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16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
番外編 キャッチボール
70/88

 * * *



 俺たちのクラスの和装カフェは、なかなかの盛況ぶりだった。


「有村さんと市之瀬さんのおかげです」


 いつも辛口の国枝に、めずらしくほめられた。

 雛高祭の当日、俺と郁は急遽宣伝係に任命されたのだが、手厳しい学級委員長をも納得させるほどの活躍だったのだ。

 正直、初めは雛高祭なんてどうでもよかった。

 地区予選に負けてから、何もやる気が起こらなかった。

 そりゃあ、俺だって富坂だって本気で甲子園に行けるとは思っていなかったけど、甲子園を目指すということそれ自体が終わるということを、試合が終わって初めて実感した。


 それでも、嫌々ながらも毎日放課後に残って、雛高祭の準備を進めているうちに、少しずついつもの調子がもどってきた。

 それに、ちょっとうれしいこともあった。

 郁のやつが加島と一緒にポスターを作ることになって、なんとなく、ふたりはいい感じになっているように見えたのだ。


 五月の体育祭の後あたりから、少しずつ、郁の彼女に対する態度が変わってきた。以前のように無視したり、わざと冷たい態度をとったりするようなことをしなくなった。

 雛高祭の準備をしているときのふたりは、本当に楽しそうで、端から見ていても仲が良さそうに見えた。ふたりとも自然な感じで笑っていた。

 郁を笑わせるなんて、加島ってすごい。どんな魔法を使ったんだ?


 だが、雛高祭の後、急にふたりはよそよそしくなった。郁は何か悩んでいるみたいだし、加島は元気がない。

 あのふたりは、いったいいつになったら気持ちを打ち明けるつもりなんだろう。

 雛高祭が終われば、待っているものはもう何もない。後は受験にまっしぐら。

 高校生活は、どんどん残り少なくなっていく。


「なあ、松川が四組の島津と付き合ってるっていうのは本当か?」


 昼休みにぼうっと窓の外を眺めていると、いつも学級委員長の国枝にあごで使われている──そしてそれをさほど嫌がっているとも思えない──副委員長の玉利がやってきて、小声で聞いた。


「あれ。なんで知ってんだ?」

「やっぱ本当なのか?」

「え。あー、いや、俺からはなんとも……」


 松川に絶対しゃべらないと言った手前、俺の口から話すわけにもいかず。でも、ちゃっかりバレちまってるぞ、おい。


「へえー、やっぱりそうなんだ。ちょっと意外だなー」

「だよなあ。松川って、彼女ってタイプじゃないもんな、全然。小学生みたいで」


 俺が同意を示そうとして笑いながら言うと、玉利は信じられないというような目で俺を見た。


「おまえ、知らねえの? 松川のこと狙ってたやつ、けっこういたんだぞ」

「は?」


 俺は、玉利が冗談を言っているのかと思った。が、やつはやっぱり呆れ顔で俺を見ている。


「たぶん、みんな、松川はおまえとくっつくと思ってたと思うぞ」

「はあっ!?」


 天地がひっくり返りそうな衝撃的発言に、俺は力いっぱいの否定をこめて叫ぶ。玉利は冷めた目で俺を睨んで、「これだもんなあ」と言った。


「松川って話しやすいし、面白いしさ。付き合ったら楽しそうじゃん。おまけにかわいいし、言うことなし?」


 ちょっと待て。

 松川はチビで、痩せていて、真っ黒で、どこから見ても小学生の男の子みたいで……。

 いや、もうチビじゃないか。あいつ、最近ちょっと身長伸びたもんな。

 それに、もう痩せてもいない。

 真っ黒でもない。

 あれ?

 あいつ、けっこう女の子になってる? いつのまに?

 いや、でも。

 それにしても。それにしても、だ。


「かわいい……か?」


 戸惑い気味に言ったとたん、玉利が俺の額を指で思いきり弾いた。


「いてっ」

「おまえ、もう一回視力検査受けたら?」




 放課後になって帰ろうとすると、雨が降り出していた。

 昇降口の軒先でしばらく考えた末に、バス停まで走ろうと決心を固めたとき、ぽんと軽いてのひらの感触が背中に伝わった。

 ふり返ると、松川が立っていた。右手に、青い折りたたみ傘を持っている。


「あ」


 まずい。玉利のよけいなひとことのせいで、変に意識してしまう。


「もしかして、傘持ってないとか?」


 松川は得意げなほほえみを浮かべて、そう言った。俺の顔をのぞきこむようにして見上げる目が、いたずらっぽい光を含んでいる。

 思わずどきっとした。

 こいつ、前からこんなに白い肌をしていたっけ?

 なんとなく気まずくなって、目をそらす。

 まあ、たしかに、かわいいと言えば、そう言えなくもない……かもしれない。

 俺は横を向いて、「るさいな」とつぶやいた。


「なんならこれ、貸してあげようか?」

「え? でも」

「青だから使えるでしょ。はい」


 俺の手に折りたたみ傘を押しつける。かすかにふれた松川の手が、驚くほどやわらかくて、うろたえてしまう。

 松川は俺に傘を渡すと、勢いよく雨の中に走り出した。


「おい、ちょっと……」


 だけど、俺はその先の言葉を飲みこんでしまう。

 松川が走っていった先に、島津が立っていたからだ。

 うれしそうに笑って、松川は島津のさす傘の中に入った。ひとつ傘の下、連れだって校門のほうへ歩いていくふたりの後ろ姿を眺めながら、俺は呆然と立ちつくすしかない。

 なんだよ。俺に口止めしたくせに、堂々と見せつけてんじゃねーか。

 無性に腹が立って、イライラした。

 手の中に残された青い傘は、ほんの少し色あせていた。




 次の日、松川に借りた傘を返そうとして、異常に緊張している自分に気づいた。

 なぜ松川に対して緊張するのかわからない。

 今まで、俺は松川にだけは気を遣うことなく、遠慮せずに話せていたのに。ほんの一日前までは。


 朝、松川は登校してくるとすぐに教室を出ていった。島津に会いに行ったのかもしれない。授業の合間の休み時間も、昼休みも、松川はすぐに教室からいなくなる。

 声をかけるタイミングが計れなくて、もたもたしているうちに、放課後になってしまった。ホームルームが終わる頃には、島津が教室まで迎えに来ていて、松川は島津と一緒に帰っていった。

 俺は、返しそびれた傘を松川の机の中に入れて、教室を出た。


 今日は、一度も松川と目が合わなかったし、一度も言葉を交わさなかった。部活をしていた頃だったら、そんなことはまずありえない。教室で話す機会がなかったとしても、グラウンドでは必ず話していたと思う。

 でもそれは、俺が松川に話しかけていたからだよな。

 よく考えてみれば、俺は最初から松川に嫌われていたんだった。俺が無理やり話しかけていたから、あいつはしかたなく俺と話していただけだったのかもしれない。

 話しやすいと思っていたのは、俺ひとりだったのかもしれない。


 なんだかもう、何もかも、わかっていると思っていたことまで全部、わからなくなってしまった。

 今日一日、松川を見ていて思った。

 あいつはもう、男みたいでも小学生みたいでもない。

 どこから見ても、高校生の女の子だった。

 そのことに気づいたとたん、今までに感じたことのない感覚を覚えた。熱い塊が体の底のほうに生じて、わけのわからない焦りを感じる。


 島津と一緒にいるときの松川を見るたび、その得体のしれない感覚がどんどん重さを増していく。松川が“女の子”で、島津の“彼女”だと認識するたびに、焼けつくような苛立ちを覚える。そしてどういうわけか、俺はあのふたりを見たくないと思ってしまうのだ。

 島津とのことを応援すると松川に言った言葉は、本心からだった。

 あのときは、本当にそう思っていた。

 でも、今は違う。

 応援したいとは思っているけれど、たぶん、もうできない。


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