表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
第15章 もっとたくさん
64/88


 昨日の騒ぎが嘘のように、クスノキのまわりは静まりかえっていた。


「あ、ほんとだ。いい匂いがする」


 地面に落ちていた、まだ青いクスノキの葉を拾って半分に折り、加島が鼻を近づける。


「なんだろ、この匂い。ハーブに似てる……?」

「樟脳だよ、防虫剤の。ナフタレンやピレスロイド系の防虫剤が出る前は、クスノキから作った樟脳が使われてたんだ。だから、クスノキは『薬の木』が語源だという説もある」


 澪入山の木々の多くは、まだ新芽を開いていない。寒々とした枝ばかりが目立つ林の中にあって、常緑樹のクスノキは冬でも変わらず緑の葉を茂らせている。

 CMと広告の撮影は無事に終わり、撮影隊は昨日のうちに東京に帰った。俺と加島は、帰りを一日延ばすことにした。地元なので実家に泊まればいいわけだし、今日は日曜なので急いで帰る必要もない。


「うるさかっただろうねー、急にあんな大勢の人が押しかけて」


 俺の隣で、加島がクスノキを見上げてなんのためらいもなく言ったので、つい笑ってしまった。

 加島がふしぎそうな顔をする。


「私、何かおかしなこと言った?」

「いや、別に」


 加島にとっては、あたりまえなんだろうな。クスノキに意思があるということが。


「市之瀬くんてさあ」


 少し拗ねたような口調で、加島が文句を言う。


「私のこと、子供だと思ってない?」

「思ってないよ」


 笑いながらそう言っても、加島は俺に疑惑の目を向けるだけで、ますます不満そうな顔をする。俺は加島の顔に手を伸ばし、身を屈めて唇を重ねた。

 加島の手が、すがりつくように俺の服の腕のあたりを握りしめる。

 クスノキが揺れて、風が空を渡っていく音がする。


「もう行かないと。新幹線の時間に間に合わなくなる」


 まだぼんやりしている加島の手をとって、俺は帰り道を歩き出した。

 ふいに呼ばれた気がして、クスノキが見えなくなる手前で足を止め、ふり返った。

 聞こえてくるのは、世界を包むような葉擦れの音だけだった。

 十六年なんて、ほんの一瞬──。

 今なら、彼らもそう思っているかもしれない。

 俺は加島の手を握り、その場所を後にした。




 澪入山を下りて、雛条神社の境内を出る。


「今回の企画で思ったんだけど」


 鳥居を抜けて雛条駅に向かう道を並んで歩きながら、俺は言った。


「全国には、もっと古い木がたくさんあるんだよな」

「屋久島の縄文杉とか?」

「ほかにもいろいろ。時間があったら訪ねてみたいと思ってんだけど」

「巨木をめぐる旅? いいな、私も行きたい」


 加島が顔を輝かせて俺を見る。完全に俺の趣味なのでひとりで行くつもりでいたのだが、うれしい誤算だ。もちろん断る気はさらさらない。


「じゃあ一緒に行く? どこに行きたい?」

「そうだなあ。えーっと」


 しばらく考えて、何か思いついたように顔を上げた。


「鹿児島に行きたい」


 加島がうれしそうな顔をする。

 鹿児島には、全樹種を通じて日本最大と言われる蒲生のクスがある。樹齢千五百年。


「修学旅行のとき、本当はその木が見たかったんだ。でも遠くて行けそうになかったから」

「ああ、そうだった。たしかあのとき、加島が迷子になって」

「なってないよっ」

「そうだっけ?」


 笑っている俺を、加島がふくれ面で睨む。

 知らない場所で、ふたりきりで過ごしたわずかな時間を思い出す。あのとき、俺はどうやっても消すことのできない自分の本心に気づいた。

 あれから長い時間がたって、やっと、俺はここにいる。加島のそばにいることが、あのときからずっと、俺の願いだった。


「そうだな。ふたりで見に行こう」


 つないでいた手を強く握ると、加島がそっと握り返してきた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ