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16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
番外編 sweet, or not sweet
79/88

 午後六時、新幹線は予定通りの時刻に東京に着いた。

 市之瀬が指定してきた店は、俺が泊まっているホテルに近い、裏通りの小さな創作料理の店だった。

 入ってみると、予想していた雰囲気と違う。

 女性客がやたらと多い。

 店内のインテリアや飾りつけが、シンプルではあるがおしゃれである。


「友達が来ることになってるんだけど、同席してもいいか?」


 相変わらずの無表情で、会うなり、市之瀬は言った。


「別にかまわないけど」


 俺がテーブルにつくと、市之瀬は生ビールをふたつ頼んだ。

 めずらしいな、と思った。

 市之瀬が友達を紹介するなんて。

 生ビールが運ばれてきたので早々に乾杯をすませ、飲みながら料理を注文した。


「いいのか、その友達を待たなくて」

「三十分くらい遅れるって、さっき連絡があったから」


 冷めた口調で言い、テーブルの上に置かれた刺身の盛り合わせに箸を伸ばす。

 黙々と食べる。

 黙々と飲む。

 変わってない。

 市之瀬の整った顔は、いつもつまらなそうだ。

 人生ひとつも面白いことがない、とでも言いたそうな顔。

 冷たい海の底で、何も感じていない、深海魚のような。

 これが、超浮かれまくってる顔なのか?

 これがか?

 健吾のやつ、やっぱり何か思い違いをしてるんじゃないのか?


「あのさ」


 俺は思いきって聞いてみることにした。


「十六年の片想いが実ったっていう話、本当か?」


 刺身を一切れつかんだまま、市之瀬の箸が宙で止まった。

 ぼた、と刺身が皿に落ちる。


「なんでそれを……おまえが……──健吾か」


 凝視する俺の顔からふいに目をそらし、市之瀬はあらぬほうを見て、言った。

 まったくあいつは、とか、ふざけやがって、とか、視線をあちこちさまよわせながら、独り言のような台詞をぶつぶつとつぶやく。

 あの市之瀬が動揺している。

 マジか、おい。


「もしかして、今から来る友達って、その彼女……とか?」


 追い打ちをかけると、市之瀬はますます落ち着かない表情になって、「まあ、そうだけど」と唸るような低い声で言った。


「俺は全力で反対したんだけど、あいつがどうしてもおまえに会って直接礼を言いたいって言うから」


 今度は少々やけ気味に、早口でまくしたてる。ふてくされた顔で。


「え? どういうこと? 俺の知ってる人?」

「まあな」


 開き直ったのか、ふんぞり返って腕を組む。

 ふてくされていた市之瀬の表情が、俺の後方を見つめたまま、徐々にやわらかく変化した。


「すみません、遅れて」


 背後から、優しい声がした。

 ふり向くと、セミロングの静かな雰囲気の女の子が、コートを手にして立っていた。彼女は俺を見て、「この間は、お疲れさまでした」と一礼する。

 見たことがある顔だった。

 この前の同窓会のとき、会った気がする。


「えーっと……たしか一組の……」

加島紗月かしまさつきです」


 思い出した。

 松川と一緒に受付にいた子だ。

 当日、受付にいる女の子がかわいいと評判になっていて、見ると松川に引けを取らない華やかさで、ふたりして注目を浴びていた──あの子だ。


「あ、どうも、その節は。富坂です」


 俺は慌てて立ち上がり、しどろもどろになって挨拶した。


「はい。よく知ってます」


 戸惑う俺に冗談っぽい笑顔を返して、彼女は市之瀬の隣の席に座る。市之瀬はまたもとの無表情にもどっている。


「お邪魔しちゃって、すみません」

「いやいや、全然」

「写真のお礼を言いたかったんです」


 同窓会のとき、幹事メンバーだった俺はたまたま撮影係に指名され、当日は一日中カメラを手にしてひたすら写真を撮りまくった。

 後日整理してみると枚数があまりにも膨大だったので、個々に郵送で送るのをやめ、インターネット上のサービスを利用して公開配布したのだった。

 だが、親しい仲間の何人かには、選りすぐったものをプリントして郵送で送っている。そういえば、幹事の仕事を手伝ってくれた彼女にも、何枚か送っていたっけ。


「ありがとうございました」


 丁寧に礼を言われて焦ってしまい、思わずどうでもいいことを口走る。


「加島さんは、同窓会のあとすぐに東京に帰ったの?」

「えー……はい。仕事があったので」


 彼女は一瞬、気まずそうな顔をした。

 触れられたくなかったのだろうか。

 俺は急いで話題を変えた。


「そういえばおまえ、正月に真希まきちゃんに会わずに帰ったんだって?」


 沈黙していた市之瀬が顔を上げて、面倒くさそうに「ああ」と答える。


「真希ちゃん、怒ってたぞ。一日くらい待ってくれてもいいのにって。めったに帰ってこない上に、電話しても出ない、とんでもない薄情男だって。おまえ、たまには電話してやったら?」

「ちょっと待った」


 市之瀬は無表情のまま俺の台詞を遮断し、隣の加島さんに顔を向けた。


「妹だから」


 加島さんは一瞬わけがわからないという顔をした。

 だが、すぐに言葉の意味を飲みこんだようで、「えっ」と短い声を上げた。


「市之瀬くん、妹いたの?」

「言わなかったっけ」

「聞いてない。ウソ。知らなかった、全然」


 俺は目の前のふたりを見ながら、妙な違和感を覚えた。

 幼なじみ、って言ってなかったっけ?

 なんなんだ、この初々しさは。

 まるで、昨日合コンで知り合ったばかりのカップル、みたいな……。


「ふたりってさ、幼なじみ……なんだよな?」


 一応、確認してみた。

 健吾の話だと、小三からの知り合いだという。

 足かけ十六年。


「まあ、一応」

「そうみたい……」


 ふたりして、歯切れの悪い答え。市之瀬は視線をそらしているし、加島さんはうつむいている。

 幼なじみ?

 どこが?

 全然、なじんでないでしょうが。

 俺は思わず吹き出してしまった。

 健吾が面白がる気持ちが、よくわかる。


「なんだよ」


 不機嫌な声を隠そうとしない市之瀬を無視して、俺は加島さんに聞いてみた。


「加島さんも、ひょっとして電波とか出せる人?」


 彼女はぽかんとした。


「電波って、なんですか?」

「あー、いや、なんでもない。聞いてみただけ」


 加島さんの隣で、市之瀬がますます不機嫌そうな顔をする。

 それから、ふたりは少しだけ仕事の話を始めた。

 なんでも、市之瀬の会社からの依頼を、加島さんの勤めているデザイン事務所が請け負っているとかで、偶然らしいが、今回たまたま一緒に仕事をすることになったのだと言う。


「それでね、汐崎くんがものすごくはりきってるんだって。あ、富坂くんは、汐崎くんのこと知ってるよね?」

「知ってる。三年のとき同じだったから。へえーそうなんだ。汐崎の郷土愛、半端ないもんなあ」


 汐崎哲大は、俺の高校三年のときのクラスメイトだ。このふたりは小学校のとき同じクラスだったらしい。その頃から雛条の歴史に詳しかったと、加島さんは楽しそうに話してくれた。


「クスノキのCM、実現しそう?」

「たぶん大丈夫。うちの西森さんの仕事愛も半端ないから」


 思い出したように、市之瀬がかすかに笑った。

 俺は目を見張った。


「あー、うん、わかる。西森さんて、見た目と違って熱い人だよね。うちの社長も言ってた」

「ちょっと迷惑なくらいな」

「そうなの?」

「俺、なんかあの人に遊ばれてるような気がする」


 加島さんが笑った。ふいに俺を見て言う。


「市之瀬くんを困らせるなんて、只者じゃないね」


 俺はぼんやりしていた。加島さんの明るい声でわれに返り、「うん、たしかに」と急いで返事をした。


「そのCMの撮影っていつ? ふたりも来んの?」

「うまくいけば三月かな。俺はたぶん同行するけど」

「私はどうだろ……ただのデザイナーだから、無理かも。でも行きたいな」

「俺も見学に行きたいけど、たぶん無理だな。その頃は引っ越しとか引き継ぎとかで、バタバタしそうだから」


 そう言った後で、ふたりの視線に気づいた。そういえば、まだ転勤のことを話していなかった。


「俺、春からこっちに転勤なんだ」

「そうなのか?」

「じゃあ、また会えるね」


 ひとしきり飲み食いした後、俺がデザートメニューにあったフォンダンショコラを頼むと、加島さんが喜んで「私も」と言った。


「飯食った後に、よくそんな甘いもん食えるな」


 市之瀬が呆れ顔で言う。

「デザートは別腹なんですっ」と加島さんが言い返す。


「本当は食べたかったんだけど遠慮してたんだよね。富坂くんが頼んでくれてよかったー」

「なんで? 俺に気にせず食えばいいだろ」

「そうだけど、なんとなく……。市之瀬くんて、昔から甘いもの苦手だよね」

 そして思い出したように、

「バレンタインのチョコ、どうしてたの?」と聞いた。


 わずかに、市之瀬が怯んだ。


「けっこうな量、もらってたでしょ、毎年。あれ、全部食べてたの?」

「……妹と母親が」

「わー、ひどい」


 無邪気に笑っている加島さんの横で、市之瀬はつまらなそうに頬杖をつく。


「誰かさんがくれてたら、食ったけどな」


 そのひと言で、加島さんの笑顔がひきつった。


「……すみません」


 その店のフォンダンショコラは絶品だった。ふと、祥子が好きだったことを思い出した。祥子にも「富坂くんが甘党でうれしい」と、何度か言われたことがある。

 俺たちは店を出た。

 夜も更けて、外は冷え込んでいた。


「じゃあ、また」

「ああ」


 店の前で駅に向かうふたりと別れて、俺はホテルへもどる道を歩いた。

 市之瀬のことは、中学のときから知っている。

 昔は健吾と三人で、バカ話ばかりしていた。

 だけど、市之瀬が自分からこんなに話すのを見たのは、初めてじゃないか。

 健吾といるときだって、あいつは、必要以上にしゃべるやつじゃなかった。

 まあ、あのふたりは、海の底でも交信できる変な電波で通じ合ってるから、言葉なんか必要じゃなかったのかもしれないけど。

 海の底、ではなかった気がする。

 今夜は。

 俺は足を止めた。

 ふり返ると、よりそうように並んで歩くふたりの後ろ姿が、街灯の明かりの下にほの白く浮かんでいるのが見えた。

 海の底から、市之瀬を連れてきてくれたのは、加島さんだった。

 彼女の手は、海の底まで届いたのだ。




 ホテルにもどり、ベッドの上に仰向けになって、目を閉じた。

 後悔が、どうしようもない苛立ちを伴って襲ってきた。



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