ライラ視点 私のもの
ガキはマドルにも簡単に懐いた。以前いた犬は、あくまでマドルが飼っていたものだったのでマドルに尻尾を振って当然だったが、こいつは私のものだというのにわかっているのか。と思ったが、訳のわからない弁明をしているのも面白かったので許してやることにした。餌をくれる生き物になつくのは理解できる話だ。
しかしそれはそれとして、本当に変わった娘だ。私にその命をいつ奪われてもおかしくない状況で、血を吸われどんどんその命が減っていく感覚を味わいながら、けろりとしている。普通人間というのは私を恐れるものだ。それが生物として正しい。
しかしこいつは私と一緒の時間を過ごすことを喜び、私のことを知りたがり、自分のことも話した。
脆弱で、少し転んだだけで怪我をしてしまい、少し乱暴に持ち上げただけで苦しむ。こんなに弱くて、すぐに死んでしまう人間の癖に。もっと強い魔物を私が目の前で殺してその力を見せつけても、怯えることなく楽しんでいる。褒美をやると言えば、名前を呼んでほしいと言い、私に触れることをためらわない。私が捕まれと言えば、服のつもりだったのに平気で手をつないでくる。私の手が簡単に肉を切り裂くと知っているのに。
その癖、ただの鳥を可哀そうだという。ちぐはぐで、本当におかしな娘だ。
外に出たいと言った時、私が気まぐれに散歩させたからと調子に乗ったなと思った。うまいこと言って、逃げようというのだと思った。だから望みどおりにしてやった。そうして逃げ出せば、私は罰としてその血をもう一度味見してやろうと思っていた。とてもうまかったから。一か月は長いと思っていたのだ。
私はばれない様についていって、そして当たり前のように帰ってきた。その時の感情は、自分でもよくわからなかった。飲めなくて残念で、がっかりして、だけど何故か、悪い気分ではなかった。
血がうまかった。ただそれだけだった。そのつもりだった。だが、何の下心もなく、殺されないために媚びるのではなく、ただ私を好きだとおびえもなく伝えてくる。そんな娘を気に入るようになるのに時間はかからなかった。
私はエストが本当に心から私を慕っていることを実感して、気分がよかった。エストがニコニコと嬉しそうに私に近寄ってくるのも、私の為に美味しい血になりたいというのも、いつでも私を称える言葉を口にするのも、全部本気で本心で、自分がしたいからしているのだ。
なんとも、いじらしい娘だ。こんなに可愛い食料を、私は知らない。この娘を大事にしなければならない。もう二度と味わえない美味な血液だからだけではなく、愛らしい食料だから。
どんなに血を吸うことをほのめかしても、いつかエストを殺してしまうとにおわしても、エストは健気にそれがまるで光栄なことだとでも言いたげに、嬉しそうに笑うのだ。
これが、可愛いということなのだ。犬も可愛いものだった。だけどこいつには負ける。エストは私の為に作られた食料だ。私だけのものなのだ。私はとても、とても気分がよかった。
だからよくしてやった。祭りなんて興味もない。ずっと同じ時期にしているので覚えたが、だからどうということもない。吸血鬼の街でも祭りという概念はあったが、私には縁遠いものだった。私はずっと一人で生きてきた。
マドルはあくまで私が私の為につくった生命体であり、誰かと一緒にいるというのとは別の話だ。共同生活が故に存在する集まりや儀式なんかに興味はなかった。誰かと遊ぶというのもわからないままだ。
だけどエストがそれを気になると言うなら、楽しいと言うなら、楽しませてやりたかった。いつも笑顔なエストだから、私の手で笑顔にしてやりたい。そう思って連れて行った。
なのにあいつは、私の瞳を綺麗だと言って、私を喜ばせる。人間には恐れられ、吸血鬼にとっては下品なこの目を。それを自分で買う? そんなことをさせてたまるか。
マドルに、もっと美しく、もっと私の瞳のような石を用意させよう。見る度に私を思うような。私の目を忘れられないような。いつでも私が頭から離れないような。そんな美しい石を。
マドルにプレゼントをして私にはないなんて、いくら餌を直接もらってるとはいえ、私がそもそもこの館をもらったし私がいるから食料も届けられているというのに。と不満に思っていた心はどこかへ飛んで行った。
マドルのはしょせん、礼でしかない。だが私はそうではない。エストの心の中でもっとも美しいのは私なのだ。美しいものをみて思うのは私なのだ。
妙な踊りをして楽しそうなエストを見て楽しみ、こんなに祭りが楽しいものなら、また来年も連れてきてやろうと思いながら館に戻った。そうして帰った私を待っていたのは、気分を台無しにする報告だった。
奴隷たちの逃亡だ。無駄なのに。何故そんなことをするのか。マドルは常に館中を見張っている。マドルは私が館と奴隷の管理をするためにつくったのだ。それをしくじるわけがないのに。
本当に、人間というのは愚かだ。エストのように、愛らしい愚かさであれば可愛がってやると言うのに、一丁前に考える脳みそがあって出し抜けると思い込んでいる。不愉快だった。
とりあえずまとめているというので、エストを寝かしつけてから対処することにした。
エストが今日は別の部屋で寝ると言いだしていたのでちょうどよかった。同室の人間がいなければ不審に思うだろう。と考えて、同室の人間について、まだ仲良くなれてないけどそのうちなれるとか、ちょっとはおしゃべりしたとか、そんな風に喜んでいたことを思い出した。
そうなると、そいつを殺したと知れば、エストは落ち込むかもしれない。逃亡の事実を知れば私を非難はしないだろうが、悲しむかもしれない。
「……ちっ」
仕方ない。不愉快だが、そいつだけは生かそう。そう思いながらエストを待った。
エストは風呂に入って機嫌よく私の部屋に入ってきた。エストは私の部屋だと知るともじもじしてから嬉しそうに飛び上がった。私の寝台にはいるなんて、マドルもしないことだ。破格の扱い。私の寵愛の証明だ。
それが分かっているのだろう。いつもよりずっと遅い時間で、帰りも少し眠そうにしていたのに、目を輝かせていた。
私はエストを寝かしつけようとベッドにいれても、嬉しそうに私を見ている。無防備に寝る前の薄着で、ためらうことなく私の前にその首筋をさらしている。
今日は気分がよかった。なのに終わり際に嫌なことがあった。エストの為に、いつもならしないが一人は見逃すつもりだ。少しくらい、飲めないか。
エストの味は本当によかった。ほんの少し、手のひらの怪我を舐めるだけでも気分がよくなるくらいに。しかしマドルから許可がでていないし、一か月しないと思っているところに急に言われると、いくらエストでもちょっとは嫌がるかもしれない。エストほど図太くても血が減れば体調がよくなくなるのは間違いないことだ。
「あの、ライラ様。その、これ、受け取ってもらえますか?」
どうするか、と思っていると急にエストはそう言って私にさっき買ったものを差し出してきた。
買うところも見ていた。琥珀のネックレスだ。シンプルなもので、こいつは髪も目も茶色だから色味的にも似合うんじゃないか。と思って流していた。でもまさか、私への贈り物だったなんて。
「これは、まさか、お前の目の色とでもいうつもりか?」
受け取ってから、遅れて気が付いた。こいつはあの石をみて私の目の色のようだと言っていた。その次に手に取ったのがこれで、私へ渡すもので、自分の目の色だ。
それを確認すると、エストは恥ずかしそうに真っ赤になって照れながら頷いた。
「その……ライラ様にはいつもお世話になっていますし、その、好きですし……だから、その。いつか、私が死んじゃっても、これをみて、たまには思い出してほしいです。ライラ様のことが大好きな私がいたこと」
それを聞いて、たまらなく私の胸はしめつけられた。なんて、健気なのだろう。マドルに渡すのと同じようにお世話になっているから。そしてそれだけではなく、お礼をこえて、ただ好きな私に持っていてほしいから。私が持っていることで、エストという馬鹿な娘がいたことを、覚えていてほしいから。
なんて、そんなことを。真っ赤になって言うなんて。ああ、なんて可愛らしいのか。おかしくって笑い出したい気分だった。だけど我慢する。大きな声で笑ってしまえば、エストの眠気を消してしまうだろう。
「はっ。お前は本当に、自分のことがわかっていないな。お前のような愚かで変わったガキ、そうそう忘れるか」
今まで百年ほど、ここでたくさんの奴隷を得てきた。だけどそれだけいて、エストのような奴隷は一人もいなかったのだ。きっと、これからもいないだろう。自分の希少価値がわからず、自分の行動も感情も、当たり前だと思い込んでいる。
そんな愚かさが、愛らしくて、可愛くてたまらない。
「はい。馬鹿だからでも、嬉しいです」
「ふっ。ほらもう寝ろ」
馬鹿だ。見たことがない、人間としてどうやって生きてきたのかわからないほど愚かだ。だけど、馬鹿だからじゃない。私がお前を忘れないのは、馬鹿だからだけじゃない。
だけどそれを口に出すのは気恥ずかしく、そこまでサービスしてやる必要もないので、私はそう言って枕に寝かしなおした。
「ん……あの、ライラ様。もう一つ、お願いいいですか?」
「なんだ、本当にお前は、図々しいやつだ。言ってみろ」
以前、褒美に名前を呼べといったエスト。私はその願いを聞いて、名前を憶えはした。だけどなんのきっかけもなく呼ぶのは困難だった。もう一度それを願うなら、私は今すぐにかなえてやろう。
「その、私の血、吸ってもらえませんか?」
「……なに?」
そう思いながら促して、そのエストの口から出たのは、想像もしていなかった言葉だった。
私に吸われてもいい、そう本心で口にするだけで、どれだけおかしなことか。だと言うのに、自分から吸われたいと言い出したのだ。本当に、頭がおかしい。
「その、順番があるのとか、期間があるのとか知ってるつもりです。でも、前吸ってもらってからもうすぐ一か月ですし。その、今日はまだ飲んでませんよね? お祭りに連れて言ってくれて本当に楽しかったですし、お礼と言いますか、ライラ様にも喜んでほしいですし、その……」
「……」
だと言うのに、まるで恥ずかしいお願いを言ったみたいにエストは小さくなっている。目をそらし、言い訳して、どうして私に飲んでほしいか説明しているのだ。
ああ、本当に、どこまで可愛くなるつもりだ? どれだけ私の寵愛を得れば気が済むのか。
「……すみません、変なこと言って。駄目ですよね。私にいつ吸ってもらうか、決める権利なんてないですし、ごめ」
「エスト」
「えっ?」
私はエストの愛らしい態度に耐えられず、もうマドルに怒られても知るか、と覚悟を決めてその名を呼んだ。
今までずっと呼ばなかったエストという名前。今呼ばないで、いつ、褒美を取らせるというのか。
名前を呼んだ。それだけでエストは縮こまっていた顔をあげてぱっと表情を明るくさせた。
両肩をひいて引き寄せる。今から、血を吸うのだ。だと言うのに、エストはまるでこれからとてもいいことが起こるみたいにその目をゆるませている。私を待ちわびるかのように。
「エスト、望み通り、血をすってやる。喜べ」
「はい……はい。ありがとうございます、ライラ様」
私はエストを飲み切ってしまわないよう細心の注意を払いながら、そっと口をつけた。
この時のエストの血のうまさと言ったら。前よりずっとうまくて、もう、私は二度とこいつ以外の血を飲めなくてもいいなんて世迷言を思うほどだった。
それから気を失ったエストを残し、私は奴隷の処理をした。同室の奴隷以外はいつも通り血を吸ってから処分するつもりだった。エストがいるとはいえ、大量の血を無駄にするのはどうしてももったいないと、かつて血に飢えていた時代を思い出して感じてしまうからだ。
だけど今はそれもどうでもよかった。エストが死ぬまで、エスト以外の血を飲む気はなかった。それに、ほんのわずかでもエストの笑顔が曇る可能性があるなら、奴隷の生死すらどうでもよかった。
だから私は黙ってそいつらを出て行かせることにし、エストが悲しまないよう、手紙もかかせた。エストが私のものである、ただそれだけで、私はとてもいい気分だった。他のことなんてどうでもよかった
思えばこれでよかったのかもしれない。エストには同室の相手だとか、友達なんてものはいらないのだ。私がいればいいのだから。
マドルに指示をして部屋に戻った私は、エストを抱えて眠った。こんなにも満たされた気持ちで眠るのは、ずいぶん久しぶり、いや、初めてかもしれない。そのくらい、私はいい気分だった。




