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16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
第15章 もっとたくさん
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 市之瀬くんが真剣に見つめている場所には、見たところ特別なものは何もなくて、ただ目立たない地味な草がこんもりと生えているだけだった。


「道、迷わなかった?」


 市之瀬くんがさりげなく話題を変えたので、そのことは話したくないんだな、と察した。私もそれ以上聞かないことにして、「うん」と答える。


「途中に、新しい案内板がたくさん立ってたから」

「あー、あれな。つい最近立てたんだって、汐崎が言ってた」


 麓の雛条神社から登ってきたので、ほんの少し汗をかいた。それでも山の中にいるとふれる空気が冷たくて、すぐに体が冷える。


 今朝は早起きして、東京から始発の新幹線に乗った。

 山登りをすることがわかっていたから、ジャケットの下はトレーナーとジーンズ、それに小ぶりのリュック。

 市之瀬くんも、今日はスーツを着ていない。シャツの上にセーターを重ねて、ジーンズにスニーカーを履いている。

 デートのときに何度も見ているけど、ラフな格好も似合うなあとつくづく思う。


 見れば、ほかのスタッフもみんな似たような服装だ。市之瀬くんたち撮影隊は前日から現地入りしていて、撮影は早朝から行われている。

 邪魔にならないように、さりげなく端のほうに移動して、たくさんのスタッフと機材に囲まれたクスノキを見上げる。


「変わってないね」


 そう言うと、市之瀬くんが小さく笑った。


「まあ、そうだろうな」


 クスノキの前には、テレビで見たことのある若い女の子が白いノースリーブのワンピースを着て立っていた。

 見るからに寒そうで、気の毒に思ったけれど、彼女は毅然とした態度で──ちょっと生意気そうな表情で、撮影に臨んでいた。

 たぶん、まだ十代。高校生くらいだ。


「ねえ、あの道、今はどうなってるの?」


 声をひそめると、聞き取りにくかったのか、市之瀬くんがほんの少し私の方に身をかがめた。でも、すぐに学校の裏庭に通じる道だと気づいたようだった。


「道はまだ残ってるけど、近いうちに閉鎖するってさ。これもさっき汐崎に聞いたんだけど」

「……そっか」


 しょうがないけれど、少し淋しい。

 思い出が、ひとつずつ消えていく感じがして。


「あれっ。加島さん、いつ来たの?」


 テンションの高い声にふり返ると、汐崎くんが満面の笑みでこちらにかけよってくるところだった。


「たった今、着いたところ。順調そうだね」

「おかげさまで」


 そう言いながら、汐崎くんは私と市之瀬くんを交互に見た。無意識に、市之瀬くんに寄りそって立っていることに気づき、私は急いで離れる。


「ふたりって……もしかして、付き合ってる?」


 汐崎くんの問いかけに、市之瀬くんのほうが先に答えた。


「ああ」


 私は躊躇してしまったのに、市之瀬くんは一瞬もためらわなかった。

 それを聞いた汐崎くんが、ほんのわずかに肩を落とした気がした。


「そうか……やっぱりなあ」


 そう言って、苦笑いを浮かべる。立ち去るときも、気のせいか足取りが重そうに見えた。


「なんか、急に元気がなくなった感じがしない? 汐崎くん」


 私がつぶやくと、市之瀬くんは呆れたような困ったような顔で私を見た。


「え? 何?」

「いや、なんでも」


 さっと目をそらす。


「加島は知らなくていい」


 つっけんどんにそう言い残して、その場を離れる。

 何よ、もう。

 市之瀬くんの態度にもやもやしていると、亜衣が笑いながら近づいてきた。


「相変わらずだねえ、市之瀬は」


 からかうように言う。


「笑いごとじゃないよ。市之瀬くんて、ときどき私のこと子供扱いするんだよね」

「子供扱い……かなあ。ちょっと違うような気もするけど」

「えっ。じゃあ何?」

「さあねえ」


 亜衣までも、奥歯にものが挟まったような言い方をする。

 私はむくれて、その場にしゃがみこんだ。


「私、最近すごく思うんだけど……初恋の人と付き合うって、けっこう……大変だね」


 足もとに落ちている枯れ葉を拾いながら、つぶやく。


「大変って、何が?」


 亜衣がやれやれと言わんばかりに、隣にしゃがみこむ。


「ひとりで思ってた時間が長すぎたのかな……。いろいろなことを、我慢してしまう癖がついてしまっていて。でも我慢するのをやめたら、とんでもないことになりそうで。どこまで気持ちを解放していいのか、わからない」


 しばらく黙っていた亜衣が、感心したように「へえ~」と言った。


「何、その『へえ~』って」

「ずいぶん正直に言うようになったなあ、と思って」


 そろえた膝の上で両腕を組んで、顔を傾けるようにして私を見る。うれしそうに笑っている亜衣を見て、私はうろたえた。


「そ、そうかも。ちょっと、心のねじが外れてるかもしれない」

「そのくらいで、ちょうどいいんじゃない? 紗月も市之瀬も、異常にわかりにくいから」

「そう……?」


 亜衣は膝に手を置いて、よいしょと立ち上がる。


「ま、なんにしても、市之瀬にまかせとけばいいよ。どうせ紗月が初心者で経験ないことなんて、計算済みだろうし」

「う……」


 いちいち地雷を踏まないでほしい。

 私が立ち上がると、亜衣がのぞきこむように私の顔を見て、これ以上ないほどの笑顔を向けた。


「よかったね。思いが叶って」


 市之瀬くんと付き合うことになったとき、真っ先に亜衣に報告した。そのときも、亜衣は本当に心から喜んでくれたけれど、今もその気持ちが伝わってくる。


「これからはさ、ふたりで楽しいこといーっぱい、しなよ。もう我慢しなくていいよ。欲張っていいんだよ。十六年も我慢したんだから」


 亜衣に言われて、はっとした。

 今までの思い出は消えても、これからはふたりで作っていける。もっと、鮮やかな思い出を。もっと、たくさん。そんな単純なことにも、私は気づけなかった。


「うん……そうだね」


 クスノキを見上げた。

 地上で騒いでいる私たちの小ささにほほえみかけるように、高い空に向かって広げた枝がかすかに揺れて、静かな、やさしいささやきが降ってきた。

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