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出先から事務所にもどったのは、夕方の午後五時過ぎだった。
「あ、加島さん。スカイ飲料さんから電話がありましたよ」
デスクにつく前にアルバイトの女の子に言われて、違和感を覚える。
普段、クライアントから直接デザイナーである自分に電話がかかってくることは、まずない。
たまに、初期段階でのヒアリングや、急ぎの案件が持ちこまれた場合などに、クライアントとの打ち合わせに同席させてもらうことはある。先方の生の声を聞くためだ。
昨日の打ち合わせは、私が初めてデザインを提案するということもあり、挨拶も兼ねていた。
スカイ飲料の担当者と名刺交換はしている。だけど、基本的にクライアントと話をするのは営業担当だ。そのあたりは、先方も承知しているはずだった。
怪訝な顔をしていたのだろう。
私の表情を見て、昨年デザイン系の専門学校を出たばかりの若い彼女は、自分が何かミスをしたのかと思ったらしい。
「加島さんあてに、かかってきたんですけど……市之瀬さんて方から」
彼女が言い訳するように告げたその言葉に、私は全身固まった。
「……市之瀬さん?」
おそるおそる再確認してみる。
すると彼女は、その点だけは間違いないと言わんばかりに、「はい」ときっぱり答えた。
「外出中ですって言ったら、じゃあメールを送りますって」
「え!?」
メール? メールって!?
アドレス、知ってたっけ!?
反射的に、持っていたカバンの中から携帯電話を取りだそうとして、違う違う! と自分に突っこむ。動揺して、通常の判断ができなくなっている。
急いでデスクに向かい、デスクトップパソコンにログインした。
確かにメールが届いていた。
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件名:打ち合わせのご相談
差出人:市之瀬 郁
アトリエ颯
加島紗月 様
いつも大変お世話になっております。
スカイ飲料株式会社 開発部 市之瀬です。
突然のメール失礼いたします。
昨日は弊社までご来社いただき、ありがとうございました。
というかアトリエ颯に勤めてるなんて聞いてないし。
二次会に行くって言ったのに勝手に途中で帰ってるし。
ひとことくらいあってもよかったんじゃないの?
加島っていつもそうだよな。
早速ですが、ご提案させていただきました内容につきまして、
打ち合わせをお願いできればと存じます。
日時ですが、いくつか候補を挙げます。
ご都合のいい日時をお知らせいただければ幸いです。
俺はたぶん打ち合わせには出ないけど。
あのデザインはみんな気に入ってた。
ご調整の上、今週中にお返事をいただけると助かります。
何卒よろしくお願い申し上げます。
あと携帯の番号。約束したんだから教えろ。
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……何。この公私入り乱れた複雑怪奇なメール……。
頭は通常の判断能力を失っているし、心は感情の渦巻きに飲みこまれているしで、冷静に読み解くのは至難の業だった。
私は何度も読み返して、ようやく、これが次回の打ち合わせの日程を相談するメールだということを理解する。
どうして市之瀬くんから仕事のメールが来ているのかわからないけれど……とりあえず、怒っているらしいことは確かだ。
そこまで怒る必要ある?
たかが同窓会の二次会に行かなかったくらいで。
私はメールを閉じて、席を立った。事務所のキッチンに置いてある小型の共用冷蔵庫から、飲みかけのペットボトルの緑茶──『一期一会』を取り出す。
市之瀬くんにとって私は、ただの幼なじみで、ただの友達。
私の想いとは、釣り合わない。
ペットボトルを手にしたまま、席にもどる。もう一度、閉じたメールを開いて、市之瀬くんからのメールを読み返した。
それに、私がどこに勤めているかなんて、市之瀬くんには関係ないと思う。どうしてわざわざ、市之瀬くんに報告しなきゃいけないの?
だいたい市之瀬くんだって、スカイ飲料に勤めてること、私に報告しなかったじゃない。
私だけ一方的に怒られるって──おかしくない?
スカイ飲料から、リニューアル発売されることになった『レッツウォーター』のラベルデザインの話が来たのは、昨年の秋。
いつも通り、先輩の男性デザイナーがデザインを担当する予定だった。彼はずっとスカイ飲料の仕事を手がけていて、先方からの信頼も厚かった。
社長を含めてわずか五人の小さな事務所だから、社員同士で相談したり意見交換したりすることはよくあって、私は担当ではなかったけれど、状況は把握していた。
私に、一案作ってみないかと言ったのは、相田社長だ。
それも、年末年始の休みに入る直前。
急遽追加された、『女性を意識したやわらかいデザインも見てみたい』という先方からの希望に、デザイン案を増やすことになった。
技術もセンスも中途半端で、先輩には遠く及ばない私に、初めてめぐってきたチャンス。
スカイ飲料の窓口が企画部だということは知っていたし、市之瀬くんが所属している部署が開発部だということも、有村くんから聞いて知っていた。
だから、ニアミスなんてありえない。
そう思っていた。
私はペットボトルのキャップを外して、口をつけてごくごく飲んだ。冷蔵庫の中にもう一本買い置きがあるので、一気に最後まで飲んでしまう。
もうずっと、ペットボトルや缶ジュースは、スカイ飲料のものしか買っていない。
返事。
書かなきゃ。




