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16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
第15章 もっとたくさん
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 三月某日。


 CMの撮影は、早朝から始まった。

 澪入山のクスノキの周辺には、かつて見たことのない人数の人が集まっている。全員、CM撮影の関係者……ではない。


「なんでおまえらがいるんだよ」


 スタッフに紛れて、堂々と撮影の様子を見学している健吾と松川が、開き直った態度でふり返る。


「見学の許可なら、汐崎くんに取ってあるよ」

「でかい図体して、細かいこと気にするなよ」


 ふたりして、あっけらかんと言い放つ。

 近くにいた汐崎に視線を移すと、「まあ、いいんじゃない?」と笑いながら適当なことを言う。汐崎は朝からずっと興奮気味で、誰彼かまわずスタッフをつかまえては、雛条の歴史を語りまくっている。


「それよりさあ」


 健吾がにやけた顔を向けて言った。ヤな予感。


「おまえ、俺に何か言うことないの?」

「ないよ」


 即座に言い捨てて、その場を離れる。健吾がしつこくついてくる。


「えー、あるだろ」

「ない」

「俺、けっこうがんばったのに」


 何をだ。


「加島さんが心変わりしないようにさ、ちょこちょこおまえの情報送ってたんだぞ。感謝の言葉とか、ないわけ?」

「……あのなあ」


 俺は足を止めて、ふり向いた。


「加島にだけ情報渡したって、俺が心変わりしたら意味ないだろ」


 すると、健吾はにたあっと笑って、勝ち誇ったように言った。


「おまえが心変わりしてないことは、なんとなくわかってたからさ。だって、彼女ができてもすぐ別れるし、いつも本気で付き合ってなかっただろ」


 この男は、自分のことだと超鈍感なくせに、どうして人のことになると鋭いんだ。


「で? 十六年もかけてようやく手に入れた大事な大事な彼女は、どこにいるわけ?」


 加島の姿を探して、あたりを見回す。

 加島は、今回の撮影隊には同行していない。会社からの許可がおりなかったとかで、自費で来ると言っていた。幸い今日は土曜日で仕事は休みだから、勝手に参加する分にはなんの問題もない。

 それにしても。


「おまえ……なんか上から目線だな」


 予想はしていたが、ムカつく。


「え? そりゃまー、俺のほうが背が高いし、自然と?」

「そういう意味じゃねえだろ。つーか、たった二センチだろ」

「いやーまったくだねえ、郁クン。キミの成長ぶりには感動してます、ホント」


 ふざけた口調でそう言うと、右のてのひらを膝のあたりで水平にかざして、にやにや笑う。


「初めて会った頃は、こーんなチビだったのにさぁ。今じゃすっかり大きくなって。立派な男に成長してくれて、俺はうれしい。見守った甲斐があったよ、うん」


 こいつ……やっぱ、ムカつく。


「松川に平手打ちされたときは、泣きそうな顔してたくせに」


 逆襲してやった。笑っていた健吾の顔から余裕が消える。


「そういう……古い話を持ち出すか、今さら」

「先に持ち出したのはそっちだろ」


 他人が聞いたら呆れるような、くだらない話を続けていると、ボブカットの童顔の女性がいきなり割りこんできた。


「きみ、本社の人だよね?」


 つんけんした口調で、俺を見て言う。


「そうですけど」

「西森は?」


 唐突に聞く。なんなんだと思いつつ、俺は少し離れたところにいる西森さんを指さす。彼女は企画部の男性社員と一緒に、緊張した面持ちで撮影を見守っていた。


「佐野くんが来てるんだ。矢神課長は?」


 やけに詳しいな。

「今回は来てません」と答えると、ボブカットの女性は無言で西森さんのほうへ歩いていく。

 西森さんは彼女に気づいた瞬間、緊張をほどいて明るい顔になった。普段はあまり見せない、無邪気な笑顔。

 やがて「いい人見つかった?」とか「バッカじゃないの」とか、ふたりのはしゃいだ声が聞こえてくる。

 そのうち、西森さんが俺を手招きした。


「関西支社の広報部の安田さん。以前は本社の企画部にいたの」


 そう言って、西森さんが無愛想なボブカットの女性を紹介した。彼女は「よろしく」とそっけなく言いながら、カバンの中からビデオカメラを取り出した。

「何それ?」と西森さんが聞くと、安田さんは忌々しそうに「記録用」と答える。


「関西支社の広報部はねぇ、記録を残すことだけに、ひたすら命をかけている部署なのよ」


 投げやりにそう言いつつも、真剣な顔で入念にカメラをセットしている。そのうち肩から提げているバッグが邪魔になったらしく、背後の草むらに置こうとした。


「あ、そこはダメです」


 思わず、言ってしまった。

 ふたりが、訝しげに俺を見る。


「その……そこにある草、ヒガンバナの葉です」

「えっ、ウソ」


 ヒガンバナと聞くと、安田さんは反射的に退いた。

 墓地で見かけることが多いヒガンバナは、全草有毒の植物としてもよく知られている。たいていの一般人にとっては、イメージの悪い花だ。


「ふーん。これ、ヒガンバナの葉なんだ。初めて見た」


 西森さんは、興味深そうに草むらをのぞきこんでいる。

 初めて見た、と言うのはたぶん正しくない。

 人が住んでいるところには必ずと言っていいほど生えている植物だから、一度くらいは目にしているはずだ。ただ、花に比べると葉は地味すぎて、見ていたとしても気づかなかっただけだ。


 しゃがんでよく見ると、そのあたり一面に群生していた。初めて見たときより、増えている。

 四十センチ前後の細長い葉は、本来はつやのある深緑色をしているが、時期が時期だけにもう黄緑色に変色していた。ひと月もすれば枯れるだろう。


「そこに何かあるの?」


 静かなやさしい声が降ってきた。

 ふり返ると、加島の笑顔があった。

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