアから愛菜ちゃんが顔を出した。


「ほら、お兄ちゃん。クッキー焼けてるよ」


 朝陽を連れ戻さないと。

 

 壁が迫ってくるような圧迫感の中、ゆっくりと中へと進むと「瀬戸一家」がリビングに揃っていた。

 ダイニングテーブルを取り囲むように男性と小さな男の子が座っている。

 

 その真ん中には大きなお皿。

 

 彼らはその皿に乗った黒い何かを一心不乱に食べていた。

 ボロボロと口から残渣を溢しながら、手を真っ黒にして。


 声が出ない。息をする事も忘れ、手足の感覚は遠くなる。

 

 愛菜ちゃんは「美味しそう」と声を上げながら、椅子に座り、その黒い何かに手を伸ばした。

 

 その瞬間、愛菜ちゃんの手に握られたハンカチが床に落ちる。

 

 空中で解けたハンカチ。

 中からミミズや虫の死骸が飛び出し、床にバラバラと散っていく。


 喉の奥から胃酸が迫り上がった。

 胸を叩く心臓が、内臓の全てを裏返そうとしているみたいに。

 

 でも身体は恐怖に凍りついて動けない。

 口元を手で押さえる事も、叫ぶ事もできなかった。

 

 テーブルを取り囲む三人の咀嚼音が部屋を満たす中、視線だけで周囲を見渡した。

 すると、ダイニングテーブルの端で真っ青な顔をした朝陽君が目に入る。

 ガチガチと歯を鳴らすほど震えているのに、彼の目は黒い何かを貪る三人を食い入るように見つめていた。


「ほら、二人もよかったら食べて」


 突然の声に横を見ると、笑顔の女性がすぐそばに立っていた。

 貼り付けたような笑顔をこちらに向けながら、手に持った皿をぐいとこちらに差し出す。


 そこには、テーブルの上の何かと同じ物が載っていた。

 黒い物体から突き出ているのは小さな羽や、足のようなもの。


「うわぁぁぁあああ!!」


 弾かれたように動いた身体。

 その女性を突き飛ばした俺は、朝陽君の手を握ってリビングを飛び出した。

 纏わりつくような空気を振り切り、足を靴に乱暴に突っ込んで外へと飛び出す。


 急いで扉を閉めると、夏の暑い空気が身体を包み込んだ。

 飛び出しそうなほど激しく鼓動する胸を上から手で押さえつける。

 

「あ……ああ……う……」


 声にならない悲鳴を絞り出すように、朝陽君は途切れ途切れに声を漏らした。繋がった手は、どちらの汗かも分からないほどぐっしょりと濡れている。


「おにい……ぢゃん……うあぁぁん」


 何度目かの深い呼吸。

 糸が切れたように、朝陽君は俺に縋り付いて泣き始めた。

 

 肩に顔を寄せる朝陽君。

 彼の涙が服に染みこみ、俺の汗と混じる。

 

 俺は――

 その震える小さな背中にそっと手を回した。

 伝わってくる鼓動を宥めるように、ただ静かにその背を撫で続けた。

 

 

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