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16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
第12章 知り合い?
54/88

 出先から事務所にもどったのは、夕方の午後五時過ぎだった。


「あ、加島さん。スカイ飲料さんから電話がありましたよ」


 デスクにつく前にアルバイトの女の子に言われて、違和感を覚える。

 普段、クライアントから直接デザイナーである自分に電話がかかってくることは、まずない。

 たまに、初期段階でのヒアリングや、急ぎの案件が持ちこまれた場合などに、クライアントとの打ち合わせに同席させてもらうことはある。先方の生の声を聞くためだ。


 昨日の打ち合わせは、私が初めてデザインを提案するということもあり、挨拶も兼ねていた。

 スカイ飲料の担当者と名刺交換はしている。だけど、基本的にクライアントと話をするのは営業担当だ。そのあたりは、先方も承知しているはずだった。


 怪訝な顔をしていたのだろう。

 私の表情を見て、昨年デザイン系の専門学校を出たばかりの若い彼女は、自分が何かミスをしたのかと思ったらしい。


「加島さんあてに、かかってきたんですけど……市之瀬さんて方から」


 彼女が言い訳するように告げたその言葉に、私は全身固まった。


「……市之瀬さん?」


 おそるおそる再確認してみる。

 すると彼女は、その点だけは間違いないと言わんばかりに、「はい」ときっぱり答えた。


「外出中ですって言ったら、じゃあメールを送りますって」

「え!?」


 メール? メールって!?

 アドレス、知ってたっけ!?


 反射的に、持っていたカバンの中から携帯電話を取りだそうとして、違う違う! と自分に突っこむ。動揺して、通常の判断ができなくなっている。

 急いでデスクに向かい、デスクトップパソコンにログインした。

 確かにメールが届いていた。


--------------------------------------------

 件名:打ち合わせのご相談

 差出人:市之瀬 郁


 アトリエ颯

 加島紗月 様


 いつも大変お世話になっております。

 スカイ飲料株式会社 開発部 市之瀬です。

 突然のメール失礼いたします。


 昨日は弊社までご来社いただき、ありがとうございました。

 というかアトリエ颯に勤めてるなんて聞いてないし。

 二次会に行くって言ったのに勝手に途中で帰ってるし。

 ひとことくらいあってもよかったんじゃないの?

 加島っていつもそうだよな。


 早速ですが、ご提案させていただきました内容につきまして、

 打ち合わせをお願いできればと存じます。

 日時ですが、いくつか候補を挙げます。

 ご都合のいい日時をお知らせいただければ幸いです。

 俺はたぶん打ち合わせには出ないけど。

 あのデザインはみんな気に入ってた。


 ご調整の上、今週中にお返事をいただけると助かります。

 何卒よろしくお願い申し上げます。

 あと携帯の番号。約束したんだから教えろ。

--------------------------------------------


 ……何。この公私入り乱れた複雑怪奇なメール……。

 頭は通常の判断能力を失っているし、心は感情の渦巻きに飲みこまれているしで、冷静に読み解くのは至難の業だった。


 私は何度も読み返して、ようやく、これが次回の打ち合わせの日程を相談するメールだということを理解する。

 どうして市之瀬くんから仕事のメールが来ているのかわからないけれど……とりあえず、怒っているらしいことは確かだ。


 そこまで怒る必要ある?

 たかが同窓会の二次会に行かなかったくらいで。


 私はメールを閉じて、席を立った。事務所のキッチンに置いてある小型の共用冷蔵庫から、飲みかけのペットボトルの緑茶──『一期一会』を取り出す。

 市之瀬くんにとって私は、ただの幼なじみで、ただの友達。

 私の想いとは、釣り合わない。


 ペットボトルを手にしたまま、席にもどる。もう一度、閉じたメールを開いて、市之瀬くんからのメールを読み返した。

 それに、私がどこに勤めているかなんて、市之瀬くんには関係ないと思う。どうしてわざわざ、市之瀬くんに報告しなきゃいけないの?

 だいたい市之瀬くんだって、スカイ飲料に勤めてること、私に報告しなかったじゃない。

 私だけ一方的に怒られるって──おかしくない?


 スカイ飲料から、リニューアル発売されることになった『レッツウォーター』のラベルデザインの話が来たのは、昨年の秋。

 いつも通り、先輩の男性デザイナーがデザインを担当する予定だった。彼はずっとスカイ飲料の仕事を手がけていて、先方からの信頼も厚かった。

 社長を含めてわずか五人の小さな事務所だから、社員同士で相談したり意見交換したりすることはよくあって、私は担当ではなかったけれど、状況は把握していた。


 私に、一案作ってみないかと言ったのは、相田社長だ。

 それも、年末年始の休みに入る直前。

 急遽追加された、『女性を意識したやわらかいデザインも見てみたい』という先方からの希望に、デザイン案を増やすことになった。

 技術もセンスも中途半端で、先輩には遠く及ばない私に、初めてめぐってきたチャンス。


 スカイ飲料の窓口が企画部だということは知っていたし、市之瀬くんが所属している部署が開発部だということも、有村くんから聞いて知っていた。

 だから、ニアミスなんてありえない。

 そう思っていた。


 私はペットボトルのキャップを外して、口をつけてごくごく飲んだ。冷蔵庫の中にもう一本買い置きがあるので、一気に最後まで飲んでしまう。

 もうずっと、ペットボトルや缶ジュースは、スカイ飲料のものしか買っていない。


 返事。

 書かなきゃ。

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