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何もかも同窓会のせいだ、と私は思った。
市之瀬くんは相変わらず表情のない顔で、私を見ている。咎めるような言葉を口にしておいて、まるでどうでもいいというような顔だ。
実際、どうでもいいのかもしれない。
市之瀬くんにとっては、私を気にすること自体、単なる気まぐれなのかも。
同窓会で再会して、なんとなく声をかけてみた、って感じで。
でも、私は違う。
やっと七年たった。
あの卒業式から。
どんな思いで私がこの七年を過ごしてきたかなんて、この人は知らない。
『初めての人なんだよ』
ずっと、住友さんの言葉が頭から離れなかった。
卒業式の後も、忘れようとすればするほど、住友さんの顔や姿が頭に浮かんで、何度も私を責めた。
彼女の声がようやく遠ざかるようになったのは、卒業式から半年くらいたった頃だった。
住友さんの言葉にあれほど傷ついて、あの日、自分から市之瀬くんに会うことを放棄したのに、それでも私は市之瀬くんのことが好きだった。
会えない日々が続いて、新しい時間が積み重なって、楽しい思い出もそれなりに増えていったのに、好きという気持ちが、私から離れていかない。
『話したいことがある』
あのとき、彼は何を言うつもりだったんだろうって、考えても無駄なのに、何度も何度も考えた。話を聞かずに帰ったことを後悔して、思い出すたびに苦しくなった。
市之瀬くんとの思い出が──それこそ初めて会った小三のときから卒業式までの、十六年間の出来事が、ちょっとした日常生活の隙間を狙ってよみがえってくる。
春には、桜の木の下で毛虫を見つけて、掃除の時間を思い出した。
秋が来て、どこかでキンモクセイが咲くと、運動会のリレーを思い出した。
夏の太陽を見るたびに、さよならも言えずに引っ越してしまったときのことを思い出した。
公園に生えているクスノキを見かけると、秘密の場所を思い出した。
記憶って、思い出すたびに上書き保存されるんだって、つくづく思い知った。
ふとした瞬間、何かの拍子に思い出す、市之瀬くんと過ごした時間。そのたびに、思い出はいっそう鮮やかな記憶に変わって、私の心に新たに保存される。
記憶が時間とともに色褪せるなんて、嘘だ。
時間がたてばたつほど、燃えるようにきらめく。そんな記憶に苦しめられた。
でも、大学を卒業して就職してからは、思い出すことが少しずつ減っていった。
仕事を覚えるのに必死だったから。
目の前にあるものを、毎日、ひとつひとつこなしていく。わからないことだらけで、うまくいかないことばかりだった。
休みの日には、必死で勉強をした。休む暇もなくて、いつも時間に追われた。
日常生活に、隙間がなくなっていた。
それとも無意識に、そうなるようにしていたのかな。
市之瀬くんのことを、だんだん思い出さなくなっていた。
このまま、きっと、忘れる。
忘れられるはずだったのに。
「同窓会なんか……行かなきゃよかった」
思わずつぶやいてしまった私を、市之瀬くんは押し黙ったまま、冷めた目でじっと見ている。
やっと忘れられそうだったのに。
同窓会で鮮やかな色に塗り替えられてしまった記憶は、また、何年も私を苦しめる。
どうしてこんなにあきらめが悪いんだろう。
「仕事あるから」
私はわざと切り捨てるように言って、市之瀬くんに背を向けた。
数歩もいかないうちに、市之瀬くんが追いついて、軽く私の腕を取った。
「まだ話は終わってない」
私はその手を払いのけた。
「話すことなんか、何もないよ」
とっさに出た言葉が、思っていたよりも鋭くて、驚いた。
でも、止められなかった。
「市之瀬くんは、私が何も言わなかったって言うけど、私たち、昔からそういう仲じゃなかったよね?」
こんなこと言いたくないのに、どうして。
「クラスメイトで、幼なじみで、友達だったかもしれないけど、何でも話すような、そんな仲じゃなかったよね? 卒業してから一度も会ってないし、連絡も取り合ったことないし。たぶん市之瀬くんは、この七年間、私のことを思い出したことなんて一度もないでしょ?」
思いが言葉を押し出すように、あふれる。
「同窓会で偶然会ったからって、昔から親しかったみたいな態度とらないでよ。私の気も知らないで、今さら、携帯の番号なんて……気まぐれで聞かないで」
ひきつったように震える声は、自分の声じゃないみたいだった。
市之瀬くんの顔を見ることができなくて、私は目を伏せた。下を向くと、浮かんできた涙が落ちそうになり、あわてて横を向く。
「俺が、気まぐれで聞いたと思ってんの?」
市之瀬くんの声がわずかに沈んで、低くなった。
「加島は何もわかってない」
わかってないのはそっちでしょ……?
こんなふうに私が取り乱しても、市之瀬くんは、ちっともうろたえるそぶりを見せない。いつもと同じで、無表情で、平然としている。
「もういい。やめる」
私は、市之瀬くんから目をそらして言った。
「何を」
「友達とか幼なじみとか、そういうの。市之瀬くんだって、めんどくさいって思ったでしょ? だからやめる。これからは、仕事の相手だって思うことにする。市之瀬くんもそうして。それで──」
いいでしょ、と言おうとしたのに、言えなかった。
市之瀬くんが私の腕をつかんで、引きよせた。
唇がふれあった。
ほんの一瞬。かすめるように。
「これで、友達でも幼なじみでもなくなった」
すぐそばで、市之瀬くんの押さえた低い声がする。
私は何が起きたのか理解できなくて、目の前にある市之瀬くんの顔を見つめたまま、動けなかった。
市之瀬くんは、何も言わない私を見て、初めて困ったように顔を歪めた。
「偶然じゃないから」
つかんでいた私の腕をそっと離す。
「同窓会に出たのは、加島に会いたかったからだよ」
たじろぐほど真剣な目で見つめられて、頭よりも体のほうが先に反応した。胸の奥が、一瞬で熱くなる。
何だろ、これ。夢?
「ずっと会いたかった。会って話がしたかった。けど、卒業式の日のことがあったから……。ふられたと思うだろ、普通」
ふってないよ!
声にならずに、心の中だけで叫ぶ。
公園の中を吹き渡る風は冷たいのに、頬が熱い。
「……彼女」
しぼりだした声は、涙声になっていた。
「え?」
「彼女……いるって……」
「誰が? 俺?」
うなずくと、市之瀬くんは真顔で「いないけど」とはっきり言った。
そうだ。
いつも興味なさげで、冷淡で、どうでもいいようなそぶりを見せるくせに、いいかげんなことはしない人だった。
他人の思いに敏感で、絶対に裏切ることができない人だった。
どうして、忘れていたんだろう。
まぶたの縁で止めていた涙は、いつのまにかこぼれ落ちていた。
「加島が好きだ」
市之瀬くんが言った。
うれしいはずなのに、胸が苦しくて、痛くて、こみあげてくる涙をこらえることができない。
忘れられなかった、十六年間の記憶の数々。
きっとまた、これからも、ずっと。
「私も、市之瀬くんが好き」




