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運動会の紅白対抗リレーに出場する選手は、各クラスから男女ふたりずつ、五十メートル走のタイムがよかった子が選ばれる。
女の子は、私とりっちゃんが選ばれた。
雛条西小学校三年の、秋。
「がんばろうね、紗月ちゃん!」
りっちゃんは二年連続で選手になれたことが本当にうれしそうで、誰よりもはりきっていたけれど、私は「リレーの選手なんて、嫌だなあ」と思っていた。
男の子は、やっぱり市之瀬くんが選ばれた。一年のときも二年のときも、市之瀬くんはリレーの選手に選ばれていたらしくて、いかにも余裕そうだった。
市之瀬くんは、何をやっても上手にできる。運動だけじゃなくて、勉強もできる。
だけど、一番になってもなぜかうれしそうな顔をしない。りっちゃんは、市之瀬くんのそういうところが嫌いなんだそうだ。
リレーの選手に選ばれると、毎日練習しなければいけない。昼休みと放課後に集まって、バトンの受け渡しやスタートのタイミングを練習する。
私たちが出場するのは低学年の部なので、一年生から順番にバトンが渡って、最後にアンカーの市之瀬くんがゴールすることになっていた。
私が走るのは、最後から二番め。アンカーの市之瀬くんに、バトンを渡す役目だった。
バトンの受け渡しは、なかなかうまくいかなかった。
私はしょっちゅうバトンを落としたり、渡せなかったりした。みんな練習するにつれどんどんうまくなっていくのに、私だけいつまでたっても上手にできない。
「アンカーは市之瀬だし、バトンさえうまく渡せたら一位なんじゃない?」
りっちゃんが言った。私と市之瀬くんは白組で、りっちゃんは紅組。コースは隣どうし。
「でも、今回は私が勝っちゃうかもねー」
りっちゃんが闘志を燃やせば燃やすほど、私は落ちこんでしまう。
私は誰が勝ってもよかった。だけど、白組のみんなにがっかりされるのは嫌だった。私のせいで、市之瀬くんが負けるのは嫌だ。
市之瀬くんは、最初のうちはだるそうで、練習に参加しても適当にやっていたのに、そのうち私のバトンパスの練習に付き合ってくれるようになった。昼休みも放課後も、ふたりで、何度もバトンパスの練習をした。
練習中、市之瀬くんはほとんどしゃべらなくて、最初は、私があんまり下手だから怒っているのかと思った。でも、一緒にいるうちに、だんだんそうじゃないことがわかってきて。
市之瀬くんは、私がうまくできなくても、怒ったり責めたりしない。
アドバイスをしてくれるわけでもなく、励ましてくれるわけでもない。だけど、最後まで私を見放さなかった。ただひたすら、練習に付き合ってくれた。文句も言わずに。
くり返し練習を重ねるうちに、いつのまにか、私は市之瀬くんにうまくバトンを渡せるようになっていた。でもそれは、私が上達したと言うより、市之瀬くんが完璧だったんだと思う。私がバトンを渡しやすいように、工夫してくれていたんだと思う。
運動会当日、私は不安でたまらなかった。
市之瀬くんにはうまくバトンを渡せるようになったけれど、自分がバトンを受け取るのはまだうまくできなくて、バトンを気にしすぎると足が止まってしまう。
失敗したらどうしよう。きっと失敗する。みんなが見ている前で。
私は朝からずっとリレーのことで頭がいっぱいだった。考えれば考えるほど、うまくいきそうにない。
「徒競走では負けたけど、リレーでは負けないからね」
りっちゃんは勝つ気満々でそんなことを言うし、本番が近づくとますます緊張して、私は泣きそうになった。こんなことなら、リレーの選手になんかなるんじゃなかった。
「加島」
本番直前、出番を待っているとき。緊張してガチガチになっている私に、市之瀬くんが言った。
「大丈夫だから。いつも通りでいこう」
まったく緊張している様子もなく、平然とそんなことを言う市之瀬くんは、とても頼もしく見えた。
秋の色に染まり始めた澪入山の上を、ヘリコプターが飛んでいく。
頭の上に広がっている空は、遠くまで晴れている。いつも見ている空と同じ。
鳥が空を渡っていく。
耳もとで風が通る音がする。
乾いた土と木の匂いに混じって、どこかでひそかに咲いているキンモクセイの匂いがする。
私のまわりにあるものは、なにも変わらない。いつも通り。
いつのまにか私の心は落ち着いて、静かにトラックに向かっていた。
出場する同じ学年の男の子たちの中に混ざると、市之瀬くんは、ひときわ小さく見える。でも、私は市之瀬くんの言葉に安心した。
私がバトンを手渡す相手が市之瀬くんでよかった、と心から思った。
本番、私はミスすることなくバトンをつないだ。私からバトンを受け取った市之瀬くんは、ぶっちぎりの速さで、一位でゴールした。




