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「あ、もうみんな集まってる」
同窓会が始まるのは午後二時で、受付は一時半から。私と亜衣は幹事の仕事を手伝うために早めに来たので、ホテルのロビーに集まっているのは幹事メンバーばかりだ。
「おーい。来たよ」
ロビーでほかの幹事メンバーと話している有村くんを見つけて、亜衣が大きく手を振る。有村くんはすぐに気づいて、こちらにかけよってきた。
「加島さん、久しぶり」
有村くんは巨体に似合わない人なつっこい顔で、にかっと私に笑いかける。
高校時代は、髪型も含めてどこから見ても野球部の男の子、という感じだったけれど、今はスーツ姿も板についていて、すっかり社会人ぽくなっていた。
「悪いね、手伝わせちゃって」
「ううん、全然」
私は亜衣と一緒に受付を手伝うことになっている。何気なくあたりを見回してみたけれど、市之瀬くんの姿はない。
「ふたりとも、こっち向いて」
ふりむくと、幹事メンバーのひとり、三組の富坂くんが一眼レフカメラをかまえている。富坂くんも元野球部で、有村くんとは中学時代からの部活仲間だ。
私と亜衣がカメラに向かって笑顔を作るのを見て、有村くんがちゃっかり亜衣の右隣に並んだ。
「あっ、郁。おまえも入れ」
有村くんが、私たちの頭越しに腕を伸ばして手招きした。その方向に、背の高い人影が見えた。
市之瀬くんはゆっくり近づいてきて、私の左側に立った。にこりともしないで、「久しぶり」と低い声でいう。
「あ、どうも。お久しぶりです」
まともに顔を見ることができなくて、私は目をそらしてしまう。なんだかぎこちない挨拶になってしまった。
久しぶりにどきどきする。隣に気配を感じるだけで、胸がいっぱいになった。「笑って!」とカメラの向こうで富坂くんが叫んでいるけれど、顔はひきつるばかり。
市之瀬くんに会うのは、卒業式以来だった。
私にとっては、今も忘れることのできない卒業式。傷ついて、泣きながら帰ったあの日から七年経った。
富坂くんがシャッターボタンを押そうとすると、つぎつぎ、写真に入ろうとする同窓会メンバーが駆けよってくる。結局、全員で撮ることになった。
写真を撮り終えると、市之瀬くんはさっさと私から離れてしまった。無言で。
七年ぶりに見る市之瀬くんは、すっかりスーツが似合う人になっていた。
初めて会ったときはあんなにちっちゃくてかわいかったのに、もうほとんど当時の面影は残っていない。
見上げるくらい背が高くなって、肩幅が広くなって。声も低く太くなって、顔も引き締まって輪郭が鋭くなって──どこから見ても、大人の男の人になっていた。
それでも、彼は、私の知っている市之瀬くんだった。
目鼻立ちが細くて、頬骨がなめらかで、輪郭の整った顔立ち。ふわんとした茶色い髪も昔のまま。
いっそ呆れるくらい老けているとか、とんでもない太鼓腹になっているとか、チャラ男になっているとか、一瞬で冷めてしまうような変わり方をしてくれていたらよかったのに、とも思う。
そうすれば、今日で終わりにできたのに。
「あいかわらずクールだねー、市之瀬は」
亜衣が顔をしかめて近づいてきた。
「だけど、意外。同窓会なんて、絶対出席しないタイプだと思った。しかも真面目に仕事してるじゃん。適当に言い訳して逃げるかと思ったのに」
「市之瀬くんは真面目だよ」
亜衣が真顔で「は?」と聞き返すのと同時に、有村くんがぬっと割りこんできて「さすが加島さん」と言った。
「市之瀬のどこが真面目なの?」と、亜衣が真剣な顔で聞く。
「遅刻魔でさぼり魔でいいかげんでめんどくさがりじゃん」
亜衣が並べ立てる言葉を聞いて、私と有村くんは顔を見合わせ、くすりと笑う。
「何よ、ふたりして」
仲間はずれにされてすねる亜衣に、私は笑いながらゴメンと謝る。
「市之瀬くんは、頼まれると断れない人なんだよ」
「そうそう。ああ見えて、実は根は真面目だったりするんだよな。けっこういいヤツなんだよ。そうは見えないけど」
褒めているのかけなしているのか、なんとも微妙なところが有村くんらしい。有村くんは、中学の三年間、ずっと市之瀬くんと同じクラスだった、と聞いている。
中学時代──小さかった市之瀬くんがどんどん大きくなっていったこととか、陸上部の顧問の先生からの入部の誘いを必死で断り続けていたこととか、野球部の助っ人にかり出されて大活躍したこととか、ほかにもいろいろ、私の知らないことをたくさん知っている。
「そこっ。油売ってないで、仕事して!」
ほかのクラスの幹事メンバーに注意されて、私たちはあわてて会話を中断した。
亜衣と一緒に受付のセッティングをしながら、私は自然と目の端で市之瀬くんの姿を追ってしまう。
モテるだろうなあ、と思う。高校時代も、けっこうモテていたけれど……あの感じじゃ、ますます。
「仕事、忙しい?」
はっとしてふりむくと、亜衣がこっちを見ていた。
「え? 仕事? えーっと……」
私は内心うろたえながら、平静を装う。誰を見ていたか、気づかれなかったかな。
「うん、やっぱり残業は多いかなあ。でもまあ、この業界に入ることを決めたときから、わかっていたことなんだけど」
私は東京の小さなデザイン事務所で働いている。デザイナーの数が少ないから、ひとりひとりが抱える仕事も必然的に多くなる。
「じゃあ、仕事帰りに飲みにいったりとか、習い事したりとか、しないの?」
「ムリムリ。そんな時間、あるわけない」
「友達と映画見にいったりとかは?」
「映画かあ。しばらく見てないかも……」
「休みの日、何してんの?」
「えー……、寝てる……」
亜衣が同情と憐憫のまなざしを送ってきた。
「せっかく東京で就職したのに、全然楽しんでないじゃん。もっと遊んだら?」
自分でも、このままでいいのかな、と時どき不安になることがある。
毎日、仕事に明け暮れて一日が終わってしまう。知らない間に季節が変わっている。何もできないまま、何も変わらないまま、時間だけがどんどん過ぎていく。
でも、だからといって、派手に遊びたいかと言えば……。
「私、そういう柄じゃないしなあ……」
「……だろうね」
紗月だからしょうがないか的なニュアンスで言われる。
私が返す言葉もなく黙っていると、亜衣はさらに気の毒そうな顔になり、「それじゃ、いつまでたっても彼氏ができないはずだわ」と、ついに地雷を踏んだ。
「わ、悪かったねえ!」
「彼氏いない歴二十五年って、かなり深刻だよ? もしかして……男に興味ないとか?」
亜衣が体をくっつけてきて、耳もとで意味ありげにささやく。
「そんなわけないでしょっ」
誤解を生むような発言をしないでほしい。
「だったらなんで? 紗月ってかわいいし、モテないわけじゃなさそうなのに」
亜衣の目がじっと私の顔をのぞきこむ。私はさりげなく目をそらす。
「たまたま……縁がないっていうか」
「誰か、紹介してあげようか?」
私はあわてて両手で制した。
「いいよ。こっちの人を紹介されても、遠距離になっちゃうし」
「東京で働いてる友達、何人かいるよ? 健吾にも聞いてみようか?」
「いい、ほんとに! そういうの緊張するから!」
つい声が大きくなってしまった。亜衣が怪訝な顔をする。とにかく話題を変えなくては。
「わ、私のことより、亜衣はどうなの?」
話をそらそうとして言ったのだけれど、亜衣はとたんに困ったような照れくさそうな、予想外な表情を浮かべた。
「あのさ。実は私……」
そのとき、有村くんが箱を抱えて受付のテーブルにやってきた。箱の中身がかちゃかちゃいっている。
「これ、ネームプレートなんだけど」
テーブルの上に箱を置いて、ふたを開ける。箱の中には約百人分のネームプレートが入っていた。
「名簿順に並べといて。あと、ここにいる幹事メンバーには、今のうちに渡しておいてくれる?」
そう言うと、有村くんは忙しそうにテーブルを離れていく。
「うわー。ちょっと、これ……」
箱の中のネームプレートを見て、亜衣の顔がひきつる。
首からさげるタイプのネームプレートには、あろうことか卒業アルバムの顔写真が、名前と一緒に貼り付けられていたのだ。
「いったい誰よ、こんな恥ずかしいもん作ったの!」
亜衣はぶつぶつ言いながら、ネームプレートをクラス順に並べ始める。
クラスは全部で六クラスある。
私たち一組の出席者は、二十三人。ほかのクラスはだいたい十五人前後だから、亜衣の言う通り、うちのクラスの出席率は優秀だ。
ふたりで手分けして名簿順に並べ終えた後、抜き出しておいた幹事メンバーのネームプレートを、ひとりひとりに配って回る。
最後に残ったのは、市之瀬くんのネームプレートだった。
市之瀬 郁。
パソコンで印刷された名前とクラスの横に、市之瀬くんの顔写真が貼り付けられていた。表情のない、冷めた顔。市之瀬くんは写真に映るとき、いつもこういう顔をする。
市之瀬くんは、会場の中にいた。
今日の出し物のひとつであるスライドショーで使う、パソコンのセッティングを手伝っている。後ろ姿だけで、すぐにわかってしまう。くせのある、きれいな茶色の髪。
「市之瀬くん」
名前を呼ぶと、市之瀬くんがふりむいた。目が合っただけで、どきっとする。私は「はい」と急いでネームプレートを差し出した。
「うわ。何コレ」
ネームプレートを見るなり、市之瀬くんはたちまち嫌そうな顔をする。本当に嫌そうだったので、私はつい笑ってしまった。
すると、市之瀬くんは私のネームプレートを凝視して、「加島も変わったなあ」と言った。
何が? どこが? どういうふうに?
「髪が茶色になった」
市之瀬くんは真面目な顔でそう言った後、うろたえる私を見てかすかに笑い、私の手からネームプレートを受け取った。指先が、ほんのすこし触れあう。
私たちが見つめ合った時間はほんの数秒だったけれど、私にはその瞬間だけ時間が止まったように感じられた。
市之瀬くんはすぐに目をそらして、またパソコンのセッティングを続ける。私は会場を出て、亜衣のいる受付のテーブルにもどった。




