表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
第14章 これから話そう
58/88

 会社にもどると、斜め前の席は無人だった。

 あれから優に一時間以上は経っているが、西森さんがもどってきていないところを見ると、まだ広告の打ち合わせが終わっていないらしい。


「ずいぶん長かったなあ、颯さんとの打ち合わせ」


 隣の席の同僚が、気の毒そうな顔を向ける。

 俺は適当に相づちを打ってごまかした。申し訳ないが、そういうことにしておこう。


 仕事を再開しようとするのに、心が騒いで集中できない。

 公園の前で加島と別れたのは、ほんの十分前のことだ。

 それなのに、会社にもどるとたちまち現実感が失われて、夢を見ていたのではないかという気分になった。


「どうや、うまくいきそうか?」


 上の空でメールチェックをしていると、いきなり声をかけられた。


「……は?」


 ふり向くと本間課長だった。一瞬、質問の意味を取り違えそうになって焦る。


「あ……はい。ラベルデザインの件、ですよね」


 あわててとりなすと、本間課長が不審な表情で俺を見る。


「おまえがぼんやりするなんて、めずらしいなあ」


 すみませんと謝りつつ、今日だけは見逃してくださいと心の中でつぶやく。

 なんせ、十六年越しの片想いが、ようやく報われたのだから。


「ちゃんとついていけてるか? 西森さんに」


 心配してというよりも、半ば冷やかすような口調で聞かれる。

 返答に困った。

 はっきり言って、まったくついていけていない。手伝うと言っても彼女はたいてい自分でこなしてしまうので、大したことはしていない。

 俺が答えに窮するのを見て、本間課長は「まあ、そうやろなあ」と豪快に笑った。


「あー、ええねん、ええねん。ちゃんとやれっていう意味で言ったんとちゃうから」


 じゃあどういう意味なんだと思いつつ目を向けると、本間課長のやわらかいまなざしとぶつかった。


「西森さんは、ほんまにうちの製品が好きで、そんで企画の仕事が好きやねん。そやから、アホみたいにいろいろ首を突っこみたがる。いらんことまでする」


 話の流れが見えない。とにかく最後まで黙って聞くことにした。


「そういう人と一緒に仕事をしてると、嫌でも巻きこまれるねん」


 確かに、完全に巻きこまれている。


「そやからな、今のうちに、貪欲に吸収せえよって言うてんねん。おまえはいずれ研究所に行くんやろ。そのために今ここにおるんやろ。もらえるもんは、何でももらっとけ」


 がつんと一発殴られたような気がした。

 そういうことだったのか、と目から鱗が落ちた。

 手伝えと言ったのは、西森さんのためじゃなく、俺のため。


「あー、やっと終わった」


 タイミングを見計らったかのように、西森さんが資料を抱えてもどってきた。


「えらい時間かかってたなあ」


 本間課長が声をかけると、西森さんは資料をどさっとデスクの上に置いて「そうなんですよ」と笑いながら困った顔をする。


「イベントの話で盛り上がっちゃったんです」

「イベント?」

「雛条のクスノキを見に行く体験ツアーです」


 西森さんはこともなげに答える。「えっ」という俺の心の叫びを、本間課長が代わりに声に出して言う。


「いつのまに?」

「ついさっき決まったんです」

「ツアーって、東京から行くんか?」

「いえ、関西支社からバスで」

「それ……関西支社の連中は知ってんの?」


 心配そうに尋ねる本間課長に、西森さんは余裕の笑みを返す。


「これから相談します。とりあえず広報の安田さんに頼もうかと」

「ああ、安田さんか。じゃあ……大丈夫かなあ」


 何が大丈夫なんだろう。そして、知らないうちにどんどん話が大きくなっているように思うのは、気のせいだろうか。


「あんまり独断専行で決めると、『また本社だけで勝手に決めて』って言われるで」


 そう言われて初めて気づいたように、西森さんの表情がわずかに翳った。


「そうですよね……すみません」

「いやまあ、しょうがないことなんやけど。こっちが先行して動いてる以上、どうしたって事後承諾になるもんな。けど、支社の連中がそう言いたくなる気持ちも、ちょっとわかるねん」

「課長も、関西支社にいた頃は、そう思ってたんですか?」


 そう聞いた後で、西森さんは失言だと思ったのか「すみません」と謝る。


「いや別に。俺は営業やったから、イベントにしろ企画にしろ、どこの誰が考えたかなんて最初から関係なかったし、出来上がったもんにイチャモンつけても始まらんしな。でも、売ってる身にもなってほしいなあと思ったことはある」

「……もしかして、それで、自分が作ろうと思ったんですか?」

「え? あー、うん。まあ……そうかなあ」


 本間課長は急に照れたように言葉を濁した。


「改めて言われると……なんか、むちゃくちゃ偉そうやな、俺」


 と、会話の途中でいきなり西森さんが俺を見た。


「市之瀬くん、例の、市役所の友達に連絡ついた?」

「えっ? いえ、まだ……」


 そうだった。打ち合わせのとき、加島が連絡すると言うのを強引に引き取って、自分が連絡しておくと言ったのを思い出した。


「そっか。今日中に連絡つきそう?」


 時計を見る。もうすぐ五時になろうとしている。


「すぐに電話します」


 俺がそう答えるのと同時に、本間課長が「くくく」と笑いをかみ殺すのが聞こえた。見ると、こちらに向けた背中の肩のあたりが揺れている。

 俺のため、というのも嘘ではないのだろうけど、半分は俺を困らせて面白がっている……ような気がする。いや、絶対そうだろ。


 だけど。

 西森さんが本当にうちの製品が好きで、この仕事に一生懸命だということは、近くで見ていてわかった。それに負けず劣らず、たぶん、本間課長も。


 最初は誰かの小さな発見から始まったとしても、ひとつの製品が完成して世の中に出るまでには、たくさんの人の思いが交わる。さまざまな人の手で、思いもよらない遠くまで運ばれていく。

 そして、顔も知らない、会ったこともない、誰かの手に届く。植物の種が風や動物たちに運ばれて、どこか遠い場所で芽を出すように。


 悪くないなあと思う。そういうの。

 苦労してやっとここまで──加島と一緒に仕事ができるところまで、来たんだ。今、ここであきらめたら、また逆もどりだ。


 何でももらっておけるほどの器が、俺の中にあるかどうかは別にして。

 これからは、こっちからもらいにいく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ