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「で、どうして俺の勤め先を知ってたわけ?」
俺が聞くと、加島は一瞬まごついたように動きを止めた。
「え、えーと。その、有村くんから……聞きました」
なぜか語尾が弱くなり、しかも敬語になっている。
俺が視線で問い詰めると、あわてて言葉をつないだ。
「ち、ちがっ。実家に帰ったとき、いつも亜衣と会うから。たまに、有村くんと三人で会うこともあって。そのとき、有村くんが教えてくれて……別に、毎回市之瀬くんのことを聞き出してるわけじゃないから!」
何を焦っているのか、加島は一方的にまくしたてると、グラスに残っているピールを一気飲みした。
俺は興味がないふりをして、「あ、そう」とだけ言っておく。
あの野郎。俺には、加島の情報なんてひとつもよこさなかったくせに。
「市之瀬くんは、どうしてわかったの? 私がアトリエ颯にいること」
加島が赤い顔をして聞く。
「『レッツウォーター』のラベルデザインを見たときに、もしかしてって思って。雛高祭のときの、コースターの絵に似てたから」
「あ……そっか。そうだよね」
「企画部の矢神課長に名刺を見せてもらったら、やっぱり加島だった」
加島はきまり悪そうにうつむく。
「うちの仕事するの、今回が初めてだって聞いたけど」
「うん、やっと」
そう言って、本当にうれしそうに笑った。
加島は俺より二年先に就職しているから、アトリエ颯で仕事を始めて三年目になるはずだ。
最初に見たとき、コースターの絵に似ているとは思ったけれど、完成度はまったく比べものにならない。
あの頃、苦手だから使わないと言っていたソフトを使いこなすだけでも、相当時間がかかっただろうし、勉強もしたんだろうと思う。
「あれがクスノキじゃなかったら、わからなかったかもな」
そう言うと、加島は恥ずかしそうな表情になった。
「すぐにわかった?」
「そりゃまあ。だっておまえ、美術室に展示した絵もクスノキだっただろ」
「えっ!?」
加島が驚いた声を出し、身を乗り出す。
「市之瀬くん、見たの? 雛高祭のとき、美術室に展示してた私の絵──見たの?」
なんだ? そこまで驚かれる理由がわからない。
「そりゃ見るよ。加島が描いた絵だし。何? 俺が見たら問題あるわけ?」
「そ、そうじゃないけど。まさか、見てもらえると思ってなかったから」
「は? 俺だって、絵を見るくらいはできるんだけど」
「そういう意味じゃなくて……」
乗り出していた体をイスの背もたれにもどして、加島は放心したように「知らなかった……」と、力なくつぶやく。
なんだかよくわからない。
「まあ、見たところで、俺には絵のことなんてわからないけど。でも、きれいな色だったことは覚えてる」
一応感想を伝えると、加島はますます顔を赤くしてうつむき、小さな声で「……ありがとう」と言った。
「そう言えば、『レッツウォーター』の発売に合わせてイベントやるらしいんだけど。聞いた?」
話題を変えると、ほっとしたように加島が顔を上げる。
「イベント?」
「雛条のクスノキを見に行くツアー」
加島が目を見開く。
「それ、知らない。聞いてない」
「今日決まったって言ってたからなー。汐崎に話したら、CMもツアーも大歓迎だって」
「あ、もう連絡したんだ? 汐崎くん、喜んでた?」
「かなり。近いうちに、現地を整備しておくとか言ってたな」
「そっか……。なんかちょっと、複雑かも」
加島が、俺が思っていることと同じことを言った。
「観光地化されたら……もう、秘密の場所じゃなくなるね」
そうなんだよな。
クスノキが有名になって、雛条の知名度が上がることは、たぶんいいことなんだろうけれど。
どこかで淋しく思っている。
地元の人間でもめったに足を運ばないあの静かな場所に、特別な思いを持っている人間としては。
「CMの撮影って、市之瀬くんも行くの?」
「まだわからないけど、できれば同行したいと思ってる」
もらえるものは、全部もらっておく。今のうちに。
「開発って、そういう仕事もするんだね」
「あー、うちの課は企画よりで、純粋な中身の開発とか研究は別の部署の管轄なんだよ。俺はできれば中身のほうに関わりたくて、研究所を希望してるんだけど……さすがにハードルが高くて。今は本社で修行中」
加島は真剣な顔で俺の話を聞いている。
「……あの、前から聞きたいと思ってたんだけど」
切り出す前に、加島が躊躇したのがわかった。
「進路、どうして農学部だったの?」
また、ためらう。
「何か、きっかけとか……あったの?」
どう答えるべきか迷う。
きっかけ、と言えるんだろうか、あれ。
このことは誰にも話していない。健吾も知らない。
と言うか、恥ずかしすぎて話せない。
もちろん、加島にも。
「いや別に。なんとなく」
そう答えておいた。あながち嘘でもないし。
「私も行きたいなあ……。卒業してから、ずっとあの場所に行ってないから」
思い出すように遠い目をして、加島が言う。
「市之瀬くんは、卒業してから、行ったことあるの?」
俺は「まあ、何度か」と適当に答える。本当は、帰省したときは必ず足を運んでいるのだが。
店員がラストオーダーを聞きにきた。いつのまにそんな時間になっていたんだろうと焦る。
「加島、終電。大丈夫?」
俺とは帰る方向が逆なので、同じ電車には乗れない。
加島は店の壁に掛かっている時計を見ながら、「まだ少し、大丈夫」と言う。
全然、話したりない。
聞きたいことがたくさんあるし、話したいことが山ほどある。
なんせ、積もり積もって十六年分だ。
とても、一日では足りない。




