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あのときの私には、住友さんの言葉を受け止めることができなかった。
子供だった、と思う。
でも、今だって大して変わらない。市之瀬くんに彼女がいると聞いただけで、どうしようもないほどうろたえて、逃げ出した。
一月三日の午後。
雛条駅のホームで電車を待っていると、携帯電話が鳴った。
亜衣からだった。
『ゆっくり話す暇、なかったね』
「ごめんね、急に帰って。またメールするよ」
電話の向こうで、亜衣が黙りこむ。
「亜衣?」
『私、健吾と結婚するんだ』
遠慮がちに、亜衣が告げた。
『昨日、ちゃんと報告するつもりだったんだけど……先に言えなくてごめん』
私は「ううん」と言った。
大好きな二人が幸せになってくれるのは、本当にうれしい。だけど、どうしてだろう。亜衣がここからいなくなって、どこか遠くへ行ってしまうような──私の知らない人になってしまうような気がした。
私は渦巻く気持ちを底に押しやって、深く息を吸いこんだ。
「おめでとう。式はいつ?」
『六月十四日』
息が止まる。
その日付には、聞き覚えがあった。
「それ……市之瀬くんはもう知ってる?」
『たぶん。健吾が話してるはずだから』
じゃあ、あのとき富坂くんと話していたのは、亜衣と有村くんの結婚式のことだったんだ。
『あのさ。聞いてもいい?』
亜衣が言う。
『紗月は、市之瀬のことどう思ってんの?』
いきなり予想していなかった質問をされて、私はうろたえた。とっさに適当な言葉が出てこない。
『好きなの?』
「えっ」
亜衣の口調から、強引に聞き出そうとするような気配を感じ取って、私は無意識に身構える。
ずっと隠していたのに、いつどこでばれたんだろう? それとも、有村くんが何かしゃべったんだろうか?
まさか──。
「市之瀬くんに何か言った!?」
思わず携帯電話を強く握りしめ、ホームだということも忘れて大声を出してしまう。
『紗月のイナイ歴二十五年は市之瀬のせいだから、責任取れって言った』
「な……」
顔から火が出るんじゃないかと思った。
「何、バカなこと言ってんの!!」
電話の向こうで亜衣が笑っている。
『ウソだよ。何も言ってない』
私は絶句して、震える手で胸を押さえる。ほっとしたのと腹が立つのとで、文句を言う声も出ない。
『でも、連絡したほうがいいかもね。昨日、けっこう気にしてたよ。紗月が先に帰ったこと』
どうして市之瀬くんは、私のことなんか気にするんだろう。彼女がいるくせに。
「そんなこと言ったって、連絡先知らないもん」
『教える』
「え?」
『健吾に聞いたから』
亜衣の声が、なぜか楽しそうに弾んで聞こえる……。
『今から言うよ。メモって』
「えっ。えっ。ちょっと待って」
私は急いでカバンの中からスケジュール帳を取り出して、亜衣が告げる番号をメモする。
そうこうしているまに、上滝行きの電車が到着するアナウンスがホームに流れる。
「じゃあ、切るね」
私が言うと、亜衣が『報告、楽しみにしてるから』とからかった。
閉口する私に、亜衣が言った。
『卒業式の日に、私を騙したお返しだよ』
スケジュール帳にメモした市之瀬くんの番号を、私は東京へ向かう新幹線の中でずっと眺めていた。
友達として、普通に連絡すればいいだけのことだ。市之瀬くんだって、そのつもりで私の番号を聞いたのだから、別におかしくはないはずだ。
だけど──。
窓の外を流れる冬景色を見ながら、私は溜息をついた。




