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16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
第13章 会いたかった
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 何もかも同窓会のせいだ、と私は思った。


 市之瀬くんは相変わらず表情のない顔で、私を見ている。咎めるような言葉を口にしておいて、まるでどうでもいいというような顔だ。

 実際、どうでもいいのかもしれない。

 市之瀬くんにとっては、私を気にすること自体、単なる気まぐれなのかも。

 同窓会で再会して、なんとなく声をかけてみた、って感じで。


 でも、私は違う。

 やっと七年たった。

 あの卒業式から。

 どんな思いで私がこの七年を過ごしてきたかなんて、この人は知らない。




『初めての人なんだよ』


 ずっと、住友さんの言葉が頭から離れなかった。

 卒業式の後も、忘れようとすればするほど、住友さんの顔や姿が頭に浮かんで、何度も私を責めた。


 彼女の声がようやく遠ざかるようになったのは、卒業式から半年くらいたった頃だった。

 住友さんの言葉にあれほど傷ついて、あの日、自分から市之瀬くんに会うことを放棄したのに、それでも私は市之瀬くんのことが好きだった。

 会えない日々が続いて、新しい時間が積み重なって、楽しい思い出もそれなりに増えていったのに、好きという気持ちが、私から離れていかない。


『話したいことがある』


 あのとき、彼は何を言うつもりだったんだろうって、考えても無駄なのに、何度も何度も考えた。話を聞かずに帰ったことを後悔して、思い出すたびに苦しくなった。

 市之瀬くんとの思い出が──それこそ初めて会った小三のときから卒業式までの、十六年間の出来事が、ちょっとした日常生活の隙間を狙ってよみがえってくる。


 春には、桜の木の下で毛虫を見つけて、掃除の時間を思い出した。

 秋が来て、どこかでキンモクセイが咲くと、運動会のリレーを思い出した。

 夏の太陽を見るたびに、さよならも言えずに引っ越してしまったときのことを思い出した。

 公園に生えているクスノキを見かけると、秘密の場所を思い出した。

 記憶って、思い出すたびに上書き保存されるんだって、つくづく思い知った。


 ふとした瞬間、何かの拍子に思い出す、市之瀬くんと過ごした時間。そのたびに、思い出はいっそう鮮やかな記憶に変わって、私の心に新たに保存される。

 記憶が時間とともに色褪せるなんて、嘘だ。

 時間がたてばたつほど、燃えるようにきらめく。そんな記憶に苦しめられた。


 でも、大学を卒業して就職してからは、思い出すことが少しずつ減っていった。

 仕事を覚えるのに必死だったから。

 目の前にあるものを、毎日、ひとつひとつこなしていく。わからないことだらけで、うまくいかないことばかりだった。


 休みの日には、必死で勉強をした。休む暇もなくて、いつも時間に追われた。

 日常生活に、隙間がなくなっていた。

 それとも無意識に、そうなるようにしていたのかな。

 市之瀬くんのことを、だんだん思い出さなくなっていた。


 このまま、きっと、忘れる。

 忘れられるはずだったのに。




「同窓会なんか……行かなきゃよかった」


 思わずつぶやいてしまった私を、市之瀬くんは押し黙ったまま、冷めた目でじっと見ている。

 やっと忘れられそうだったのに。

 同窓会で鮮やかな色に塗り替えられてしまった記憶は、また、何年も私を苦しめる。

 どうしてこんなにあきらめが悪いんだろう。


「仕事あるから」


 私はわざと切り捨てるように言って、市之瀬くんに背を向けた。

 数歩もいかないうちに、市之瀬くんが追いついて、軽く私の腕を取った。


「まだ話は終わってない」


 私はその手を払いのけた。


「話すことなんか、何もないよ」


 とっさに出た言葉が、思っていたよりも鋭くて、驚いた。

 でも、止められなかった。


「市之瀬くんは、私が何も言わなかったって言うけど、私たち、昔からそういう仲じゃなかったよね?」


 こんなこと言いたくないのに、どうして。


「クラスメイトで、幼なじみで、友達だったかもしれないけど、何でも話すような、そんな仲じゃなかったよね? 卒業してから一度も会ってないし、連絡も取り合ったことないし。たぶん市之瀬くんは、この七年間、私のことを思い出したことなんて一度もないでしょ?」


 思いが言葉を押し出すように、あふれる。


「同窓会で偶然会ったからって、昔から親しかったみたいな態度とらないでよ。私の気も知らないで、今さら、携帯の番号なんて……気まぐれで聞かないで」


 ひきつったように震える声は、自分の声じゃないみたいだった。

 市之瀬くんの顔を見ることができなくて、私は目を伏せた。下を向くと、浮かんできた涙が落ちそうになり、あわてて横を向く。


「俺が、気まぐれで聞いたと思ってんの?」


 市之瀬くんの声がわずかに沈んで、低くなった。


「加島は何もわかってない」


 わかってないのはそっちでしょ……?

 こんなふうに私が取り乱しても、市之瀬くんは、ちっともうろたえるそぶりを見せない。いつもと同じで、無表情で、平然としている。


「もういい。やめる」


 私は、市之瀬くんから目をそらして言った。


「何を」

「友達とか幼なじみとか、そういうの。市之瀬くんだって、めんどくさいって思ったでしょ? だからやめる。これからは、仕事の相手だって思うことにする。市之瀬くんもそうして。それで──」


 いいでしょ、と言おうとしたのに、言えなかった。

 市之瀬くんが私の腕をつかんで、引きよせた。

 唇がふれあった。

 ほんの一瞬。かすめるように。


「これで、友達でも幼なじみでもなくなった」


 すぐそばで、市之瀬くんの押さえた低い声がする。

 私は何が起きたのか理解できなくて、目の前にある市之瀬くんの顔を見つめたまま、動けなかった。

 市之瀬くんは、何も言わない私を見て、初めて困ったように顔を歪めた。


「偶然じゃないから」


 つかんでいた私の腕をそっと離す。


「同窓会に出たのは、加島に会いたかったからだよ」


 たじろぐほど真剣な目で見つめられて、頭よりも体のほうが先に反応した。胸の奥が、一瞬で熱くなる。

 何だろ、これ。夢?


「ずっと会いたかった。会って話がしたかった。けど、卒業式の日のことがあったから……。ふられたと思うだろ、普通」


 ふってないよ!

 声にならずに、心の中だけで叫ぶ。

 公園の中を吹き渡る風は冷たいのに、頬が熱い。


「……彼女」


 しぼりだした声は、涙声になっていた。


「え?」

「彼女……いるって……」

「誰が? 俺?」


 うなずくと、市之瀬くんは真顔で「いないけど」とはっきり言った。

 そうだ。

 いつも興味なさげで、冷淡で、どうでもいいようなそぶりを見せるくせに、いいかげんなことはしない人だった。

 他人の思いに敏感で、絶対に裏切ることができない人だった。

 どうして、忘れていたんだろう。

 まぶたの縁で止めていた涙は、いつのまにかこぼれ落ちていた。


「加島が好きだ」


 市之瀬くんが言った。

 うれしいはずなのに、胸が苦しくて、痛くて、こみあげてくる涙をこらえることができない。

 忘れられなかった、十六年間の記憶の数々。

 きっとまた、これからも、ずっと。


「私も、市之瀬くんが好き」

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